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岩佐徹のOFF-MIKE

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Archives 「ジョージって誰よ?~Bush or Brett…2004 秋~」         11/07/23

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来年の今頃、スポーツ・ファンの間ではロンドン・オリンピックの話が
中心になっているでしょう。
政治が好きな人の関心はアメリカ大統領選挙に集まるはずです。

1980年も暑い夏でした。そのわけは…


「George for President!」2004.08.29


全米が開幕する8月30日からマンハッタンのマジソン・スクエア・ガーデンでアメリカ
大統領選挙の共和党大会が始まります。爆破予告などもあったようで、市内のいくつかの
ビルには厳重な警備が敷かれています。おかげで、街は緊迫した空気に包まれています。
JFK到着のときも、普段なら、早ければ30秒ぐらいで通過することもある入国審査に
3倍、4倍の時間がかかりました。
私たちは「Iビザ」という業務用のビザを持っているために指紋をとられたりするので
細かくチェックされるのです。厳しい方が安心といえば安心ですが。
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なにもこの時期に、ニューヨークで党大会を開かなくたっていいだろうにと思いますが、
アメリカ人は、こういう形で勇気を示したがるところがありますね。                                                       
マイケル・ムーアの「華氏911」など強い逆風が吹いているブッシュ大統領としては終盤に
向けてこの党大会を機に盛り上げて行きたいところです。会場には「George(Bush) for
President」のプラカードがあふれていることでしょう。

その様子を想像すると思い出される光景があります。

1980年、フジテレビでメジャー・リーグを追っていた私は、この年の後半アメリカ中部の
カンザス・シティーをよく訪れました。ミズーリ川に臨むこの街をフランチャイズとする
ロイヤルズが好調だったからです。中でも、主砲、ジョージ・ブレットは絶好調でした。
右投げ左打ちの彼のポジションはサード。華麗でも、派手でもないのですが、ボールに
飛びつき、ユニフォームをドロだらけにするタイプの選手で、ファンの人気は絶大でした。

しかし、この年ファンを熱狂させたのは守りではなくそのバッティングでした。
5月下旬から打率がぐんぐん上昇し、夏場にはとうとう4割をこえるようになりました。
秋に入っても好調はつづき、地元の夢はワールド・シリーズへの出場とブレットの4割
達成でした。終盤が近づくにつれ、街には「George for President」というステッカーが
出回りました。この年の大統領選挙にひっかけて、「ブレットこそ大統領にふさわしい」と
言いたかったのでしょう。

残念ながら彼の“打率4割”は幻に終わりましたが、地区優勝はもちろん、4度目の挑戦で
宿敵・ヤンキースを下して念願だったワールド・シリーズ初出場を果たしました。
ちなみに、彼のこの年の打率は最終的には.390、シーズン通算打率が4割をこえていた
最後の日は9月19日でした。

さて、フィラデルフィア・フィリーズと戦ったそのワールド・シリーズでも、ブレットは
全米の話題をさらうことになりました。
本人としては、そんなことで有名になりたくはなかったでしょうが。ハハハ。
まず、地元でフィリーズが2連勝。それはいいとして、第2戦の途中で思いもかけない
メンバー交代がありました。

2打数2安打と、この日もバッティング好調のブレットが6回でしりぞいたのです!
「何があったんだ?」と、マスコミが大騒ぎする中、伝えられた広報の発表に、記者団は
「本人には気の毒だけどなあ」と言いながら爆笑の渦に巻き込まれました。
その発表とは「彼は、痔が悪化して、今、カンザス・シティーに向かっている。着いたら
手術をする予定で、第3戦の出場は未定」というものでした。

おかげで、翌日の移動日から第3戦当日まで「ブレットの痔」はアメリカ中の話題になり、
その動向が注目されることになりました。「いかにもアメリカらしいな」と笑ったのは、
ニュースが広まった翌日、前を走る車のバンパーに「I’ve got Hemorrhoids,too
(俺も、痔持ちだよ)」というステッカーが張ってあった事です。ハハハ。
地元のヒーローの深刻な事態も笑いの種にしてしまうのはすごいと思いました。

しかし、さすがは大黒柱。心配するファンをよそに、第3戦の朝 退院した彼は、それから
わずか数時間後、ロイヤル・スタジアムでは初のワールド・シリーズとなるこの試合の
第1打席で、いきなりホームランをライトに叩き込んでチームを勝利に導いたのです!
もちろん、彼は、こんなことが全米に知れ渡ったことを喜んではいませんでした。
「俺のケツはアメリカで一番有名なんだ」とジョークももうひとつ冴えませんでしたが、
本人の気持にはお構いなく、彼の行くところこの話は常について回りました。
ただし、それも1983年7月24日まででした。
この日、起きた事件で事態は変わったのです。

