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岩佐徹のOFF-MIKE

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「BOAC機 富士山に !~大事件・事故のリポート~」11/03/22

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入社3年目が終わろうとする1966年の初めは航空機事故が連続して起きた。
2月4日、さっぽろ雪まつり帰りの客を乗せた全日空のボーイング727型機が羽田沖に
墜落した。ちょうど1ヶ月後の3月4日には、カナダ・パシフィック航空のDC8型機が
羽田空港への着陸に失敗して墜落・炎上した。どちらも、夜間の事故だった。
アナウンサーとしては未熟だったが、たまたま局にいたため、羽田空港からのリポートに
駆り出された。徹夜になり、ブリーフィングと放送の合間を縫って記者室の堅い机の上で
仮眠をとったことを思い出す。

3月4日は、徹夜明けで11時ごろ帰社し、宿泊室のベッドで横になっていた。
疲れているのに神経が研ぎ澄まされた状態でようやく眠りに落ちたかと思う間もなく
警備員に肩をゆすぶられて目が覚めた。「また、飛行機が落ちたので起きてください」
…初めは信じられなかった。
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空中分解した英国海外航空のボーイング707型機が富士山の二合目、太郎坊と呼ばれる
地点に落下したのだ。日本の航空機事故史の中でも珍しい、二日続きの大事故だった。
福島原発のニュースではしきりに“マイクロシーベルト”と言う専門用語を耳にするが、大きな出来事が起きたとき、人はそれまで聞いたこともない言葉に出会うものだ。

BOAC 機の空中分解では“セーテンランキリュー”だ。
周りに山らしい山がなくて、いきなり日本最高峰がそびえ立つ、という富士山のような
独立峰では、晴天のときほど、その周辺でとんでもない空気の流れが発生するらしい。
それが“晴天乱気流”だ。旅客獲得のためのサービスとして、BOACは、羽田を離陸後、
わざわざコースを外れて富士山上空を飛んだのだが、それがアダとなった。

御殿場口まで電車で行き、そこで待っていた会社の乗用車で現場を目指した。
しかし、火山礫にタイヤを取られて大した距離は稼げず、早々と車をあきらめ、徒歩で
登ることになった。タイヤがとられるぐらいだから、都会で履く通勤用の革靴で歩くのは
容易なことではなかった。3月初めの富士山は寒かったのだが、時間の経過とともに
汗が吹きだし、小休止をすると、たちまち、それが冷えていった。
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現場に到着したとき、日はとっぷりと暮れていた。満月に近い月の明かりが凄惨な地上の
光景を照らし出していたこと、決して嗅ぎなれることがないジェット燃料独特のにおいが
鼻をついたこと、などを想い出す。

記者と2人のアナウンサーは準備完了だったが、肝心の中継車はまだだった。
夜11時からの「こちら報道部」に電話でリポートすることになったが、携帯はもちろん、
2合目とはいえ山の中に電話はない。
作業中の地元消防団員の情報で現場と町の中間あたりに水道局の建物があって電話を
借りられるかもしれないことが分かった。
最年少の私が担当することは簡単に決まったが、問題は“アシ”だ。月明かりがあっても、
夜の山道を一人で降りて行くのは危険だからだ。

相談していると、取材に出ていた記者の一人が耳寄りな情報を持って戻ってきた。
「自衛隊のトラックが、収容した遺体を町の安置所まで運ぶために山を降りる。荷台なら
乗れるよ」というのだ。放送時間が迫っていたため、乗せてもらうことにした。
時間にしてどれぐらいだったか、いまは思い出せない。しかし、火山礫の山道を、大きく、
小さく弾みながら走るトラックの荷台で、左手で手すりを、右手は…釘が打たれていない
ひつぎの蓋が飛び跳ねるのを抑えるのに必死だった。

リポートを終えたあと、どうやって現場に戻ったのか、覚えていない。
歩いた記憶はないから、きっと、登ってくる自衛隊のトラックに頼み込んだのだろうが。

未明に中継車が到着した。

コンピューター、電気、車、設計、鉄道、土木…なんであれ、技術者と呼ばれる人々を
常にリスペクトしている。
このときも、技術部の“マジック”を目の当たりにして仰天した。

現場が山の中、ということは、河田町のフジテレビに直線では電波が飛ばない。
何が必要かと言えば、“2段点”だ。現場と局舎の中間で電波を中継するための。
そこで。中継車の出発より先に別の技術スタッフが、地図で計算して決定したポイントを
目指して局を出発していた。
本社の報道部が「朝の放送開始と同時に現場から中継を入れたいから、急いでくれ」と
矢のような催促をしてくる中、ポイントに到着したとの連絡を無線で受け、それぞれの
アンテナを慎重に調節してテストすると、東京から「一発で届いた!」と言ってきた。
技術者への敬意はこの時以来、さらに深まった。

この時の中継では忘れられない、苦い記憶がある。
「機首部分の周辺で数人の遺体が収容されました。傷みが激しく、性別も分からない
そうです」とリポートしたところ、数日後に発売された週刊中公(中央公論社)に
「“いたみ”って、リンゴじゃないんだから」と書かれたことだ。
…愕然とした。
“損傷”という言葉は頭に浮かばなかった。いまなら“損傷”を選ぶだろうが、当時は
くらべても、結局は“傷み”を採用したと思う。
いずれにしても、若き日の作家・野坂昭如が無署名で書いていたコラムで、名指しこそ
されなかったものいの、まさに自分が発した言葉が活字になっているのを見せられたとき、
言葉の選択はつくづく難しいものだと思った。

