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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

昨日の記事の“続き”を思い出した。


CNNの放送の仕方を知りたいと思う。

画面には“LIVE”の文字があるが、完全な生放送なのかどうか?


何度も書いているが、1979年はMLBを追ってほぼ1シーズン、

アメリカで過ごした。週の前半、ボルチモアにいたかと思えば

後半にはシカゴのリグレーフィールドで実況していたりした。

ある意味、“神出鬼没”だった。当時、メジャーを追いかける

日本人は私たちぐらいだったからとても目立った。

「面白そうな試合を収録して日本に送り毎週放送している」と

話すと、興味を持って取材を受けることもしばしばだった。

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パンチョ伊東やアイク生原さんがいるときはお任せしておけば

よかったが、あるとき、ロサンゼルスでラジオ局に捕まった。

生放送だと言う。「いや、俺の英語力じゃ無理 無理」と言って

逃げようとした。「アイクに聞けばいいじゃないか」と言っても、

「いや、お前に聞きたいんだ」と食い下がられた。


覚悟を決め、まだ客が入っていないスタンドでインタビューを

受けることにした。ところが、”生”と言っていたのに、相手と

私の間には小型のテープレコーダー(通称・デンスケ)があった。

オープンリールの…。

なんだ、録音か…と一瞬 ほっとしたが、そうではなかった。

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アメリカのラジオでは”トークショー”が盛んだ。

タレントが出てきて面白い話をする…日本のあれではない。

多くは、やたら野球にくわしい男がホストをつとめ、前の夜の

試合について、よかったこと悪かったこと、監督の采配などを

電話をかけてきたリスナーと面白おかしく語り合う趣向だ。


まれにだろうが、ホストとのやり取りでかっとなり、いきなり

4文字言葉”を投げつけたりするやつがいる。“完全に生”だと、

そのまま放送してしまう。それはまずいので、予防措置として

こんなことをするのだ。


放送のすべてをテープに入れて、“5秒遅れ”で電波に乗せる。


これだと、リスナーがよくない言葉を口にしたら、飛ばして

テープを流せば、“事故”にはならない。うまく考えたものだ。

ハハハ。


5秒遅れの生放送…ラジオは今でもそのやり方だと思う。

テレビはどうなのか? 答えを知っている人はぜひご一報を。


ちなみに、私のインタビューだが、心配した通りになった。

挨拶ぐらいは普通にできるから、放送の初めは問題なかったが、

途中から相手が早口になって、何を聞かれているのか分からず

かみ合わない会話になってしまった。私に責任はない。ハハハ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-14 08:14 | 放送全般 | Comments(0)

アメリカのケーブルテレビ局ESPNの女性記者がツイートした。

“トランプ大統領は白人至上主義者だ“と。

大統領もツイッターで反論した。

“解雇に値する。嘘(untruth)を謝れ”。


後日、この件を議論する番組がCNNで生放送された。

司会はジュディ・ボールドウイン、女性キャスターだ。

別の場所にいる二人のゲストの一人はFOXスポーツの記者、

クレイ・トラビスだった。


ボールドウインに発言を促されたトラビスは何を思ったのか、

意見を述べる中でいきなりこんなことを言い放った。


僕が完全に信じるのは二つのこと、修正第一条*とおっぱいさ。

*言論、信教などの自由を保障している。

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うん、いま、なんつった?(宮藤官九郎じゃないけどw)


たちまち、ワイプで画面の中央に映っていたボールドウインの

美しい眉が吊り上がった。

「ちょっと待って。番組のホストとしてあなたの発言を正しく

聞いたかどうかを確認したいんだけど、なんて言いました?

憲法第1条とおっぱい(b-double-o-b-s)って?」

(booze=酒だったかもしれないと思ったと言うが、怪しい。w)


「おっぱいだよ」と言下にトラビスが確認し、さらに続けた。

「この国の歴史上、僕を決して裏切らなかったのは二つのこと、

憲法第1条とおっぱいなんだ」


同じやり取りはもう一人のゲストの発言後、再び繰り返され、

ボールドウインは顔を紅潮させていたが、どう思われたって

構わんと言わんばかりのマイペースでトラビスが“おっぱい”を

繰り返す中でこう言った。

「女性MCのライブの全国放送でなぜ、そんなことを言うの?

どうして、そんな話になるわけ?」


そして、言い募るトラビスの口を彼女が封じた。文字通り。

「もう結構。終わりよ。会話は終わり。マイクを切って頂戴!」。

…ここまで、最初の“boobs”からちょうど3分だった。


サブ(副調整室)からの指示があったとしても、キリっとして

カッコよかった。ジャーナリストだったらこの程度の“見識”が

あって当然だ。状況が違うから単純にはくらべられないが、

男性議員にヤジられて“立ち往生”した 日本の女性国会議員や

都議さんには見習ってほしいものだ。


問題のやり取りはここで見られる。

http://bit.ly/2AHik91

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# by toruiwa2010 | 2017-12-13 08:12 | 放送全般 | Comments(4)

眼鏡を作りに出かけた吉祥寺で

妻が小川軒のレーズン・ウイッチを

見つけて買ってきた。


テレビを見ていた私に電話をかけてきた。

「…を見つけちゃった」と言った。

聞き取れなかったので「なにを?」と

聞き返したところで切れてしまった。

公衆電話だからどうすることもできず、

何を見つけたのかと気が気じゃなかった。


それがレーズン・ウイッチだった。

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何十年ぶりだろう?

期待に胸を膨らませて口に入れたが、

記憶していたものと違った!

"記憶"の中にあるレーズン・ウイッチは

口に入れた瞬間、ブワーッと何かが

いっぱいに広がる感じだったけどなあ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-12 13:14 | インスタグラム風 | Comments(4)

“I really wanted No. 27, but it was alreadytaken,

so I chose No. 17.”

「本当は27番にしたかったけど、埋まっていたので…」


…なぜ、背番号を17番にしたかと聞かれ、チームだけでなく、

メジャーの大スター、マイク・トラウトを“ダシ”にして大きな

笑いを誘ったのはグッドジョブだ。そのあとに浮かべた笑顔

(地元紙はboyish smile=“少年のような笑顔”と)も最高だった。

特に女性ファンのハートを一気にわしづかみにしたに違いない。

ちなみに、日ハム時代の11番は、ジム・フレゴーシ元監督が

つけていて永久欠番になっているようだ。

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two way star”・大谷翔平のエンゼルス入りが決まった。

彼がエンゼルス入りを希望しているとの電話を受けたビリー・

エプラーGMは喜びのあまり椅子から飛び上がった。そして、

座り直そうとしたとき、そこに椅子はなくて床に転げ落ちた…


ハハハ。現地のメディアが面白おかしく書いている。それほど、

大谷がどの球団を選ぶかは全米の注目を集めていた。


今後は、球団が彼をどう起用法するかがポイントになってくる。

監督はマイク・ソーシアだ。私がメジャーを追っていたころ

ドジャースで頭角を現してきたキャッチャーだった。

S-C-I-O-S-C-I-A…おーい、これ なんて発音すんだい? 

