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岩佐徹のOFF-MIKE

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Archives 「前立腺がん始末記~入院・手術:詳報~」11/06/19

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昨日に続いて、2004年に経験した前立腺がんの発見から
入院、手術に至る経過のもう少し詳しい報告です。
日付でお分かりでしょうが、昨日の記事は10月9日、
こちらの記事は17日に更新しました。
私の強い“こだわり”として、病気、引退、引っ越し…
“進行中”の話は終了後に報告することにしています。
周辺に“無用”の気遣いをさせたくないからです。
当時は“週1”ペースでの更新だったからできたのですが。

それぞれに事情があるのでしょうが、入院前に会見して
「これから手術です」と発表する芸能人などの神経が
私には理解できません。もちろん、自由ですが。ハハハ。

「入院・手術の記」2004.10.17


退院のあと、自宅でのリハビリは順調に進んでいます。
今回は、前立腺がんに取りつかれた男の、ここまでの総括です。ハハハ。

自覚症状なし
この病気に限りませんが、自覚症状がないというのは厄介なものです。肺なら咳、胃なら
吐き気と、何か体調に変化があるなら気をつけることもできますが、何もないと無防備に
ならざるを得ません。
私の場合、5,6年前に「少し頻尿かな」と、気になった時期があったのは確かです。
「肥大してます」と診断され、しばらく薬を飲みました。専門医に診てもらったところ、
「この程度はまったく問題ありません」と言われ、薬の服用もやめました。
それ以後は、まったく自覚症状はなかったのです。
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前回、書いたとおり、早期発見につながったのは“PSA”検査でした。
まず、天皇陛下発病を伝えるニュースで兄がこの検査のことを知り、たまたま母の葬儀の
時に私もその存在を知ったのですから、“偶然”の要素が大きかったというべきでしょう。
PSA検査は、まだ、あまり広く知られていないようですが、血液を少々採られるだけの、
とても簡単なものです。ご近所のお医者さんでもやってくれるはずです。
それだけで、前立腺にがんがあるかどうかがかなりの確率で分かるのですから、こんなに
便利な話はありません。皆さんご自身だけでなく、お父さん、お兄さん、ご主人…50歳を
過ぎた身内の方には、ぜひ勧めて欲しいと思います。どんながんであっても、生き残る
ためには“早期発見”がカギであるのはいうまでもないことですから。

信頼関係
かかりつけの医師から「専門医の診断を受けなさい」と紹介されたのは某医大病院でした。
改めての血液検査に始まり、レントゲン撮影、エコー検査などを受けたあと「生検」を
することになりました。
前立腺に針を刺して検体を採り、詳しく調べるのです。しかし、問題がありました。
病院に一泊しなければならないのです。全豪への出発の日が迫っていて、スケジュールが
取れません。「1ヶ月でそんなに進行しませんから、では、帰国してからにしましょう」と
言われ、結局、帰国の2日後に入院することにしました。

10日後の外来で聞かされた判定が「クロ」でした。そして、「まず、転移がないかどうかの
検査をします。なかったら手術ということになります」とも言われました。
実は、この間、私の中で気持が揺れている部分がありました。
基本的には、かかりつけの医師に紹介された病院とは、それなりの縁があったのだから、
トコトンお任せしようと考えていました。
しかし、初めから何かと相談に乗っていただいていた知り合いの医師夫妻に、「セカンド・
オピニオンを求めた方がいいのではないか」とアドバイスされ、気持が動き出したのです。

一方で、実を言うと、はじめに世話になった医大病院との間にはもうひとつ、信頼関係が
築けない雰囲気がありました。そのことが少し気になっている状態のところにいただいた
アドバイスだったので、効果も絶大だったのでしょう。

インター・ネットで、いろいろ調べたりもしましたが、結局は、“強力”と思える紹介状が
いただけることになった大病院を訪ねたのです。
呼ばれて診察室に入った瞬間に、「これだ」と感じたのは何故なのか、よく分かりません。
しかし、持参した医大病院の検体と報告を読んだ上での自信に満ちた説明や、担当医師が
漂わせる空気など、言葉にしにくい部分に、そう思わせるところがあったのでしょう。
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まず、「当院でも詳しく調べるが、がんはあると思われる。そして、治療の方法としては、
いくつかの方法がある」と話があり、それぞれの方法について、メリット・デメリットの
説明をしてくれました。そして、私が予定されている仕事について話すと「それならば、
ホルモンで進行を抑え、手術は仕事が一段落してからにしましょう」と言ってくれました。

