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岩佐徹のOFF-MIKE

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Archives 「ピート・サンプラスの引退~近づくUS オープン3~」           11/08/15

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スポーツ観戦を楽しみにしている人は多いです。
見ているうちに特定のチーム・選手を応援するようになります。
アスリートを応援していると、どうしても避けられないのが
“引退”です。
中には、異常に選手寿命が長い選手もいますが、競技ごとに
“常識”とされる年齢に近づくと力が落ちて、表舞台から
去って行くアスリートが大部分です。

たくさんの“別れ”を経験しましたが、一番つらかったのは
ピート・サンプラスでした。


「ああ、サンプラス!」2003.08.22


90年代のテニス界を支配してきた男、ピート・サンプラスがついに正式に引退を表明する
ことになりました。彼が所属するIMGによりますと、USオープン初日の月曜日の午後に
記者会見が予定されています。そして、その日のナイト・セッションに先立って行われる
特別のセレモニーでファンに別れを告げることになります。
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サンプラスについては、ウインブルドンを欠場しても、USオープンを辞退してもたいした
感慨が沸かないと語っていたことなどから、残念ながら引退は「するかどうか」ではなく
“時期”だけの問題だろうと思っていました。今朝のニューヨーク・タイムズ紙に二人の
記者が、同じようなニュアンスで「月曜日のスピーチで引退を表明するだろう」と書いて
いましたから、覚悟はしていましたが、そのときがすぐそこに迫っているという事実を
突きつけられて、なんとも言えないさびしい気持ちになっています。

サンプラスについては思い出されることが山ほどあります。病床にあったコーチを思い、
涙を流しながら放った200キロ・サーブなどでクーリエに逆転勝ちした’95年の全豪QF、
体調が悪く、胃の中のものをもどしながら、ときにラケットを杖代わりにして体を支え、
辛うじてコレチャを振り切った’96年全米QF、そして、子供のころからライバルだった
アガシとの数々の名勝負…。思えば史上最多14のGSタイトルのひとつ目が90年の全米、
最後が去年の全米、ともにライバル、アガシを破ってのものでした。
しかも、その輝かしい経歴の最後の結果が「グランド・スラム優勝」というのも、多少の
異論はあっても、多くの人がGOAT(=史上最高のプレーヤー)と認めるサンプラスらしい
ところでしょう。

はじめは、あまりにも強烈なサーブ・アンド・ボレーと、感情を表に出さない性格から、
「退屈だ」などと見当違いの批判を浴びていた時期もありましたが、安定したプレーと
すばらしいコート・マナーで次第にファンの心をつかんでいきました。風格のある真の
チャンピオンだったと思います。
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'93年の全豪で通訳を介してですが、インタビューをする機会がありました。3分という
短い時間でしたが、私にとってはいい思い出です。
記者会見では、いつも、まともな質問には丁寧に、ピントのはずれた、あるいは、失礼な
質問には厳しい表情で対応していました。言葉の量ではなく、目にモノを言わせることが
多く、かなりのベテラン記者でも一目置いている感じがありました。

実況人生の中で、単に“好きだから”ではなく“尊敬できる選手だから”しゃべりたいと
思ったアスリートはそうたくさんはいませんが、グラフ、アイス・ホッケーのグレツキー、
今、ヤンキースのクレメンス投手、長島、王、マラソンの瀬古、バスケットのジョーダン、
ジョンソンぐらいです。

14のグランド・スラム・タイトル、6年連続の年末1位…これほどの選手は二度と出ない
かもしれません。'92年からGSをフォローし始めた私はサンプラスのほぼ全テニス人生を
見ることができ、じつにしあわせだったと思います。
はるかに歳下ですが100%尊敬できる選手でした。
それだけに、開幕の月曜日はつらい日になりそうです。


「さようなら、ありがとうサンプラス」2003.08.27

とうとうサンプラスに「さようなら」を言うときを迎えました。
夕方6時からの会見、インタビュー・ルームはもちろんいっぱいでした。広報関係者から
「入れなくなるかもしれない」と脅されて早々と入室していたおかげで、はじめから彼の
表情を見守ることができました。
「ウインブルドンに出るための練習を始めても燃えるものがなかった。そのときが来た
のかなと思った」と語ったように、かなり前から覚悟ができていたのでしょう、表情は
思ったよりさっぱりしているように見えました。
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そして、はじめのほうで「100パーセント引退です」と言い切りました。
それは、たとえば、マイケル・ジョーダンのように引退したあと、再び戻るようなことは
したくないと心に決めていたからでしょう。
2度、少し胸にこみ上げるものを感じているように見えるときがありました。
それは、彼の人生とテニス・キャリアに及ぼした両親の影響について語り始めたときと、
これから行われるセレモニーに向かう気持ちを聞かれたときでした。