あちこち尋ね回って“ソーシア”に落ち着くまで時間がかかった。

ハハハ。


監督歴18年のソーシアにとっても、“二刀流”は厄介だ。

幸い、大金を投じた選手ではないが、球団にとっては激しい

争奪戦を制して獲得した“金の卵”であることは間違いない。

誰もが納得する使い方で結果を出させなければ“腕”が疑われる。

序盤でケガでもさせようものなら、またまたGMが椅子から

転げ落ちることになる。ハハハ。


ケガ…私が最も恐れるのもメジャーで二刀流にこだわったら

どこかの時点で故障するのではないかという点だ。

東と西では3時間の時差がある広い国土を転戦するだけでも

かなりハードだ。


エンゼルスの2018シーズンの日程を見ると…

42日に開幕して930日に閉幕する。そこのあなた、

“さらっと”読み流さないでほしい。つまり、この182日間に

162試合を戦うわけだ。試合がないのはたった20日だ。

“試合がない”の意味は旅行日だったりするからだ。

日本のように“休養”に充てる日はないと言っていい。しかも、

20日の中に、球宴休みが4日ある。

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まず この“日程の過酷さ”が大谷を襲ってくる。知らず、知らず

心身の疲労が蓄積され、ケガをする可能性が増していく。

投打のどちらかに専念していてもそうだから、“二刀流”の場合、

さらに危険度は上がるだろう。


仮に、とりあえずチャレンジするとなっても、起用法はかなり

複雑になる。投手が基本になるが、“中何日”で登板させるかで

先発陣の人数が変わってくる。二刀流の場合はどう考えても

6人は必要になる。簡単なことではない。しかも、遅くても

キャンプ中盤までには結論を出さなければいけない。野手の

編成にも関係してくるからだ。


9月にも書いたが、MLBと日本では選手登録の仕方が違う。

28人が1軍に登録され、試合ごとに25人がベンチ入りする

日本では3人の”余裕”があるが、MLBは“25人登録・25

ベンチ入り“だから投手も原則的に全員が毎試合ベンチに入る。


12人の投手編成の場合、野手は13人になる。捕手2人として

内・外野手を11人でまかなうことになる。大谷に“二刀流”を

認めるか、認めないか、認める場合、中何日で先発させるかで

チーム全体の編成方針が変わってくる。GMや監督はさぞかし

頭を悩ませているはずだ。

まあ、遅かれ早かれ、MLBの厳しい環境の中で“two way”を

やることの無謀さに大谷本人が気づくと思うが。


“投手に専念する大谷”が100(161)超の速球とキレのある

スライダーでメジャーの強打者をきりきり舞いさせるところを

見てみたいと思う。

ああ、しかし、トラウト、アプトン、プホルスと並ぶ打線に

加わった大谷の打撃がどこまで通用するかも見たいしなあ。

うーん。悩むのはGMや監督だけじゃないわ。ハハハ。


大谷の“転職”先がエンゼルスと決まった。ヤンキース入りを

望んでいた私は少し残念だが、嬉しいこともある。

田中将大が本拠地でデーゲームに登板するとき、午前2時に

起きなければならないのだが、西海岸なら5時でいいのだ。

時差のありがたさ。ハハハ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-12 08:14 | メジャー&野球全般 | Comments(0)

先月半ば、京都で紅葉をめでたあと、芦屋に行った。

長兄が遺した資産の相続の整理を銀行に依頼してあったが、

その作業が大詰めに近づいていた。

さかのぼって、記憶を頼りにできるだけ詳しく書く。


7月半ばに兄が亡くなった。

私はすでに芦屋を引き払い、東京の自宅に戻っていたので

時間を節約する目的もあって慌ただしく事後処理をした。


昼近くに“危篤”の知らせを受け、すぐに自宅を飛び出した私は、

夕方には病院につき、事務の人たちと所定の手続きを済ませて

新幹線の中から手配してあった車に兄の棺を乗せて葬儀社に

運んでもらった。慌ただしすぎるが、事情はこうだ。


新幹線の私に電話があった。病院に先着した次兄からだった。

「病院の霊安室はできるだけ早く開けてほしい」と言われた…

ということだった。病院に紹介されたいくつかの葬儀社に

新幹線から電話して、費用や病院との距離などで一社を選び、

とりあえず車を手配したのだ。


翌日、市内で荼毘に付した。列席したのは 私と、市内に住む

次兄の家族だけだ。兄を愛していた妻は来なかった。決して

冷たいわけじゃない。

“亡くなった顔は見たくない。元気なときの顔を覚えておきたい”