“明快な”説明つきの選択肢を聞いた後でしたから、話すうちに私の気持は「こちらに
お世話になろう」で固まっていました。つまり、患者の私側からみて、ドクターとの間に
“信頼関係”が生まれたと言っていいと思います。
入院・手術という、めったに経験しないプロセスを進むのですから、このことはきわめて
大事なのではないでしょうか。
しかも、ご迷惑をかけてはいけませんので詳しいことは書きませんが、その後の情報で、
担当医がこの手術に関しては多大の実績を残していると分かって、ますます、“安心”の
気持がひろがりました。ハハハ。

入院まで
そんなわけで、病気の存在が分かってから入院まで、かなりの時間がありました。
はじめは、ネットでいろいろ調べたり、闘病記を読んだりしていましたが、そのうちに、
自覚症状もないことから、次第に関心が薄れていきました。病気を意識するのは、検査や
ホルモン注射のために病院に行くときだけでした。

それなりに深刻なはずなのに、どこか余裕があって、周囲の人間模様が目に入ります。
診察室の前ですれ違った有名な政治評論家が、その2ヵ月後ぐらいに亡くなったことを
知ったときにはビックリしました。
転移があって手術ができなかったか、あるいは手遅れだったのか、テレビでおなじみの、
恰幅のいい姿が目に残っていましたから、結構ショックでした。

前立腺ガンはお年寄りに多い病気ですから、診察室の前にいる患者は当然、おじいちゃん
ばかりです。面白いのは、そのおじいちゃんたちと、付き添っている人たちの関係です。
いかにも、「いい迷惑だよ」と言わんばかりの表情がうかがえる妻やこどもたち。
一方で、甲斐甲斐しく世話をやく家族や部下らしい人たちの姿…。見ているだけで、その
患者の社会的な、あるいは家庭内でのポジションがはっきり分かります。

面倒をみつつ、これまでの仕打ちに対する“仕返し”をしているかのようなおばあちゃん、
「さあ、これからは私が主導権をもらうわよ」と、完全優位に立っているおばあちゃん…
「明日はわが身」と思えば、大笑いはできませんが、伊丹十三が生きていれば、映画の
いいテーマになったのではないでしょうか。ハハハ。

医学の進歩
ホルモン注射に関しては、治療を受けている感じはありません。
3月末に1本目をうち、4月、7月に2本目、3本目をうちました。1本目は「1ヶ月用」、
あとの2本は「3ヶ月用」です。つまり、皮下に打たれたホルモンは1ヶ月(3ヶ月)かけて
ゆっくりと溶けていくという“スグレもの”なのです。

手術室に入って真っ先にやったたのは、背中(脊椎?)に管を入れることでした。手術部位の
痛みをつかさどる神経が背中にあるのだそうで、術後の痛みを和らげるためのモルヒネを
そこに注入するのです。このモルヒネは風船の中に仕込まれていてその風船がゆっくりと
しぼむことによって、継続的に体内に送り込まれて効果を発揮するのです。
PSA検査の開発もそうですが、医学の進歩は目覚しいものがありますね。そのおかげで、
どれだけの命が救われ、患者の苦しみが緩和されたか想像すらできません。

入院
9月27日、66回目の誕生日の前日に入院、2日後に手術と決まりました。
全米からの帰国が15日、手術中の出血に備えて、入院前に自分の血を採っておく必要も
ありましたからタイミングとしてはちょうどいい感じでした。
海外で使っている眠剤に頼り、たっぷり眠って入院。
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午前10時過ぎには病室に入りましたが、この日は自己血の追加採取以外、やることもなく、
ノンビリ過ごしました。
2日目は誕生日ですが、そんなことには関係なく手術に向けて本格的な準備に入ります。
朝食のあとは絶食、同時に点滴が始まり、剃毛、腸内をきれいにするための下剤服用など
流れるように進み、夕方、主治医から以下の説明を受けました。

・切除する部位など、手術の内容と、考えられる危険性。
・9時半からの手術に向けて、朝8時から始まる手順。手術室に入ってからの手順。
・がん部位切除後に体に取り付けるチューブ類についての説明
・術後2日間の過ごし方。
・考えられる後遺症。
・手術後の経過をどう見ていくかについて。

トータルで40分近くかかったと思いますが、いわば、命を預ける立場の人間にとっては、
むしろ短く感じる時間でした。しかし、これで、手術の意味、危険度、術後に起こること
などへの心構えがしっかりできたような気がします。
そのあとも、夜にかけて、手術室のチーフを務める看護婦さん、麻酔担当の医師などが
次々に病室に来て、説明をしていきました。
おそらく、大きな病院の医療現場の事情はどこもこれに似たようなものなのでしょうが、
患者の不安、心理的な負担は昔に比べると大きく軽減されているのでしょう。少なくとも
私に関しては、人生最大の手術を翌日に控えて、まったく不安がなくなりました。

