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岩佐徹のOFF-MIKE

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「ウォーリーが死んだ~Baseballを持ち込んだ男~」11/03/02

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フジテレビに入社してグラウンドで選手たちと触れるようになったのが
1963年の夏だったから、1962年限りで引退した与那嶺要のプレーを
間近で見ることは残念ながらなかった。
少年のころから、いい選手、うまい選手を金の力で根こそぎさらっていく
“読売巨人軍”が嫌いだったが、のちのONや高田繁を除くと、二人だけ
好きな選手がいた。

一人は、子供心に“このおっさん、面白いな”と思った千葉茂だ。
“紳士”が多い巨人の中にあって着るものもプレーぶりも“野人”だった。
日本野球史に残る名セカンドと言っていい。
そして、もう一人が与那嶺だ。
1951年のシーズン途中に入団していきなり“スマート”な野球を見せた。
ここで言うスマートは“頭のいい”という意味だ。
それまで日本で見せられていたのが“野球”だったのに対してハワイ出身の
彼が持ち込んだのはまさに“ベースボール”だった。
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来日間もない頃、三塁線へのバントヒットを鮮やかに決めてファンばかりか、
両チームの監督選手たちさえ唖然とさせた。
体を開き気味に三塁線にボールを転がす“セーフティバント”という発想は
それまでの日本の野球にはなかったのだ。

そして、物議をかもしたのは“フック・スライディング”だ。
片足を“フック=かぎ型”に曲げて滑って行くやり方だった。
ダブルプレー阻止のとき、打者走者をアウトにさせないために、2塁ベースを
カバーする野手の足を払うのが狙いだった。
なじみのない日本人内野手はいいようにやられてケガをする選手も出たりした。
ホームでのクロスプレーでもキャッチャーに体当たりすることがあって「乱暴だ」
「アンフェアだ」という声が挙がった。

“文化”の違いに悩んだこともあったらしいが、彼にしてみれば、選手として、
チームのために“義務”を果たしたにすぎないのだから、つらかっただろう。
30年近くの時間が流れ、1978年にメジャーの実況を始めて、何度もベース上の
“Collision”(激突)を見るたびに、「わあ、これはもめるだろう」と思った。
しかし、靴の底を見せて野手に突っ込んで行かない限り、もめることはなかった。
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ボールはすでにキャッチャーの手にあり、待ち構えているところに、滑らずに
体を丸めて肩からぶつかっていく。もんどりうってひっくり返るキャッチャーが、
それでも放さなかったボールを高々とかかげる。審判の右手が挙がる。
“You’re out !”スタンドがどよめく。アウトになった選手は、キャッチャーを
気遣うこともなく、淡々と自分のベンチに向かう。迎えるチームメートたちが
そのお尻を軽く叩いて行く…

やられた側が「アンフェアだ」と非難することは、まず、ない。立場が逆なら、
同じことをやるのだから当たり前だ。ハハハ。
「彼は、やるべきことをやっただけさ」で終わる。そこが潔いと思う。
与那嶺が“当たり前のこと”としてやって見せた数々のプレーは、日本野球が
スピーディーでエキサイティングなものになって行くきっかけだった。

ウォーリーが死んだ。

おまけ:お目覚め?
“冬眠”(?)でしょうか、しばらく顔を見せなかった“私”のクモが
ひさしぶりで姿を現しました。
元気で何より。ハハハ。
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by toruiwa2010 | 2011-03-02 09:56 | メジャー&野球全般 | Comments(8)
Commented by shin555 at 2011-03-02 13:01 x
現役時代は知りませんが、コーチの時を含め与那嶺監督にはたくさんの思い出が♪
なんと言っても私に初めて優勝の喜びを教えてくれたんですから。
小学3年から高校2年まで、つまり私が野球を知ってからず~っと
優勝していたジャイアンツを倒してくれたんですから!
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-02 13:04
shin555さん、こんにちは。

中日ファンでしたね。
日本プロ野球で初めて“インテリ臭”を漂わせた
名選手でした。
Commented by ysphoto at 2011-03-02 13:28 x
私も子どもの頃は中日ファンでした。昭和49年の20年ぶりの
優勝は当時10歳の私にとっても鮮烈でした。
しかも常勝巨人を破っての優勝に決定の瞬間、中日球場のグランドに
スタンドの観客が一斉に飛び降り、選手ファン一体の胴上げだったことを記憶しています。
なんだか、寂しいですね・・・
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-02 16:25
ysphotoさん、こんにちは。
私が覚えている中日の優勝は昭和29年です。
大好きだった西鉄ライオンズが杉下のフォークに
完ぺきにやられました。
杉下さんは、今も元気で、時々道ですれ違います。

30年ほど前の後楽園で、「最近のピッチャーは
フォークがすっぽ抜けたという。フォークってのは
すっぽ抜けるんだけどな」と言っていました。ハハハ。
Commented by 遊び人の優さん♪  at 2011-03-02 20:17 x
岩佐サン、こんばんは♪
自分にとっての(ウォーリー)与那嶺さんは中日の監督時代に
巨人のV10を阻止した監督のイメージが強いですね!

友人のお父さん(当時、自分が所属していた少年サッカーのコーチ
でもありましたが…。)が中日ファンで、
彼の家で観ていた記憶があります!

自分は祖父の代から巨人ファンでしたので「悔しい思いが…。」

ただ、いろんな方々のコメントを読むと惜しい方が…。って思い
なんでしょうかね!
(自分の親父がそんな事をメールで綴ってましたよ。)
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-02 20:43
遊び人の優さん♪サン、こんばんは。

アメフトや野球で鍛えた人ですから
85歳で逝くのは、早いと思わないでもないですが、
余生が幸せだったらしいですから。
Commented by akapon at 2011-03-02 22:45 x
岩佐さん、こんばんは。
中日の監督は覚えていますが、巨人のコーチもされていましたでしょうか?(違うかな)
セーフティバントやセカンドへのゲッツー阻止の為のスライディングなど
日本人に披露したまさに先駆者だったのですね。。。

先日、岩佐さんご自身ご推薦?!の「メジャー」の記事、楽しみに読まさせてもらっております。読みごたえありますね!
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-03 08:29
akaponサン、おはようございます。

巨人のコーチをしたことはあると思います。
ただし、短かったはずです。

そんなことより(ハハハ)、古いメジャーの記事を
読んでいただけることのほうが嬉しいです。
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