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岩佐徹のOFF-MIKE

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Archives 「江川卓と小林繁~“因縁”の二人がCM共演~」             11/05/14

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…ただし、“野球あたま”はいい選手だと思います。
昔なら稲尾や杉浦、少し前なら江川や桑田…彼らは投げるボールにも
力がありましたが、同じぐらい、頭を使って投げていました。
斎藤には同じタイプのピッチャーになる要素があると思います。
(「もしかして 最高の出来事?~ルーキー~斎藤に故障発生」から)

私が担当した神宮の試合で江川の最後の一球がその日の最速だったことが
あります。 153キロぐらいでした。
神宮のガンは少し数字が出すぎでしたが、それにしてもすごいやつでした。
人間的には好きになれませんでしたが。
ピッチャーとしては最高の部類でした。ハハハ。(コメントへのレスから)

つい先日、斎藤佑樹に故障が発生したときに書いた記事の一部と、いただいた
コメントへのレスの一部です。
急に懐かしさがこみ上げました。
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記録ではなく記憶に残る選手…“通算200勝”は投手にとっての勲章でしょう。
しかし、この数字には届かなくても強く印象に残っている投手もいます。
何人かの名前が浮かびますが、135勝に終わった江川卓はその筆頭です。
球種は少ないのに、優れた頭脳で打者を圧倒しました。
人間・江川についてはいろいろ言われていますが、投手・江川は間違いなく
野球史に残る男だと思っています。

そして、江川を語るとき、小林繁の名前を外すことはできません。
二人の因縁を思えば、彼らがCMで共演することなど夢のまた夢でしたが…


「江川卓と小林繁~“因縁”の二人がCM共演~」07/11/21 

和解の酒バージョン

「どうも、ごぶさたしてます」と頭を下げる江川卓
「何年ぶりかな?」と近寄り右手を差し出す小林繁
江「ごぶさたしてます」
小「何年ぶり?・・・球場では会うんだけどなあ。こうして
話をすることはないんだよね。お互い避けてたんか?」
江「ええ・・・」
小「しんどかったやろなあ」
江「はい」
小「オレもしんどかったけどな・・・二人ともしんどかった」
江「そうですよね」
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申し訳ないと言いたいバージョン

「こういう機会があって、まあ小林さんに、申し訳なかったっていうことを
一言、言えたらいいなあと」
「分かってるんだよ、感情は。分かってるんだけど、避けて通ってきた生きかたを
してるから」
<盃を差し出す二人>
「話して(?)いただいて・・・ありがとうございました」

この黄桜のコマーシャルを撮影した夜、江川卓はひさしぶりに本当の意味で後ろめたさを
感じないでぐっすりと眠れたのではないでしょうか?
二人の間に起きたドラマについてはすでにあちらこちらで語られていますから、ここでは、
「まったく何のことやら?」とおっしゃる方のために、ごく簡単に記しておきます。

高校卒業のときのドラフトで阪急ブレーブスからの指名を拒否して法政に進んだ江川は、
大学卒業の1977年のドラフトでもクラウンライター・ライオンズの指名を断りました。
どうしても、巨人に入りたかったからです。

浪人状態になった彼は、翌年 アメリカの南カリフォルニア大に野球留学しました。
そして、その年のドラフト会議が開かれる直前に帰国した江川は、突然、巨人への入団を
発表します。当時の野球協約に不備があって、彼の関係者がそこをついて巨人との契約を
強行したのです。日本プロ野球史に残る“空白の一日”です。
しかし、野球機構はこの契約を認めませんでした。
巨人がボイコットしたまま開かれたドラフト会議で江川を指名したのは阪神でした。
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すったもんだの挙句、コミッショナーの“裁定”で、彼は一度阪神に入団し、トレードの
形で巨人に移籍することになりました。“いけにえ”にされたのが小林繁だったのです。
江川卓には“ダーティー”、“ヒール”のレッテルを貼られることになりました。
小林は少なくとも“表向きは”恨みがましいことを一言も言わずに阪神に移り、その年は
22勝をマーク、特に古巣・巨人には8勝0敗と負け知らずの結果を残して男を上げました。
これほど、多くの野球ファンの胸がすっきりする結果はプロ野球史でも少ないでしょう。