「チョチョィのチョイ」
手術前夜は、眠剤を服用して熟睡しました。ハルシオンは習慣性があると言われていて、
たしかに、パリやニューヨークに行って一週間、帰国して一週間使うと、やめたあと2,3日
眠れないことがありますが、どうしても睡眠が必要と思うときに、とても効果を発揮して
くれますから、私にとっては手放せない存在です。

お腹の中をすっかり空っぽにしたあと、8時には移動用のベッドに移リ、最後の準備です。
消化液を吐いたりしないための管を鼻から胃に通すのが辛かったですね。医師の説明を
聞いたときから気になっていたのですが、“案の定”でした。麻酔を効かすための肩への
注射とともに、術前・術後を通じて最もテンションが下がり、最も痛かった瞬間かも
知れません。ハハハ。
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手術室に入るとすぐに、術後に痛み止めのモルヒネを供給するためのチューブが背中に
入りました。きわめて細く、やわらかいので、上を向いて寝てもまったく気になりません。
すぐに本格的な麻酔をかけられ、以後、その日の記憶は切れ切れなものしかありません。

「岩佐さーん、岩佐さーん」という呼びかけが頭の上から聞こえてきて目が覚めたような
気がしますが、定かではありません。覚醒と引き込まれるような深い眠りを繰り返す中で
鮮明に覚えているのは、術後の説明を受けて病室に来た妻の「先生が『凄く簡単でしたよ、
チョチョィのチョイでした』っておっしゃってたわよ」という一言でした。
…「ひどい言い方だ」と受け取る人もいるかもしれませんが、私は「F先生らしいなあ」と
思わずにんまりし、胸をなでおろして、再び心地よい眠りの世界に落ちていったのでした。
ハハハ。

どんな風に時間が経過したのか、まったく分かりませんが、真夜中を過ぎたあたりから、
意識のある時間が増えていったようです。自分ではほとんど体を動かせない状態ですから、
床ずれを防ぐために、看護婦さんが2時間ごとに姿勢を変えてくれました。
この時点で自覚はしていないのですが、私の体には点滴の管をはじめ、尿道カテーテル、
体内にたまった血やリンパ液?を外に出すためのドレインが左右2本、さらに、背中から
痛み止めのモルヒネを入れる管、動脈に酸素が十分取り入れられているかどうかを調べる
ための針…などが差し込まれ、鼻には酸素吸入のマスクがかけられていました。
自分では見ることができなくて逆によかったです。ハハハ。
ちなみに、手術は予定より短い3時間で終わり、出血も少なかったため、使った自己血も
500ccですんだそうです。

回復期
最近の医学ではそれが当然なのでしょうが、翌日から回復へ向けての活動が始まります。
朝、まずドレインが1本抜かれ、水を飲むことが許されました。おいしかったこと!
午後からは歩行訓練です。患者にとってはコワゴワですが、「早期離床」の方が治療効果が
高いのだそうです。 横になっている時は、モルヒネが効いているのか、ほとんど痛みを
感じませんが、歩くとさすがに、手術部位に鈍い痛みを感じます。

2日目の朝、もう1本のドレインも抜かれました。
「3日たっても、1本も抜けない人もいますよ。岩佐さん、はやーい」とか看護婦さんに
言われると嬉しいものです。ハハハ。
さらに、酸素を測る動脈の針も抜かれました。超多忙の執刀医に代わって日常的に経過を
診て下さった若手のKドクターに「いよいよ、あと1本になりましたよ」と声をかけられ
「イチローと同じですね」と応じました。ちょうど、そのあさ、彼が256本目を打った
ところでしたから。ハハハ。

この日の昼から、五分がゆが出るようになりました。

3日目。順調に食事をとり始めたところで点滴が終わり、行動が自由になりました。
そのため、歩行訓練もピッチが上がって、ほかの患者さんには「嫌味か」と見えかねない
スピードで長い距離を歩きました。
歩いているうちに、昔、プロ野球ニュースなどでコンビを組んだこともある元野球選手を
見かけました。覚えているかどうか分かりませんでしたが、「フジテレビにいた岩佐です」
と思い切って声をかけると、「ああ、岩佐さんだ」と、思い出してくれました。

奥さんの具合が悪いのだそうで、沈痛な表情でした。
若いころはみんな元気一杯で体のことなど心配しなかったのに、ある程度の年齢になると、
自身や身内に健康上のほころびが出てくるのは避けられないことなんですね。