という考え方を持っていることを知っているし、ほかの事情も

あったので来なかった。私が了解していればそれでいい。

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その日のうちに、銀行に行って口座を閉鎖、近くの郵便局に

回って、同じく口座の閉鎖と郵便物の東京への転送を頼んだ。

翌日は 再び銀行で兄の遺産整理を依頼する手続きをした。

私は東京に帰るし、持病を抱えた次兄はあまり動けず、相続に

関わる膨大な作業はとても手に負えるものではないと判断して、

相談した結果、銀行に任せることにしたのだ。


膨大な作業…とにかく、やることが山ほどある。

全貌はよく分からないが、相続人が次兄と私だけであることを

確定させるために かなり“さかのぼって”確認する必要があり、

そのために、たくさんの戸籍謄本を取り寄せることから始まる。


亡兄の場合は、後述する”遺言信託”のために、途中まで作業を

進めていたので 多少 手間が省けたらしい。いずれにしても、

これに加えて、兄の資産を確認する。負債がないかを確認する。

亡くなったあとも払う金、入ってくる金があって、その“プラス

マイナス”を処理する…細かい作業だし、専門的な知識がないと

とても対応できない。


兄が亡くなったあと“相続人代表”になった私のところには、

その後、かなりの量の書類が郵送・転送されてきた。

税金など、払うべきものは払い、兄に代わって受け取る金を

振り込んでもらう口座を連絡する。

たとえば、口座を閉めたために受け取れない年金がある。

“未払い年金”と言う。私が相続人代表であることを証明して

申請する。送られてきた書類には、同居していたか、家計が

一つだったかなど、未払い年金を受け取る資格を証明せよ…

的な設問が並んでいた。電話をして「同居はしていなかったし、

家計も別だった。近くに部屋を借りて週に何度か通って世話を

していた“だけ”だ。これは資格なしということか?」と問うと、

「いや、その旨書いてくれれば認められると思う」と言うので

その通りにした。

…振り込まれるまで2ヶ月半かかった。


遺産整理はなかなか進まなかった。

8月初め、芦屋の銀行で委任の契約を交わしたのと並行して

次兄と私の相続税申告、亡くなった兄の今年の準確定申告を

税理士に依頼した。


3ヶ月が経過して、呼び出しがかかったのが先月半ばだった。

亡兄が遺した財産の目録が完成した。各金融機関に連絡して

残高を確認したり、証券会社で保有する株や証券を確認したり…

そりゃまあ、時間がかかるのはしょうがないなあ、という感じ。

ハハハ。


次兄と私に、税理士と遺産整理チームのリーダーが説明した。

要は、「お兄さんはこれだけの財産を遺しています。あなた方が

相続するのはそれぞれこういう金額になります」ということだ。

こまかいし、聞いても理解しきれない二人の話を聞いたあと、

「これで結構です」という承認の書類、今後の作業に必要な

書類への署名と押印をして、ほぼ1時間で終わった。


最終的に財産分割が終わって私たちの口座に振り込まれるのは

まだ先の話だ。まず、証券類の売却に相当 時間がかかるそうだ。

たぶん、年をまたぐことになるだろう。急がないし。

証券会社にしてみれば、“金が逃げていくのだから”と 処理する

優先順位があとになるようだ…と、これは別の銀行関係者の話、

真偽のほどは分からない。ハハハ。


後述する…とした“遺言信託”については

改めて書くことにします。

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# by toruiwa2010 | 2017-12-11 08:17 | 芦屋から | Comments(2)

絶叫中継( 2005.08.14 初出 )


日本でスポーツ実況が始まったのは放送局がNHKしかない

時代でした。もちろんラジオです。見たままを言葉にする…

からスタートしたのだろうと思います。

「神宮球場どんよりとした雲、黒く低くたれた空、カラスが

1羽、2羽、3羽、4羽、風雲いよいよ急を告げております」。

戦前の六大学野球で松内則三アナが残した名実況です。


1932年のロサンゼルス・オリンピックでは何らかの事情で

競技場からの中継が認められませんでした。そこで生まれた

窮余の一策は“実感放送”です。アナウンサーが見てきたことを

スタジオで描写するのです。

そのころでも11秒ぐらいで走ったはずの100㍍が、放送では

1分もかかってしまう珍現象も起きたそうです。ハハハ。

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私が子供のころは、NHKのラジオしかない時代でした。

スポーツが大好きだった岩佐“少年”は、各種のスポーツ中継に

いつも耳を傾けたものです。

その中には、アナウンサーとしては初めて野球の殿堂入りを

果たした志村正順さんがいました。野球と相撲を主に担当した

名アナウンサーでした。スポーツ実況の“原型”を作った人です。

NHKからはその後も、続々と花形スポーツ・アナウンサーが

生まれました。ただし、目に映ったことを言葉にする、という

流れは基本的には変わりませんでした。


やがて、テレビの誕生です。

学生のころのことですから、細かいことは覚えていませんが、

新聞でどなたかがこんなな主旨のことを書いていました。

「これまでなら『横綱、照国が西から登場しました』と言う

ところだが、○○アナは『西から登場したのは横綱、照国』と

言った。これがテレビの実況である」…音声だけのラジオと

映像があるテレビでは小野豆と実況のやり方に違いがあって

しかるべきだと言うのです。なるほど。


しかし、全体としてはラジオ的な実況を続けるアナウンサーが

圧倒的に多かったと思います。

そのうち、業界内からも視聴者からも「見てりゃ分かることを

しゃべる必要はない」という声が出始めました。

ちょうどそのころ、私はフジテレビに入ったのですが、当時の

アナウンサーたちは「それじゃあ、われわれは何をしゃべり、

何をしゃべらないのか?」についてまだ迷っていました。


実は、この「見りゃ、分かる」をどう考えるかはとても難しい

ところなんです。言葉通り、画面を見ていれば、現場で何が

行われているかがすべて分かる人もいるでしょう。

一方、本人は分かっているつもりでも理解が間違っていたり、

まったく分からない人もいるはずです。


先輩たちが迷っていたのは、どこを“落としどころ”にするか、

ということだったのでしょう。また、競技によっては、画面で

すべて見えていても、実況がないと物足りないものもあります。

ボクシングなど、格闘技が典型的な例ですね。

雰囲気的に、ないとおかしな競技もあります。

競馬中継に実況がないと落ち着きませんよね。

お金がらみですから、アナウンサーには“絶対ミスはできない”

というプレッシャーがかかりますが。

最後に、非常に微妙な、“盛り上げるため”の実況があります。

ハハハ。

つまり、見えていることでも、アナウンサーが実況することで

視聴者の興奮をさらに高めよう、というわけです。

その弊害がここ10年ぐらい激増している「絶叫型」の実況では

ないでしょうか?

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年齢的なことでしょうが、この夏のスポーツ中継、暑苦しくて

仕方がありません。ハハハ。

バレー・ボールのワールド・グランプリ、世界水泳、サッカーの

東アジア選手権、世界陸上…まず、スタジオが熱すぎて!! 