そんな因縁の二人が28年ぶりに“再会”し、ぎこちなさを感じさせつつ、笑顔を見せて
共演したこのCMを見ると、ひとごとながら「よかったなあ」と思います。
実際には、小林の発言にあるように、球場などで何度も出会っているのです。
なのに、話をするのがほとんど初めてだという事実に驚きました。
それほど二人が受けた“心の傷”は深かったのでしょう。

私がはじめて江川に会ったのは彼が南加大に留学していた1978年でした。
ちょうどその年から始まったメジャー・リーグ中継を終えて日本に帰る途中、ハワイに
寄って“休養”していた私にアナウンス部長から電話がありました。どんな理由だったか
思い出せませんが、「とにかく、ロスに戻って江川に接触しておけ」という“社命”でした。

たいした接触はできなかったと記憶しています。
アメリカでは、他人とルーム・シェアをする場合、「ドア・ノブにタオルがかけてあったら、
“彼女”が来ているサインだから入室してはいけない」というルールがあるのですが、
彼はこの“暗黙のルール”を知らずにドアを開けてしまったことがあるという失敗談を
聞いたぐらいです。ハハハ。
ちなみに、このときのルームメートは、のちにヤクルトに入ったクリス・スミスでした。

江川には、アメリカでの“世話役”だった日本の商社員の家でも何度か会っています。
食後のリビング・ルームで若いきれいな女性がデザートの果物を配っていたことがあり、
「どなたですか?」と聞くと、「親戚の子ですよ」という答えでした。
のちに、彼女こそ江川と結婚した正子さんだったと分かり、「親戚の子…」と答えたときの
すっとぼけた顔を思い出して「江川のヤツ…やるもんだ」と思ったものです。ハハハ。

このときは、すでに巨人への入団が決まっていたと思うのですが、「たとえ、1年目から
20勝できそうでも僕はやりません。日本のプロ野球の年俸制度では、それだとその年は
アップしてもそのあとは勝ち星を増やさなければ上がらない仕組みになっているんです。
だから、1年目は15勝、2年目は17,8勝、3年目に20勝と、少しずつ勝ち星を増やす
ほうがいいんです」と、得意顔で話していたものです。
年度別の成績を見ると、連盟からのペナルティーでデビューが6月になった1年目は9勝、
2年目は16勝、そして3年目に20勝!! “計算”を実行しているのですから脱帽です。

普通に考えたら“イヤミ”な男でしょう。
しかし、入団のいきさつやこういった“計算高い”考え方についての好き嫌いはともかく、
彼が頭の回転のいい男であることは間違いありません。
投手としての力は日本のプロ野球史上でもトップ・クラスだったと思います。
ピンチで主力打者を迎えても、逃げることなく、真正面から勝負を挑むピッチングは実に
魅力的でした。
入団2年目だったと思いますが、担当した試合の最後の1球がその日の“最速152km”を
マークしたときは感動をおぼえたものです。

頭のよさは、解説にも良く出ています。
最近、巨人の試合はほとんど見ませんが、現役を引退して間もないころは彼が解説だと
分かると耳を傾けました。実現は不可能なことでしたが、「組んでみたいなあ」と思わせる
数少ない野球解説者の一人でした。
いつの日か巨人の監督になるのでしょうが、きっと、とてもオーソドックスな野球をやる
いい監督になることでしょう。

“コバ”こと、小林繁は、報知新聞や日本テレビ以外の人間には距離を置いていた巨人の
選手の中では親しくしてもらった一人です。個人的に食事をしたり、酒を飲んだりする
ことはありませんでしたが、グラウンドで顔が合えば普通に言葉を交わす間柄でした。
前にも書いていますが、なかなか選手と打ち解けることができないタイプの私には貴重な
存在だったのです。
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性格はコマーシャルのままと言っていいのではないでしょうか?
見た目だけでなく、中身もなかなか“かっこいい”ヤツでした。
理不尽なトレードをされたときも、言いたいことはたくさんあったに違いないのですが、
いっさい言いませんでした。新庄の“昭和版”でしたね。センスはコバのほうがはるかに
上だと思いますが。ハハハ。