今、この時間にも被災地を駆け回って情報を集め、少しでもリポートの内容を高めようと
取材を続けている後輩同業者が多数いるはずだ。
批判・非難されることはあってもほめられることはめったにない、割の合わない仕事だ。
被災者に比べれば大したことはないかもしれないが、長期にわたる、神経を使う取材は
ストレスもたまって普段とじゃ違う疲労があるはずだ。
体力の温存を図りながら、少しでも世のため、人のためになる仕事をしてほしい。

彼らの健闘を祈りたい。

おまけ:アナウンサーの厄日?
昨日は、暦で言うと“赤口(しゃっこう)”だったが、日本のアナウンサーたちにとっても
すこぶるツキのない日だったようだ。
気の毒だったのはTBSラジオだったかもしれない。
私が日課の昼寝をするために横になった瞬間、ラジオから流れてきたのが…

昨日を含め、最近、アナウンサーの読み間違いetc が頻発している。

1月・A局: “席巻”を「せきまき」
先日・A局: “:” (コロン)を 「どっと どっと」
先日・A局: 2日続きでゲストの“木村拓郎”さんを「きむらたろう」と。
先日・B局: 「(菅首相は)…引き換えに退陣する可能性について
        否定しました」を 「…否定しませんでした」
昨日・A局 “お彼岸の中日”を「おひがんのなかび」
昨日・C局: “XXX中将”を「XXXちゅうしょう」

そして、昨日・D局: 女盛り を おんなもり


この日の「キラキラ」のメッセージ・テーマが「そのとき連帯感が生まれた」だった。
そこで、以上のことを書きさらに

業界に42年いたものとして 嬉しい連帯感が生まれました。
みんな、仲良くしましょうや。  (72歳の先輩同業者)

と、書き添えて送ったが、予想通り“ボツ”だった。

*「おんなもり」は聴き始めた時だったので、不確かです。
 間違いだったら、ご指摘ください。
   
by toruiwa2010 | 2011-03-22 08:16 | 放送全般 | Comments(10)
Commented at 2011-03-22 22:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-23 08:14
yukky528 サン、おはようございます。

koyukiサン…なら分かります。

おっと、失礼…は不要です。
このブログの記事がいくらかでも皆さんの
興味をひいているとすれば、それは間違いなく、
年の功ですから。
Commented by mrmetabo at 2011-03-23 12:47 x
岩佐さんこんにちは。
昨日の夜NHK-BS2で、まさに記事になっているこの年連続した飛行機事故を特集してました。
当時は「有視界飛行」で機長がルートを自由に判断していたこと、
ジェット機が誕生し、プロペラ機と混在するようになっていた時期だったこと、
管制システムがまだまだ未熟だったこと…

当時の様々な事情を知りえました。
そういった「経験」を糧に現在の航空システムが確立してきたことも。
今回、このような震災を経験したあとだけに、
(直接被災したわけではないですが)
考えさせられることが多かったです。
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-23 12:55
mrmetabo さん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。

そんなことより、IDの通りなら
その解消が先でしょう、w
Commented by minix7 at 2011-03-24 04:55 x
おはようございます。
当時の相次いだ飛行機事故のことは先日NHKの特集で見ました。そのとき岩佐さん達が現地でたいへんな思いで報道していたのですね…

ところで、有働さんはニ日続けて木村たくろうさんを「木村たろう」さんと紹介したと思います。三日目には自ら謝りながら正しく紹介していました。
(^_^;)
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-24 09:40
minix7サン、おはようございます。
特集、見そこないました。
有働アナの間違い…ご指摘の通りです。
修正しておきます。ありがとうございました。

…お久しぶりですよね?
Commented by minix7 at 2011-03-25 15:43 x
こんにちは。簡単に「NHK特集」と書きましたが、きちんと調べたら「日めくりタイムトラベル〜昭和41年」でした。
http://www.nhk.or.jp/himekuri/
ビートルズ来日などと並んで連続航空機事故がくわしく取り上げられました。
2月13日放送、3月22日再放送だったのですが、もう一度再々放送があればいいですね。いまのところNHKオンデマンドでも見られないようです。
Commented by toruiwa2010 at 2011-03-25 15:47
minix7サン、情報、感謝です。
そのうちODで見られるようになるでしょうから
それを待ちたいと思います。
Commented by コブ at 2013-01-16 04:50 x
はじめまして
BOAC事故当時地元の医師は検死を担当しました。私の亡き父もその一人

毎日診療が終わると安置所となった寺に駆けつけ警官とペアで一体づつ検死、まだ寒い3月、悲惨なご遺体との過酷な作業「なんとか早く家族の元に還してあげねば」の一心だったと

夜中に家に戻り検案書をまとめます。実家の居間で炬燵に当たりながら疲れはてた若い警官は居眠りをしてたそうです

後に家族で墜落現場あたりに花を手向けに行きました。小さかった私も、崖下を覗いた怖さを覚えてます。
20年後日航機が墜落した時後方基地となった群馬県藤岡市は父の故郷、因縁を感じます。
Commented by toruiwa2010 at 2013-01-16 07:27
コブサン、おはようございます。

富士山を見に行くたびに思い出します。
事故の原因になった「乱気流」を最近はあまり聞きません。
赤坂のキャバレーに出演していたイギリスのブルーボーイ
(ゲイ)たちの色鮮やかなウイッグが枯れ木に絡まっていたことが
印象に残っています。
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