誰が どう、ということではありませんが、生理的にどうしても

受付けないんですからしょうがないですよね。

「この演出が本当に必要か?」「視聴者はこれが好きなのか?」と

考え込んでしまいます。


アナウンサーたちの気持ちを考えると複雑です。

局の方針もあるでしょうから、アナウンサーばかりを責める

ことはできませんがね。今年は、水泳や陸上で、独りよがりの

“古舘節”を聞かないですむのが唯一の救いでした。


「数字を上げるためなら、金に糸目はつけない。何をやっても

いいから」と、1995年のバレー・ボール、ワールド・カップの

中継を任された私の親しいプロデューサーは、バレー中継の

経験の浅い三宅アナをメインに据え、ネット局から“絶叫系”の

アナウンサーを二人呼びました。

「どうですかね?」と聞かれたとき、「そんなの無理だよ」と

答えました。私の言葉に関係なく決めてるくせに。ハハハ。


しかし、分からないものです。ふたを開けてみると、三アナを

のぞけば、テクニックも何もないやかましいだけの放送なのに

“いろどり”として起用したV6の効果もあって、前回大会を

大きく上回る視聴率をたたき出したのです。私の“認識”では、

プロレス以外で、絶叫型が誕生したのはこのときです。


あっという間に、どの局も足並みをそろえて、スポーツ中継は

実況中継ならぬ「絶叫中継」になっていきました。

アナが絶叫する理由ですか。いくつか考えられます。


・局の方針に従っている

・かっこいいと思っている

・視聴者の共感を得ていると思っている

・盛り上げる方法をほかに知らない

・この場面を伝えるにはこれ以外にないと思っている・・・


こんなところでしょうか。


本にも書きましたが、“状況を考えずに”絶叫すると視聴者に

嫌悪感を与えるのだと思います。とても難しいことですが、

絶叫する場面が視聴者の気持ちの“高まり”とシンクロすれば

違和感はないはずです。


絶叫はなんとか我慢できるとしても、“事実”に目をつぶって、

「まだチャンスはある」「巻き返せる」と、解説者も巻き込んで、

視聴者を間違った方向に引っ張っていく昨日のマラソンの

ような放送の仕方は勘弁して欲しいですね。

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少なくとも、WOWOWに来てからの私は、“癒し系”とか

“絶叫とは対極にいるアナ”とか言われ、いくつかのサイトに

取り上げられたことがあります。“縁側のひだまり実況”と

評した視聴者もいました。あちらは褒めたつもりではないかも

しれませんが、気に入ってます。ハハハ。


私も、「絶叫」しないわけではありません。ここという場面では、

放送上の効果を狙って、声を張り上げることもしばしばですが、

実況全体のトーンがかなり“おとなしめ”なので、そんな印象を

与えるのでしょうか。

今のスポーツ中継はどこの局もにぎやかな演出を好む傾向に

向かっています。若いアナほど、その方向に“合わせた”実況を

しなくては生き残れないでしょう。

しばらくは、“オーソドックスな”実況をするアナウンサーが

出てくる可能性は低いかもしれません。


ここ数年は、Jリーグや高校野球に出てくる若いアナの中には、

かつてのNHKにはいなかったような絶叫型アナウンサーが

時々います。アテネ・オリンピックでもかなり絶叫する人がいて

びっくりしました。「ブルータス、おまえもか?」。ハハハ。


時代とともに、年寄りには、だんだん見るものがなくなって

住みにくい世の中になってきました。ハハハ。

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# by toruiwa2010 | 2017-12-10 08:30 | アーカイブから | Comments(0)
# by toruiwa2010 | 2017-12-10 06:37 | blog | Comments(0)

独特の、紙のにおいがたまりませんでした。

“それなりに”苦労して書いた原稿が形になったのです。

2002114日、出来上がって、届けられた本の山を

目にしたときの感動を忘れることはありません。

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「絶対、本を書くべきですよ」という後輩の言葉に背中を

押されるように、スポーツ・アナとしての自分を振り返る

原稿を書き始めたのは前年の6月、全仏オープンの出張を

終えたあとでしたから、完成まで1年半かかっています。


出版社を探す努力もしませんでしたから、500冊限定の

自費出版になりました。

タイトルは「WOWOWの岩佐ですが なにか?」ハハハ。


視聴者には抽選で差し上げたのですが、外れた方の中から、

残念と言う声が届いていました。

2003年に始めたHPのコンテンツに「MY BOOK」として

全文を再録しました。“ハプニング”のため中断しましたが、

先日、ようやく完了しました。( 2011.08.06 )


棚の上の自分 ( 2004.09.20 初出 )