現役を引退したあとの評論家時代に、人を介して連絡を受けたことがあります。
彼が当時の週刊サンケイに書いていたコラムの担当者からで、「最近、メジャー・リーグで
言われ始めている“セット・アッパー”について教えてほしい」というものでした。
クローザーにつなぐ、今なら岡島などがやっている役割のピッチャーのことです。
「直接聞いてくれればいいのに、水臭い奴なあ」と思いつつ、電話口では間違えて伝わる
可能性もあるので、メモ書きしたものをファックスで送った記憶があります。

阪神時代に少々気になるうわさも聞こえてきて心配していましたが、スキャンダルになる
こともなく、このCMで元気そうなところが見られてこんなにうれしいことはありません。

いわば、運命にもてあそばれた二人の“和解”・・・CMという形ではあっても、話し合う
機会が持てて本当によかったと思います。

19日付の朝日夕刊にリスペクトする西村欣也編集委員の「江川 負い目抱えた29年」という
記事があり、その中に…
<<<数時間のCM撮影を終えて江川にやっと安堵の表情がもどった。「いい機会を与えて
もらいました」>>> の記述がありました。

選手時代の二人を知っているものの一人として胸にこみ上げるものさえあります。


*2010年1月、小林繁 逝去 享年57歳だった。
( http://bit.ly/mMtKWD )


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by toruiwa2010 | 2011-05-14 09:25 | スポーツ全般 | Comments(15)
Commented by m.matsuda at 2011-05-14 10:13 x
好きなものに理由は無いと思います(?)、が、なんでそんなに巨人がよかったのかな?
わかります?
Commented by toruiwa2010 at 2011-05-14 10:54
m.matsudaさん、こんにちは。

本当のところは本人に聞かなければわかりませんが、
私の答え・推測は単純明快です。
多くの選手が巨人に入りたがるのは強かったし
人気があったからですが、江川にとってそんなことは
どうでもよかったのです。

どの球団に比べても、巨人は“つぶし”がきく…
それこそが最大の理由でしょう。
現役の期間はそんなに長くはありません。
解説者・タレント・副業…何をするにも
“元巨人“の肩書は絶大です。
金田正一や張本勲が権利を行使して“晩年”を
巨人で過ごしたのも同じ理由でしょう。
みんな、その通りになっているじゃありませんか。
Commented by akapon at 2011-05-14 11:35 x
岩佐さん、こんにちは。

江川話といえば、やはり小林繁さんは外せないですね。
第一次長嶋監督時代の新浦とならぶエースの、宮崎キャンプへ向かう途中の
電撃移籍劇!は本当に衝撃でした。
阪神も少し田淵・江夏ら生え抜きに対し冷遇する球団だという印象がありましたが
やはり「江川事件」は、当時の巨人ファンの少年を「読売嫌い」へと変えた出来事でした。

しかし選手としての20勝当時の江川、そして79年の小林の、特に対巨人戦
でのまさに「鬼神」「反骨」の働き、特に王に対するピッチングは忘れることができません。
そんな歴史を見てきた者にとって、あの黄桜のCMも凄い衝撃でした。
こんな「CM」という形で見える二人の表情には言葉が出なかったです。

人間としての江川は嫌いでも、選手としての江川の凄さ、そして最後まで
「男」だった小林氏の早すぎる死去・・・昭和の暗い一面の歴史でしょうか。
Commented by toruiwa2010 at 2011-05-14 12:37
akapon さん、こんにちは。

江川話で欠かせないのは、選手で3人います。
小林繁、西本聖、掛布雅之…少し、小粒ですが、
強い個性を持つ選手がいた最後の時代かもしれませんね。
うーん、懐かしいなあ。
Commented by akapon at 2011-05-14 12:49 x
岩佐さん、こんにちは。