控えめで物静かなご両親でした。
92年から彼をフォローしていますが、彼の両親が試合会場に来たという記事を読んだのは、
小さな大会に一度と2000年、史上最多となる13個目のグランド・スラムがかかったあの
ウインブルドンの2回だけでした。
「怖くて見られない」のと「息子の邪魔をしたくない」との思いからです。
ウインブルドンで初優勝したとき ラジオを聞いていた長女が知らせに行くと父親は2階で
新聞を読んでいたといいます。
サンプラスが「自分の庭のようにしているウインブルドンに一度来てほしい」と、何度も
招いたのですが、同じ理由で断り続けていました。
「いい人間、そしてすばらしいテニス選手になろうとしてきた。このように育ててくれた
人たちに感謝したい」ともサンプラスは語っていました。
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記者会見は比較的淡々と済ませたサンプラスですが、ナイト・セッションで入場したとき、
長く、長く続いたスタンディング・オベーションにはそういうわけには行きませんでした。
きっと、いろいろな思いが脳裏をよぎったのでしょう。

90年、史上最年少の19歳で初優勝したこと、翌年QFで敗れたあと、「プレッシャーが
すごかった。負けてホットした」と言ってしまい、クーリエをはじめとする先輩たちから
きつい非難を浴びたこと、彼自身が「負けてよかった試合があるとすればこの試合」と
語ったことがある92年全米の決勝(vsエドバーグ/「はじめて負ける悔しさを知った」)、
兄のように慕っていたガリクソン・コーチの死、「一緒にコートに出て行くとき、電気が
走った」ライバル、アガシとの95年全米のファイナル、96年の苦しかったコレチャ戦、
無敵状態だったウインブルドンでの3連覇、そして4連覇、それに続いた、グランド・
スラムどころか、いかなるタイトルもとれなかったどん底の2年2ヶ月、17シードで臨み、
奇跡に近い復活優勝をはたした去年の全米…第三者の私でさえすぐに頭に浮かぶ、
強烈な思い出がこれだけあります。
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コートの上に立ち尽くす彼の胸に去来したのはこの程度のものではなかったはずです。
これだけ盛大な拍手に値する実績を残した自分を誇らしく思い、また幸せに感じたかも
しれません。こみ上げる涙をおさえることができませんでした。
40年アナウンサーをしてきて、放送中に泣いたことはありませんが、今日だけは初めから
自信がもてませんでした。あの、人前もはばからず、涙にくれるサンプラスを見たときが
一番危ない場面でした。

それにしても、彼が同世代の才能ある一団から抜け出して頂点を極めるところを見続けて
こられた私たちは幸せでしたね。「ありがとう」と言いたい気持ちでいっぱいです。
かつて、グラフが引退したときにも同じような感慨がありましたが、今後、これだけの
実力と人間性を併せ持つ偉大なチャンピオンにめぐりあうまで私たちはどれだけの時間を
必要とするのでしょうか。

お疲れさまでした。
アナコーン・コーチやベッカーも言っていたように、夫としての、そして父親としての
人生の第2章が幸せに満ちたものであることを祈ります。

そして、最後に、マッケンローが気持ちを込めて言った「We respect you」を、テニスを
愛する者の一人として私からも言わせてほしいと思います。
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2002年の全米優勝を最後に試合をしていませんでしたから、
引退は“既成の事実”でした。覚悟はできていたのです。
それでも、実際に“引退”が現実のものとなると、寂しさは
たとえようのないものでした。

引退セレモニーは柳恵誌郎さん、遠藤愛さんと実況しましたが、
お二人もサンプラスをリスペクトしていましたから、感動で
胸にこみ上げるものがあるのか、質問に反応していただけない
時間帯がしばしば生まれて困りました。ハハハ。


おことわり

東京も猛暑が続いています。
世間さまに合わせて、今日から3日間はお盆休みです。
アーカイブの更新だけとさせていただきます。あしからず。
今日まで、USオープンねた、明日と明後日は27日開幕の
世界陸上に合わせたねたの予定です。


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by toruiwa2010 | 2011-08-15 08:26 | テニス | Comments(4)
Commented by shin555 at 2011-08-15 10:49 x
We respect you
遅まきながら私も言わせていただきたいと思います。
改めて読み返しましたが岩佐さんのお気持ちが溢れていますね。
Commented by toruiwa2010 at 2011-08-15 11:00
shin555さん、こんにちは。

マッケンローが、スピーチの最後に、すこし
間をおいてこの言葉を言ったとき、背中が
ざわざわしました。
Commented by server606060 at 2012-03-16 23:16 x
’95全豪当時、私は21歳で自宅療養しておりました。
WOWOWを見ているくらいしかできないところに、
阪神・淡路大震災。故郷を想いベスト8に進んだ沢松。
サンプラスとQFクーリエ、Fアガシ戦が印象に残ります。

クーリエとの試合、Ti・ガリクソンを想い落涙止まらず、
岩佐さん「サンプラスは、泣いているんですかね」
クーリエ「明日、(試合を)やってもいいんだよ」
アガシの優勝スピーチ「メイト(=僕の友達)」は、
忘れないです。3選手の素晴らしさを知りました。

いい試合を見た私は程なく快復し、数年後就職もでき、
時代を経て中堅です。現在、テニスを見るのは稀でも、
フェデラー・ナダル・ジョゴビッチの3選手は重なります。

普段はコメントどころかペタもしない私ですが、
岩佐さんの一日も早い快癒を願っております。
Commented by toruiwa2010 at 2012-03-17 07:32
server606060サン、おはようございます。

95年の全豪破思い出が多い大会になりましたね。
私も、あのサンプラスxクーリエは今もよく思い出します。

足の骨折は100%治ったようです。
疲れると、まだ足を引きずりますが、いずれ治るでしょう。
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