タイトルの意味は、「自分のことは棚に上げて」です。念のため。ハハハ。


ちょうど「リーガ・ゲッツ」のころ、「MY BOOK」の更新が

デンジャラス・ゾーンにさしかかっていました。そこで、

無用の摩擦は避けようとアップを中断しました。

自伝的な部分や「アナウンス論」などは、賛否があっても

それなりに読んでいただけると思いましたが、「テレビで人気の

アナたち」で取り上げている“同業者”たちには固有のファンが

いらっしゃいますからね。

「ちょっと、“トーンダウン”させておこうか」と考えないでも

なかったのですが、それでは、そもそもこの本を書いた意味が

なくなってしまうので、“まんま”更新できる状況になるまで

中断することにあしたのです。

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本を書き始めた当初は、必ず出版社を見つけられると思って

いましたから、書店に並ぶことを想定して書いていました。

「でも、本音は隠さないように書こう」と考えていました。

逆に、残念ながら自費出版になったときに「プライベートな

ものなら、もっと激辛にしようか」とも思いませんでした。

“元の文章”を知っているのは自分だけですが、だからといって、

状況しだいで中身を変えるのはフェアではないと考えたのです。

その流れで行けば、HPに再録するときも“オリジナルのまま”が

正解でしょう。


今回、アップを再開すると決めたのは、「1年たったから、もう

いいだろう」ではありません。

2回分を残して長く中断しているのは気持が落ち着かないのと、

そこまで読んでいただいた方たちもきっと“中途半端”だろうと

考えたからです。

でも、特に山本、倉敷アナには強烈なファンが多いからなあ…

って、まだ迷ってます。ハハハ。


いや、この結果として「彼らも好きだが、岩佐も支持する」と

言って下さっていた方たちにそっぽを向かれても仕方がないと

覚悟はできてますから大丈夫です。

それに、書き始めた動機のひとつにこの部分があるのですから、

今になって動揺したらおかしいのです。

参照

MY BOOK 49(山本アナ) http://bit.ly/2j0iGDt

MY BOOK 50(倉敷アナ) http://bit.ly/2nC8ySC


この本では、ずいぶん勝手なことを書かせてもらいました。

若手にはかなり厳しいことを書いています。しかし、少し前に、

NHKの島村アナと話したときに、私が「今の若手たちは

僕の若いころにくらべると はるかにうまい」と言ったところ、

彼も同感でした。彼が私とまったく同じことを感じているか

どうかは分かりませんが、少なくとも私は、フジテレビ時代の

自分の実況を今聞くと「情けない」と思います。


02年の暮れから自分の古いテープをDVDにコピーする作業を

しています。懐かしさから、時々聞いてみると、盛り上がった

場面でのけたたましいしゃべり、解説者おいてきぼり、自説の

押し付け、情報の押し売り…若手に「やっちゃいけない」と

今、お説教していることをそのまま実践している若い自分が

そこにいるのですから やり切れません。


その場に居合わせた後輩のアナが「今の若手は昔の人の実況を

“たたき台”にして、それに上乗せしているんですからうまくて

当然ですよね」と、フォローしてくれました。

便乗するわけではありませんが、それはあるかもしれませんね。


アナウンスにかぎったことではなく、たとえば、スポーツの

どんな種目を見ても、10年前にくらべれば、今の選手の方が、

肉体面はもちろん、テクニックも戦術眼も優れています。

それは、先輩のいいところを学び、新しいものを積みあげて

いった結果だろうと思います。


なんだそうなんだ、ま、そんなに下手だったわけじゃないし、

「フジテレビ 将来のエース」とか言われたこともあったしなあ。

ハハハ。


冗談はともかく、若い人の中には“達者なアナ”が大勢います。

怖いのは“達者”だと、自分に酔ってしまいがちなことです。

アナウンサーが考えなければいけないのは「自分が納得するか」

ではなくて、「視聴者が面白いと思うか」なんです。

ただし、自分のスタイルは守りながら、視聴者が求めるものを

織り込んでいくことが大事で、「迎合する」「おもねる」のとは

違います。微妙なところですが、そこをしっかり認識しないと、

せっかくいい素質を持っていても視聴者にそっぽを向かれる

アナウンサーになってしまうでしょう。

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私は、去年の夏、とうとう世界水泳を楽しめませんでした。

生理的に“古舘節”を受け付けることができず、ボリュームを

上げる気にならなくて、チャンネルを変えてしまいました。

そういう視聴者は多かったと思います。

前回も同じ批判はあったはずですが、テレビ局が同じやり方を

選んだのは、“成果”があったと見ているからでしょう。

何度も書いていますが、スポーツ実況のよしあしに関しては

絶対的な“物差し”がありません。すべては人それぞれの好みで

決まりますから、いろいろなスタイルがあっていいと思います。

しかし、おのずから、落しどころ、最大公約数があるだろうと

思いたいのですが、その答えがああいう放送だとは思えません。 

悲しいことに、スポーツそのものを愛する人たちにとっては、

この“受難の時代”はまだまだ続くことになりそうです。トホホ。


古舘アナは「報道ステーション」の司会者になりました。

当然ながら、キャスターとして、私が“現代の講談”と名づけた

スポーツ実況とは違う方向を目指していますが、まだ答えは

見つかっていないようです。“才人”であることは誰もが認めて

います。この先どんなスタイルを作り上げるのか、皮肉でなく、

とても楽しみです。


こう書くと、自然の流れで「お前はどうなの?」となりますよね。

私は、2004年でサッカーの実況から足を洗いました。いわば

“半分隠居状態”ですが、現役アナとして仕事をしている以上、

常に批判の対象にされることは避けられません。

特に、これから先は、「衰えた」、「口が回らない」、「反応が遅い」

などの指摘はますます増えるでしょう。それは、私自身にも

十分、自覚があります。ハハハ。


年齢から来るこうした現象は止めようがありません。

ただ、今でもそれなりに応援してもらえるのは、そういった

マイナス面を補うなんらかの要素が私の実況の中にあるのだと

自負しています。

それがなかったら、私はとっくの昔に、マイクを置かざるを

得なかっただろうと思います。

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くどいようですが、細かい点はともかく、自分のしゃべりには

納得しています。40年以上の経験で、一応“自分のスタイル”を

見つけたつもりですが、視聴者がどう感じるかはまた別の話です。

実況アナウンサーとしての“ゴール”は見えていますが、時間と

競争しながら一人でも多くの方の共感を得られるような実況を

していきたいと考えています。


*この記事を書いた1年後、“現役生活”に

終止符を打ちました。

これでも、実況についてのエントリーを書くとき、

現役中は多少の遠慮があったのですが、辞めてからは

なくなりました。“タガ”が外れたのです。

現役の後輩には迷惑な話でしょうが。

ハハハ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-09 08:15 | アーカイブから | Comments(0)

探偵はBARにいる 80


一面の雪に覆われた札幌郊外。

畑の中の一本道を一台の大型トラックが走っていた。

やがて、行く手に小型のバンが道路をふさぐ形で止まっていた。

トラックを運転していた男はぶつぶつ言いながら、運転席の

横に放り出してあった拳銃を手に取ると降りて行った。


バンの屋根を叩きながら「なにをしてんだよ」と怒鳴る男に

応答するように一発の銃声が響いた。車の中から撃たれたのだ。

弾かれるようにうしろに飛んだ男はそのまま雪の上に倒れ込んだ。


バンから降りた人物は、トラックの後ろに回り、扉を開けた。

毛ガニの箱が山積みになっている。黙々と、荷物をバンの

荷台に積み替える様子をトラックの助手席からふるえながら

見守る女がいた。麗子(前田悦子)だ。


市内の高級クラブでは、探偵 (大泉洋)が集めた関係者を前に

別の事件の謎解きをしていた…

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シリーズの3作目になります。探偵と、北大の研究所に籍を

置きながら探偵の助手兼運転手をつとめる高田(松田龍平)

呼吸もぴったりです。探偵の粋がりかたも高田のとぼけ具合に

くすくす笑っているうちに物語は勝手に進んでいきます。

あそこがおかしい、ここが変…と突っ込んでも始まりません。


松重豊、リリー・フランキーらが見せる“なりきり”ぶりなどを

楽しんでいるうちに映画は終わります。ハハハ。


大泉洋…なかなか達者な俳優です。で、俳優にしてはトークが

秀逸ですね。この人が出るバラエティはほとんど見ています。

爆笑することは少ないですが、脇腹をくすぐられているような

笑いが止まりません。この人の持ち味で、「探偵は…」も同じ

テーストで仕上がっています。


今回が第3作ですが、過去2作も私の“感想点”は80でした。


80


東京の南に浮かぶ離島、美浜島が津波に襲われ、生き残った

島民たちは散り散りになった。

20年後、中学生だった信之(井浦新)は川崎市役所の職員になり、

結婚して一人娘、椿の父になっている。


閉塞した島で唯一 信之が心を許す相手だった同級生の美花

(みか:長谷川京子)は東京に出て女優になっている。


島では弟分だった輔(たすく:瑛太)は同じ川崎市内の工場で

溶接工として働いていた。汚い木造アパートにしばしば女が

通ってくる。信之の妻、南海子(なみこ:橋本マナミ)だ…

信之、輔、美花の三人は島で起きた秘密を共有しています。

あることをきっかけに、信之が美花の頼みを受けて裏山の森で

島を訪れた男を殺し、輔はその遺体をカメラに収めたのです。


三浦しをんの原作を映画化したものですが、物語が物語だけに

全編、かなり重苦しい空気に覆われています。加えて、何回か

挿入されるシンボリックな音楽が観客の神経を逆なでます。


圧倒されるのは瑛太と井浦の演技力です。二人の才能なしには

この映画は成立しなかったと思います。

橋本マナミ…うーん。頑張ったことは認めますが、この二人に

はさまれるとかなりつらいですね。脱いでくれた“うしろ姿”、

あまりきれいじゃなかったし。生活感は出たかもしれないけど、

監督の狙いは“そこ”じゃなかったと思います。ハハハ。


きわどいシーン、セリフがある映画です。

14歳の美花を演じた女優が17歳だと聞いてほっとしました。

きっと、納得して出演したのだろうと思えるからです。

幼稚園児、椿は変質者に連れ去られる役でした。6歳の子役は

間違いなく何の自覚もなくセリフを言わされたのでしょう。

将来、いじめの材料にならなければいいがなあ、と思います。

映画を見て、俺はいったい何を考えているのだろう?
ハハハ。

# by toruiwa2010 | 2017-12-08 08:22 | 映画が好き | Comments(0)

189人乗りの旅客機がたった1人の乗客を乗せてイギリスから

ギリシャに飛ぶ“珍事”があったという。料金は7000円弱。

今年、グラスゴーからクレタ島に飛ぶ“最後の便”だったが、

折り返し便は満杯状態だったそうだ。

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貴重な経験をしたグリーブさんによれば、正副機長をはじめ、