江川は確かにどんな主力打者にも真っ向勝負!逃げなかった印象が
あります。
あの、阪神のバースにも向かっていったような記憶が・・・
特に掛布との対決はお互いに楽しんでさえいた様な会話がTVであった気がします(笑)

後年、広島の主砲で大学の先輩だった山本浩が「江川のカーブは
ストレート待ちでも打てる」と言ってたのを思い出しました。
好打者の深い?!意見だったのでしょうか・・・

個性的な選手達の本当に最後の時代だったかもしれませんね。
Commented by masa at 2011-05-14 14:43 x
岩佐さん、こんにちは。

m.matsudaさんに対する岩佐さんのコメント。すごく納得できましたよ~元巨人ファンとして。

わたしは大阪で生まれ育ちながら巨人ファンでした。大阪と言えばやはり阪神ですが、30年ほど前にわたしがよく野球を見ていた頃は阪神ファンが多かったけど巨人ファンも多かったです。
それくらい巨人は強かったし魅力のある球団だったと思います。

今ではセレッソ大阪のファンになってしまい野球は過去に追いやられてしまいました。理由は全く思い出せません…
Commented by toruiwa2010 at 2011-05-14 15:04
masaさんがなぜ野球をどこかにうっちゃって(ハハハ)
セレッソ大阪の応援に身が入るのか?

それは、たぶん、野球よりサッカーのほうに
“純粋さ”を感じたからじゃないでしょうかね。

うっちゃって・・・ほっぽって、という意味ですが、
これは関西の言い方ですかね?
Commented by masa at 2011-05-14 15:47 x
> うっちゃって・・・ほっぽって

両方なんとなくわかるようなわからないような…
追いやって とか ほったらかしにして みたいな感じですか?

セレッソはホームの長居スタジアムが実家から自転車で行けるくらいの所にあるので地元愛&J1昇格時に見た森島は本当に「はつらつ」としてて魅力的でした♪
結婚して今は甲子園球場の近くに住んでますが阪神ファンになる気は起こらず(^^;;;
Commented by toruiwa2010 at 2011-05-14 16:02
masaさん…
結婚して今は甲子園球場の近くに住んでますが
阪神ファンになる気は起こらず(^^;;;…

笑えました。周りのテンションが暑苦しい?
ハハハ。
Commented by ふぇでらーが好きなふぇでらー at 2011-05-14 16:17 x
人生の悲哀を感じる意味深いエピソードでしたね。

一般の会社組織でも似たような出来事は起きますが、こんなにすっきりと、しかもこれだけの時空を超えて解決する事はめったに無いはずです。
Commented by オオソネ at 2011-05-14 16:58 x
こんにちは、岩佐さん。
間が印象的なCMでした。このCMは結構前なんですね・・・。月日が流れるのは早いです。間が印象的なCMでした。

文末の2007年は2010年の間違いでしょうか?先日といい、突っ込んでばかりですいません(汗)
Commented by toruiwa2010 at 2011-05-14 17:56
ふぇでらーサン、こんばんは。

確かに、どんな組織でもこることですね。
私の場合確執は確執のまま残ってしまう
ことが多く。ハハハ。
Commented by toruiwa2010 at 2011-05-14 17:58
オオソネサンこんばんは。

間…たぶん、細かいところまで打ち合わせを
しないで、撮影を始めたからで、大成功したと思います。

…2010年でした。
Commented by ysphoto at 2011-05-15 06:23 x
岩佐さん、おはようございます。
江川・小林のCM思い出しました。
あの江川の巨人入団を見て子ども心に江川=卑怯
小林=ヒーロー
と思った事を思い出しました。

それほど衝撃的な出来事でした。
Commented by toruiwa2010 at 2011-05-15 06:30
ysphoto サン、おはようございます。

絵に描いたような善玉・悪玉でした。
そして、二人の役者がその役を演じ切りましたね。
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