どんどん回復が進み、5日目、いよいよ造影検査です。
この手術では、膀胱と尿道を切り離し、前立腺などを切除したあと再び縫い合わせます。
造影検査で、縫い合わせた部分から“モレ”があるかどうかを調べるのです。
手順の説明を聞かされたときから、別にドクターは強調したわけでもないのですが、私は、
「これがヤマだな」と思っていました。
しかも、「モレがなければ、カテーテルを抜いて退院です。あった場合は、つけたまま、
とりあえず退院して、2週間後の外来でもう一度検査することになります」と言われて、
あせりました。 
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カテーテルをつけたままで退院するには、足首に尿をためる袋を取り付けるのだそうです。
「小さいですから外からは分かりませんよ」と気休めを言われましたが、想像するだけで
「そりゃ、カンベン!」ですよ。ハハハ。
祈るような気持で検査に臨みました。案ずるより生むがやすし…でしょうか、立会いの
K先生から、あっさり「OK」が出たときは、天にも昇る心地でした。

この結果、体には一切の管がなくなりました。その開放感たるや!
経験者でないと分からないでしょうね。意気揚々と病室に引き上げました。
夕方の回診時、Fドクターから、「岩佐さん、あとは好きにしてください。明後日以後なら
いつ退院してもOKですから」とお告げがありました。
嬉しい反面、あまりに順調で恐い面もありました。つまり、何が起きても、すぐそこに
医療体制が整っている環境を離れることには不安があるのです。臆病な私は特に。ハハハ。

考えた結果、もう1日、病院で状態を見きわめた上にしたいと思い、入院から11日目、
手術からは8日目の退院となりました。

今回の件では、自覚症状のない中で、偶然の積み重ねがPSA検査による「早期発見」に
つながったことや、自信にあふれた執刀のF先生や土・日も関係なく献身的に治療して
くださったK先生など、いい先生方に恵まれた幸運を忘れることはできません。

完治したわけではありません。 リンパ節への転移の有無、がんがすべて取り除けたのか
どうかの判定はこのあとです。予想よりはるかに少ないながら「後遺症」もありますし、
本格的な社会復帰を果たすには、もう少し時間が必要です。
しかし、私には「大丈夫」という自信があります。
皆さんからの温かい言葉にも勇気付けられています。ありがとうございました。


手術が完璧だったのでしょうが、“尿漏れ”などの厄介な後遺症は
2週間ほどで消え、薄く残った傷跡以外に手術のことを思い出す
材料は何もありません。

この年の9月下旬に、柳さんが理事長をしていた湯河原ラケット・
クラブに泊りがけで行きました。
温泉につかり、柳さんを驚かせようと思い内緒で…。
2日目の朝に大観山から見た富士山がきれいでした。あらためて
生きていてよかった、と思ったものです。ハハハ。
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前立腺がんの“5年生存率”、つまり、5年後に生存している割合は
70-80%らしいですが、2009年に、無事に丸5年が経過しました。
そのとき「10年生存率はどれぐらいなんですか?」と尋ねたところ、
ドクターからは、笑いながら「99.99%」という答えが返ってきました。
「ほかの病気や、事故に遭えば別ですよ」と付け加えていましたが。
ハハハ。


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by toruiwa2010 | 2011-06-19 09:24 | 岩佐徹的考察 | Comments(4)
Commented by ふぇでらーが好きなふぇでらー at 2011-06-19 22:09 x
岩佐さん、こんにちは。

こんな出来事があったんですか、知りませんでした。

私も先日年齢的なことを考え、PSA検査を含めこれ等の検査を先月受けましたが、幸いな事に悪い出来事はありませんでしたが、一年に一回の検査をすすめられましたので、この記事を見て「きちんとやろう!」と言う気持ちにさせられました。

ネットのBLOGをはじめ、書籍などで闘病記を目にする機会が多くなりましたが、どんな病気でもそうですが、実体験を聞かせていただけるのはありがたいことです。

岩佐さんにはこれからも「筆圧の強い文章」を期待していますので、健康に気をつけていただきたいです。

貴重な体験、聞かせていただきありがとうございました。
Commented by toruiwa2010 at 2011-06-19 22:12
ふぇでらーサン、こんばんは。

検査の結果何もなかった由、よかったですね。
実体験が役に立ったこともうれしいです。
健康だと、読むのも面倒ですがね、ハハハ。
Commented by megaptera at 2011-06-20 00:36 x
こんばんは。御病気のことは今回初めて知りましたが、経過・予後ともに良好のようで何よりです。

私は実は医療職に就いています。急性期病院では検査や手術で治療の説明・計画書やパスが増えていますから、最近では更に、色んな職種が前後で患者さんに説明・指導することが多くなっています。

その度にサインさせられたり、入れ替わり立ち替わりの説明で申し訳ないな、と思うこともままあり・・・

「一見わからない」オストメイトの方は、普段でもバリアフリーのトイレが
不十分なのに、被災地、特に避難所では大変だろうと思います。
Commented by toruiwa2010 at 2011-06-20 08:25
megapteraさん、おはようございます。

”モンスター”が増えていますから、医療関係者は
本当に大変ですね。
被災地で活動する人たちを見ると、ただただ頭が下がります。
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