乗務員全員が揃い、離陸前には乗務員による緊急時の対応の

アナウンスも行われたそうだ。一人でも手は抜かない。ハハハ。


私が初めて海外に行ったのは1971年の夏だった。

台湾で開かれたリトルリーグ極東選手権の中継のため、台北に

飛んだのだが、給油のために立ち寄った“返還前の”那覇でも

パスポートが必要だった。

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世話になった台湾中央テレビの幹部が大会前に歓迎会、中盤で

激励会を開いてくれた。“実態”は 社員を集め、私たちをダシに

飲んだり食ったりしていただけだと思っているが。ハハハ。

困ったのは、円卓を囲んだ“敵”のメンバーが次々にやってきて

「岩佐さん、かんぺえ(乾杯)と言ってくることだった。あちらの

正式な流儀はウイスキーグラスの紹興酒を顎をあげて飲み干し、

底を相手に見せることだと聞かされていたからだ。どちらかと

言えば、あまり飲まない方だった二人は“へべれけ”にされて

午後の取材ができなくなった。ハハハ。

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もう一つの思い出すのは持ち帰ったビデオテープのこと。

そのころの業務用のテープは幅が2インチ(5センチ)あって、

ものすごくヘビーだった。

その“ヘビーな”2インチ・テープを持って帰国したとき、

ボーイング727に乗ったが、客はディレクターと私だけ。

客室乗務員たちは後方の席でずっとカードに興じていた。

ハハハ。


似た経験は、ほかに一回。

20081219日、「クライマーズ・ハイ」を見に行った渋谷・

シネマGAGA200ほどの座席があったが、係の人がドアを

閉めたとき、客は私一人だった!


# by toruiwa2010 | 2017-12-07 08:15 | blog | Comments(0)

日本でも知られている大物コメディアン、ビル・コスビーが

性的暴行で告発されたことが数年前からネットを賑わしていた。

聖職者も性犯罪にかかわるし、彼らの総本山、バチカンからも

聞きたくない話が伝わってきた。

日本では、朝の超人気番組で長く司会をつとめた大物MC

アシスタントの女性アナに触った触らないで騒ぎになった。

今年になって、ハリウッドのプロデューサーが告発されたのが

“きっかけ”になって()、さまざまな分野の男たちがやり玉に

挙げられている。そして、ほぼ毎日のように、誰かが、標的に

なっている男にこんなことをされた、あんなことをされた…と

訴えている。

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ちょい悪…いい顔立ちだし、セックス・アピールもある。

人気司会者だった理由も分かる気がする。

来月号からでも「LEON」の表紙を飾れるんじゃないだろうか?

おつかれさん、ジローラモ…だね。ハハハ。


男の名前はマット・ラウア―。アメリカNBCの朝のショー、

TODAY」のアンカーを20年以上つとめてきた。

先週の水曜日の番組で、突然 彼の解雇が視聴者に告げられた。

月曜日の夜、同僚(女性)が幹部に訴え、火曜日の夜には解雇が

決まったという。それほど、“救いよう”がなかったのだ。


ラウア―の“不適切な”行為はソチ五輪の舞台、ロシアで始まり、

帰国後も続いたとされ、幹部は問題が一人だけに留まらない

という確信に至り、早々に決断したそうだ。

ラウア―の親しい友人でもあるNBC NEWSの会長が電話して

直接伝え、ラウア―は受け入れて「悔いている」と話したという。

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“主役”がビッグネームというだけで、今は世界中で起きている

セクハラ騒ぎ…特にアメリカでは つい先日も有名な指揮者が

80年代の少年に対する性的虐待で訴えられている。 この際、

一気に“ウミ”を出し切ろうという女性たちの強い意気込みが

伝わってくるような広がり方を見せている。

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そのせいか、続報・詳報に出てくる話が “割り引いて”聞いても

“おぞまし”すぎる。さすがの私の筆も鈍るほどだ。ハハハ。

あえて紹介すると、映画「レ・ミゼラブル」公開の直後に女優

アン・ハサウエーがゲストでスタジオに来たとき、挨拶のあと、

いきなり、数日前のレッドカーペットで起きた“事件”に触れた。

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このドレスで会場に現れた彼女が車を降りるとき、待ち構えた

パパラッチに”不適切な”写真を撮られてしまったのだ!

気持ちを込めた映画が公開された直後に人気番組に呼ばれて

高揚していたに違いないハサウエーだが、冷水を浴びせられた

気分だっただろう。忘れたかったはずのインタビューなのに、

今度の“事件”でネット上に流れている。気の毒に。


ラウア―の部屋のデスクの下にはドアをロックするリモコンの

ボタンが仕込まれていた(!)という話さえあった。驚くことに、

ほかの幹部もやっていると証言する女性幹部の証言もある。


気の毒なことに、オランダ出身で元モデルの奥さんはどうやら

ハンプトンの家を出て故国に帰ったようだ。結婚生活は20年、

10年ほど前に夫人が離婚訴訟を起こしたが、彼は“イメージ”を

守るために5億円を妻に払うことで訴訟を取り下げたそうで、

もともと“仮面の夫婦”だったのかもしれない。十代の子どもが

3人いるそうだが、どうしているのか?

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私が初めてSexual Harassmentという言葉の存在を知ったのは

1960年代だったと思う。

アメリカ兵や家族向けのFEN (Far East Network:現AFN)

音楽を聴いていると、兵士に呼び掛ける告知の中にこの言葉が

なんども出てきた。「あってはならないこと」、「被害を受けたら

委員会に報告しなさい」という内容だったと記憶する。

アメリカの軍隊ではそのころから女性兵に対する嫌がらせが

大きな問題になっていたのだと思う。


当時は、アメリカでも“ハラスメント”とは女性に対する性的な

嫌がらせ…というとらえ方だったと思うが、今では、パワハラ、

モラハラ、マタハラ、アカハラ…と範囲が広がっている。

今回、超人気の司会者が職場で同僚にセクハラに及んだ。

その後もメトロポリタンの有名指揮者による“少年”に対する、

テレビで有名になった女性歌手による“女性の友人”に対する

わいせつ行為の訴えが出ている。複雑多岐…。

そして、とどまるところを知らない。


“対岸の火”と思わない方がいい。

アメリカで“はやった”ものはわずかな時差で日本を襲ってくる。

スネにきず持つ輩は今からスネと首を洗っときなさい。ハハハ。

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余談だが、アメリカTIME誌が発表した“今年の顔”の候補の中に

#METOO Movement が入っている。ハリウッドの制作者の

セクハラが明るみに出たあと、多くの人がこのハッシュタグで

自分の被害体験をツイートしているそうだ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-06 08:35 | 岩佐徹的考察 | Comments(0)