舞台はヤンキース・スタジアムでした。ヤンキースと対戦したロイヤルズは、3-4と1点を
リードされて9回も2アウト。しかし、ランナーがいてバッターはブレット。
ここで彼は、生涯317ホーマーの中でも、もっとも強く記憶に残る一発を打ったのです。
これで試合は5-4とロイヤルズが逆転…と誰もが思ったのですが、様子がおかしいのです。
ホームプレートと1塁ベースの中間でヤンキースのマーチン監督のクレームを聞きながら
マクレランド主審がブレットのバットを調べています。やがて、一団はホームプレートの
ところに移動して、プレートの幅とバットの長さを比べ始めました。

ルールでは、滑り止めのタール(松ヤニ)を塗ることが許されるのはグリップエンドから
18インチまで…となっています。ホームプレートの幅は17インチなので、それを物差し
代わりにしたのです。出された結論は「タールを塗った部分が18インチを越えているので、
このバットはルール違反。ブレットはアウト、試合は4-3でヤンキースの勝ち」!!
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もちろん、ブレットもロイヤルズも収まりません。猛烈な抗議が行われました。中でも、
髪を振り乱し、噛みタバコのジュースをまきちらしながら主審につかみかかろうとする
ブレットの様子は今も語り草になっています。よほどの迫力だったのでしょう。
この騒ぎの中で、当時ロイヤルズのピッチャーだったペリーは、マクレランドから問題の
バットをもぎ取り、チームメイトに渡して証拠の隠滅!を図りましたが、ガッデム!
3人目の選手がロッカールームに通じるトンネルの中ほどで、ヤンキー・スタジアムの
セキュリティーによってあえなく御用となりました。ハハハ。

実は、ヤンキースの3塁手ネトルズは以前から、ブレットのタールが18インチをこえて
いることを知っていて、それをマーチン監督の耳に入れていたのです。策士マーチンは
こういうチャンスを待っていたわけです。抜け目なし、ネトルズ!
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以上が、ブレットの“Pine Tar Incident”ですが、この話にはまだ続きがあるのです。
納得できないロイヤルズは連盟に提訴しました。当時のマクフェイル会長が下した判断は
「ルールの精神に照らし、違反したバットは試合から取り除かれるべきである。しかし、
タールが飛距離を伸ばしたとは考えにくい。したがって、試合はサスペンデッドとして、
しかるべきときに続きをプレーしなさい」でした。これぞ“大岡裁き”。ハハハ。

“続き”は8月18日に行われました。
ロイヤルズはボルチモアに行く途中、ニューヨークに立ち寄った形です。
リーグ会長の決定が気に入らないマーチン監督は、ピッチャーのギドリーをセンターに、
左利きのマッティングリーをセカンドに起用して憂さ晴らしをしました。
“面目躍如”とはこのことですね。ハハハ。

ブレットの次のバッターだったマクレーが三振、9回裏のヤンキースは三人でうち取られ、
わずか12分で26日を要したロイヤルズの勝利が決まりました。 
“騒ぎ”の張本人、ブレットは退場処分を受けていましたから、この模様を友人とともに
ワインを飲みながらテレビで楽しみ、試合後、空港でチームに合流したそうです。

なお、問題のバットは、その後 本人に返され、現在はクーパース・タウンの野球の殿堂に
飾られているはずです。もちろん、タールはそのままで。ハハハ。

「1枚の写真」

26日付け、ニューヨーク・タイムズ、スポーツ・セクションのトップを飾った写真に心を
奪われました。
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R・ガードナーは4年前のシドニー・オリンピックで、あの「不敗伝説の男」、カレリンを
破って金メダルをとったレスリングの選手です。残念ながら今回は銅メダルでした。
そして、その3位決定戦が彼の選手生活最後の試合になりました。知らなかったのですが、
競技を終えたとき、シューズをマットの中央に置いて別れを告げるのはレスリングでは
“伝統”なのだそうです。

ガードナーには、シドニーのあと 離婚やスノー・モービルによる大事故など、たくさんの
ストーリーがありますが、長くなるので割愛します。
翌日のNBCのスタジオに登場して、「いろいろあったけど、すべてがチャレンジだった。
悔いはない」とすっきりした表情で語っていました。
こういう写真や物語に出会うときこそ、前のコラムにも書きましたが「オリンピックでは
敗者さえ美しい」と思う瞬間なのです。

いわゆる“いい男”ではありませんでしたが、闘争心むき出しで
常に全力でプレーしたブレットは“カッコいい男”でした。
通算成績は…
3154安打 打率.305 317HR 1999年殿堂入り(資格取得1年目)

記録より記憶に長く残るプレーヤーでした。

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by toruiwa2010 | 2011-07-23 09:32 | メジャー&野球全般 | Comments(0)
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