手間はかからない。“料理”とは言わないかな。

しかし、卵かけごはんには、名人が数時間かけて作った

どんな料理にも負けない魅力がある。

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決して上品な食べ方ではないかもしれない。

しかし、白いごはんと生卵としょうゆ…これだけあれば

いいのだから、卵かけごはんは優等生メニューだ。

しょうゆを使うことになるので、血圧が高くなってからは

“自粛”していた時期もあるが、数年前に復活した。


単純なようだが、人によってやり方はいろいろだ。

たとえば、丸ごと派黄身だけ派

私は断然 後者だ。つまり、ご飯にかけるのは黄身だけだ。

白身と一緒にかけたときの“べちゃべちゃ”感が嫌いだから。


卵をどのようにかけるか…も流派が分かれるようだ。

私はこうだ。というか、ほかの方法で食べたことがない。

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卵は2個。

ごはんにかけるのは黄身だけ。

ごはんの中央に箸で“くぼみ”を作る。

くぼみに黄身を落とす。崩さずに。

ごはんになじむようにまぜる。

しょうゆを注ぐ。

食べる。


知らなかったが、ネット情報によると、黄身だけ&2個を

“セレブ食い”と言うらしい。ハハハ。


ちなみに、妻はごはんを半分よそう。

黄身だけを落とす。

醤油をかける。

その上にまたごはんをのせる。

食べる。


…卵がいい感じに蒸れると言う。

やったことがないので本当かどうか不明だが。ハハハ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-05 08:00 | 旅に出る食べに行く | Comments(2)

“情報”を得て、金曜日に京都に行ってきました。

9月ごろから、妻が「原谷苑に行ってみたい」としきりに

言っていました。そこは、桜で有名な農園です。

いつごろがいいのか見当がつかずHPをのぞきに行くと

「開園したら知らせる」となっていました。


前回(1113)、芦屋に行く“ついでに立ち寄ったとき、

京都の紅葉は見ごろまで1週間…という感じでした。

20日ごろから毎日 何度もHPをチェックしましたが、

”開園のお知らせ”は一向に掲載されません。

”朗報”が届いたのは先週水曜日の夜でした。


天気予報を検討して“金曜日がベスト”と判断しました。

桜ともみじは日差しが不可欠…が私のモットーです。

ハハハ。

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小田原は曇っていたのに、三島から晴れてきました。

新富士を通過するときはこの通り。幸先よし。

名古屋までは見事な晴天で“なんだかんだ言われるが、

お天道様は見てらっしゃるわ”と悦に入っていたのに

米原付近から一気に雲が増えました。いかん、調子に

乗ったからだ…と反省する私。ハハハ。


京都につくと、雲はあるものの、日差しも出ていて

これなら大丈夫だと、何度目かの“元気”をもらって

農園を目指しました。

金閣寺より北にあり、大文字焼の”大”の字の西側です。

最後はかなり急な坂を上るのですが、紅葉はゆっくり

進むようです。

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きっと混んでいると覚悟していましたが、案に相違して

私たち以外に誰もいませんでした!

“案に相違”は紅葉にも言えて、かなり“残念”でした。    

原谷苑のせいではなく、勝手に大きく期待したこちらが

悪いのです。“名誉”のために書いておきます。ハハハ。

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結局、原谷(地域の名前)で最高のもみじは道中にあった

民家の一本でした。みごとな赤でした。今年一番です。

眺めて、飽きることがありません。

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運転手さんが近くの龍安寺に連れて行ってくれました。

「ちょっと遅いかもしれないけど」と言っていましたが、

いやいや、とんでもない! なかなかでした。

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京都駅の伊勢丹で久しぶりに“はつだ”の牛肉弁当を買い、

車上の人となりました。

520分に家を出て、帰宅したのは150分でした。

この元気があれば、あと、12年は大丈夫そうです。

ハハハ。

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おまけ

原谷苑の桜はこんな具合です。

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# by toruiwa2010 | 2017-12-04 07:56 | 旅に出る食べに行く | Comments(0)

原油高騰 (20058月初出)


カリフォルニアの明るい日差しを浴びて、オールズモビルに

よりかかってポーズをとるのは、そう、若き日の私です。

ときは1979年です。私はこの年ほぼ1シーズン、アメリカに

滞在してメジャー・リーグを追いかけていました。

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車のナンバー・プレートが読み取れるでしょうか?

面倒を見てくれていた日系二世のトム田山氏は時間の経過と

ともに私たちのことを実の子供のように気に入ってくれて、

とうとうプレートを「FUJI TV 8」と変えてしまったのです。


この1979年はイラン革命をきっかけに石油の値段がどんどん

上がっていった第2次オイル・ショックの年でした。

石油の高騰はガソリンの値上がりにつながり、ついにこの年、

1ガロン(3.79㍑)1ドル”を突破しました。

それでも日本にくらべればはるかに安いのですが、それまでの

80セント程度の値段になれているアメリカ人も“1ドル突破”は

さすがに驚きに値する出来事だったようです。

高くてもあるうちはまだよかったのです。

トムが住む「車の街」ロサンゼルスでは、とうとうプレート

ナンバーの末尾が偶数の車は偶数日だけ、奇数の車は奇数日しか

買えなくなり、長い行列が出来たスタンドでは、イザコザから

殺人事件まで発生する事態になりました。

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トムの要領のよさでピンチを乗り切りましたが、記者席では

毎日のように「今日は4時間も並んだよ」、「オレは3時間半も

待ったのに2台前で終わっちまった。明日はタクシーで来て、

帰りはワイフに迎えに来てもらわなくちゃ」といった会話が

交わされていました。


とばっちりを受けためじゃー・リーガーもいます。

ドジャースのダスティ・べーカー選手(前サンフランシスコ・

ジャイアンツ監督)です。

5月15日、ドジャースは10日間のロードに出発したのですが、

ボーイング720型機を改造したチームの専用機 Kay O.2号の

機上にべーカーの姿はありませんでした。

彼のためにガソリンを入れに行ってくれた弟がぎりぎりまで

待っても戻らず、隣人に頼んで空港まで送ってもらいましたが、

飛行機は出たあとだったのです。


当然、罰金の対象になるのですが、自腹でアトランタまでの

ファーストクラスのキップを買い、勝利に貢献したこともあり、

事情が事情だからというわけでめでたく無罪放免になりました。

エア・チケット代の本人負担はそのままでしたがね。ハハハ。


あれから26年が過ぎました。

ニュースを見ていると、アメリカのガソリンは今、1ガロンが

2ドル60セントを上回っているようです。1リットルにすれば

80円ぐらいですから、それでも安いのでしょうが、26年前に、

スタンドのそばを通過するときにトムが発した「Look at that!

(見ろよ)1ドル3セントだぞ!」という声が思い出されます。


あきらかに年齢のせいですが、世間で何かが起きるとすぐに、

はるかむかしの出来事に結び付けてしまいます。ハハハ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-03 08:10 | アーカイブから | Comments(0)

映画って最高 !!

非日常の世界に遊ぶ~( 2011.07.29 初出 )

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うかつなことに、この時代だから映画館での上映もDVDなど、

デジタルっぽい技術を使っているものだと思っていました。

先日、新宿の映画館で「フィルムなんですか」と尋ねてみると、

「ええ、フィルムですよ」と、“この爺さん、何を当たり前の

ことを聞いてるんだ?”的な顔をされたので、そのあとの質問は

呑み込んでしまいました。ハハハ。


私が子どものころ、フィルムはいくつかの映画館で“使いまわし”

していました。若い従業員が 自転車の荷台に四角いフィルム・

ケース(40x40㎝ぐらい?)をくくり付けて、次の映画館の

上映時間に間に合うように、と懸命に走っていたものです。

急ぐあまり転ぶことも、途中でひもがゆるんで落としたことも

あったでしょう。フィルムの到着が遅れて、待たされるなんて

こともしばしばありました。ハハハ。

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映画好きだった母に連れられて、小さいころからよく西荻窪の

劇場に行きました。子供向けの映画はあまりなくてほとんどは

母好みの“恋愛もの”でしたが、十分楽しみました。

簡単に火がつくフィルムがすぐそこにあるというのに、当時の

映画館は“禁煙”ではありませんでした!!

むらさき色の煙を縫うように光が前方に走り、スクリーンに

映像を映し出す光景や後方で回っていた映写機の音が鮮やかに

よみがえります。「シネマ・パラダイス」の世界です。


20059月いっぱいでWOWOWとの契約が終了し、現役を

引退しました。予想したことでしたが、外出の機会が減って、

人との会話が減りました。少しずつ、社会との接点が失われて

行くのを肌で感じ「こうして、人は老けこんでいくんだな」と

思ったものです。いずれ、皆さんも分かります。ハハハ。


“現役”時代は 忙しかったこともあって、飛行機やテレビで見る

ことで満足し、わざわざ、劇場に出かけてまで映画を見よう

という気にはなりませんでした。

引退後、ひさしぶりで見るようになったのは、時間的な余裕が

できたこともありますが、“外出の機会を増やす計画”の一環でも

あったのです。ハハハ。

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2007年に54本、2008年には77(テレビ・DVDを含めれば

100本以上)と劇場で見る機会が増えて行き、おととし、去年と

2年続けて100本を越え、大震災があったため3月~4月の

ペースが落ちた今年も110本ペースです。


…逆に このおかげで楽しみが一つ減りました。

以前は、毎月20日過ぎにWOWOWのプログラムガイドが

届くと、「来月はどれを見ようか」と印をつけたものですが、

ここ数年は「あれも見た、これも見た」で、印をつける映画が

激減してしまったのです。


私にとって、旅、食べ歩き、マージャン、読書、音楽と並んで、

映画は老後を過ごす上で大きな楽しみです。

劇場で見ても、DVDで見ても、俳優の力を借りて非日常

世界に遊ぶことが出来る映画は大きな喜びを与えてくれます。

家から近い渋谷、吉祥寺、新宿はもちろん、銀座・日比谷・

有楽町界隈の映画館はすべて“制覇”したはずです。

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一番大きいのはたぶん、日劇のスクリーン1 (900人以上収容)

逆に小さかったのは渋谷のライズ X(38席:去年 閉館)です。

よく、消防署が何も言わないなあと行くたびに思っていました。

ハハハ。

最近の映画館はいろいろ工夫があって見やすくなっていますね。

スロープがあったり、前の席と微妙にずらしてあったりして、

昔にくらべ、鑑賞環境は格段に上がっています。

もっとも、先日出かけた三原橋のシネパトスは、前後の座席が

まともに重なりあっていたため、153センチの妻は子供用の

補助シートを借りていました。最後方の席でしたから誰にも

迷惑をかけず、座り心地もよくて、快適だったようです。

ハハハ。


見に行くのは基本的にウイークデーですから、そんなに混む

ことはありませんが、後方の通路側が第一希望なので、いつも、

上映開始の30分前には着くように家を出ます。

よほどのことがない限り希望はかないます。それどころか、

2008年に「クライマーズ・ハイ」を見に行った渋谷のシネマ

GAGAでは200ほどの座席に客は私だけという“ぜいたくさ”を

味わいました。飛行機なら飛ばなかったかもしれません。

ハハハ。


現役中から始めたHP(ブログ)はテニスねたが中心でしたが、

引退したあとは書く材料に困ることが多くなり、いろいろな

ものに手を出しています。ハハハ。

その一つが映画のレビューです。

素人の“感想”の域を出ていませんが、“もったいない”ことに、

参考にして下さる方もおいでのようです。

誰かの役に立つのは気分がいいものです。


映画館を出たときの“直感”で点数をつけています。

評価の基準は…


95:皆さんに、お勧めしたい

90:自分としては大満足だった

85:見るに値する作品だった

80:料金分は楽しめた

75:見なくてよかったかも

70:金と時間を返せ


12月下旬に、その年のNo1を決めています。ちなみに


2006年:「父親たちの星条旗」

*一般的には「硫黄島からの手紙」の方は高い評価でしたが。

2007年:「ミリキタニの猫」

*直後は100点をつけたほど高く評価しましたが、他作品との

 バランスで年度末に95点に。

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2008年:「イントゥー・ザ・ワイルド」

*「歩いても 歩いても」など3本とともに95点。

最も気に入ったのはこの1本でした。

ただし、1年の終わりの判断は「おくりびと」がNo1でした。

微妙に変わります。ハハハ。


2009年:「フロストxニクソン」

*邦画のNo1は「沈まぬ太陽」を抑えて

「ディア・ドクター」でした。


2010年:「春との旅」

*洋画No1は「ハート・ロッカー」を抑えて「インビクタス」。

また、審査員特別賞として「ハーブ&ドロシーでした。

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***2011年以後のNo1についてはいずれ機会を見て

 まとめて書きます(2017.12.03 ) 


・・・“年に100のペースがキープできるのはシニア料金が

1000円のおかげです。ただし、“手当たりしだい”に見るかと

言えば そうではありません。

アニメ、ホラー/カルト、SF/近未来ものなどにはまったく興味が

湧かないのです。友人に勧められた「アバター」はどうしても

食指が動かず、“覚悟を決めて”見に行った「第9地区」は

40分ほどで途中退場、SF的なものと知らずに見た「わたしを

離さないで」も登場人物が“クローン”だと分かってからは

見続けるのが苦痛でした。

このジャンルこそ“非日常”そのものなんですが、私が求める

ものとは違います。


それなのに、最近、予告編の5本に3~4本はこのジャンルの

映画という体たらく

だんだん、見たい映画が減って行く。嗚呼。ハハハ。


# by toruiwa2010 | 2017-12-02 07:57 | Comments(0)