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岩佐徹のOFF-MIKE

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Archives「残念でした 村上春樹 1~突っ込みどころ満載だった1Q84~」11/10/08

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「ノルウェーの森」ではなく“スウェーデンの詩人”でした。
…ええ、今年のノーベル文学賞の受賞者ですが。ハハハ。
がっくりするハルキストたちには同情申し上げます。
申し訳ないですが、私はなんとも思いません。
「1Q84」を読む限り、賞に値するとは思わないので。

2年前、この小説が発売されたときには“社会現象”になりました。
普段なら絶対に読まないのですが、“たまりかねて”読みました。
妻が買っていたからですが。
私にとっては突っ込みどころが満載でした。ハハハ。

今回の“落選”で2年前を思い出してしまいました。
そんなわけで、タイミングもいいので今週は放送関係を一休みして
村上春樹シリーズの3連発です。
なお、ハルキストはやめといたほうがいい、アドバイスしときます。
アドバイスしましたよね。読んだあと怒っても知りませんよ。ハハハ。
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“村上春樹「1Q84 」を読む~げに 純文学とはややこしきもの~”2009.07.10



・投げた石が必ず落ちるように俺は確実に死ぬ。

・が、テストを受けなければ、今全身をわし掴みにしている不安が永遠に続くことも
またハッキリしていた。墜落機の中にでもいるような激しい衝撃は収まったが、高みに
渡されたガラス板の上に立って下を見るような、踏ん張りのきかない絶望感が彼の全身を
しっかりと捉えていた。

・まるで糸の切れた凧のように嬉々として、彼はたちまちラグビーに打ち込んだ。

・それは目まいに似た暗闇を頭の中に喚起して彼をたちまち恐怖の底に突き落とした。

・たちまち彼の気分とは噛み合わない交換手の呑気な声が返ってくる。

出張先の海外で 文学を志す友人から「習作だけど、読んで感想を聞かせてくれないか」と
言われて預かった小説のコピーが手元にあります。
帰国の飛行機の中から読みはじめました。15年も前のことです。
…結局、彼に“感想”を伝えることはありませんでした。
頻繁に登場する、純文学にはありがちな“修辞法”(同じことを言い換えたり 単純な名詞や
動詞に回りくどい形容詞や形容詞句を書き足したりするやりかた)にひどく違和感を覚え、
ほかにも、“日本語的”におかしいと思える表現がたくさんあったからです。
それを伝えてこそ“友”でしょうが、最後の数行を除くと、共感するところ、感心する
言い回しがほとんどなくて、「これではなあ…」とためらってしまったのです。

広辞苑では“純文学”をこう説明しています。
<<<② 大衆文学に対して、純粋な芸術を志向する文芸作品、殊に小説>>>

4年前、0420「岩佐徹的比較文化論」に書いたとおり、私は、一貫して、芥川賞作品より
直木賞作品のほうが好きでした。
物語としての面白さを追及して、比較的分かりやすい言葉で簡潔に話を前に進めていく
大衆文学に対して、作家が大事だと考える“テーマ”を“言い換え”や“たとえ話”を
ちりばめて書き進めるあまり、なかなかストーリーが進展しない純文学は、“生理的”に
受けつけないところがあるのです。ハハハ。

“帰省中”にフレデリック・フォーサイスの「アヴェンジャー」を読み終えたあと、さて、
次は何を読もうかと本棚を探したのですが、適当なものが見つかりませんでした。
未読の原書は、全部、芦屋に運んであったからです。
うっかり、妻が読み終えてテーブルに積んであった“話題騒然”、村上春樹の「1Q84」が
目に入ってしまいました。
最近は 芥川賞作品をはじめ、かなり話題になっていても、日本人作家の作品はほとんど
読んでいなかったのですが、すさまじい人気のこの作品には関心がありました。
「そんなにすごいの?」「どこがそれほど面白いの?」…
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見た目は“しゃきっとした”キャリア・ウーマン、実は…という女、青豆(あおまめ)と
作家を目指す青年、天吾(てんご)が、1章ずつ、交互に登場して物語が進行していきます。

読み出してはみたものの、たちまち、“15年前”と同じ感覚を味わうことになりました。
もちろん、友人には悪いですが、レベルは大きく違います。
しかし、「普通に書けばいいじゃない?」「どうして、そんなに得意げなの?」
「なぜ、まるで『どうだ、うまいだろう。こういう言い換えは俺にしかできないのだ』と
言わんばかりに くどい形容詞や形容詞句を書き連ねなければいけないの?」と、へきえき
した気分になるところは同じです。ハハハ。
冒頭の3-5行目にかけて、こんな文章があります。

・中年の運転手は、まるで舳先に立って不吉な潮目を読む老練な漁師のように、
前方に途切れなく並んだ車の列を、ただ口を閉ざして見つめていた。

…“余計な”文節のおかげで、かえって運転手の表情が頭に浮かんできません。ハハハ。
“中年の運転手は、前方に途切れなく並んだ車の列を、ただ口を閉ざして見つめていた”
では、どうしてもダメなのか?
それに、“途切れなく”という日本語、あるんですかね?
私のボキャブラリーには“途切れることなく”または、“切れ目なく”しかありませんので、
この言葉に出会って、びっくりしました。
推敲に推敲を重ねたはずですから、“大作家”に間違いはなく、私が知らなかっただけ…
このブログでは、とりあえず そういうことにしておきましょう。ハハハ。

珍しい苗字を持つ主人公の一人が、行く先々の町で電話帳を開いてみるが、同じ名前を
持つ人物は見当たらなかった…という記述のあとに
“そのたびに彼女は、大海原に投げ出された孤独な漂流者のような気持ちになった。”と
書かれています。数行後には
“名刺を渡すと相手はしばしそれを凝視した。まるで出し抜けに不幸の手紙でも渡された
みたいに。”とあります。

ほかにも・・・。

・なのに、その音楽の冒頭の一節を聴いた瞬間から、彼女の頭にいろんな知識が反射的に
浮かんできたのだ。開いた窓から一群の鳥が部屋に飛び込んでくるみたいに。

・録音された拍手を長く聞いていると、そのうちに拍手に聞こえなくなる。終わりのない
火星の砂嵐に耳を澄ませているみたいな気持ちになる。

・「現実はいつだってひとつしかありません」、書物の大事な一節にアンダーラインを
引くように、運転手はゆっくりと繰り返した。

・それは揺れというよりはうねりに近い。荒波の上に浮かんだ航空母艦の甲板を歩いて
いるようだ。

・堅く閉じられた唇は、よほどの必要がなければ微笑ひとつ浮かべなかった。その両目は
優秀な甲板監視員のように、怠りなく冷ややかだった。

傾向はお分かりでしょう。
省かれていることが多いですが、一つの文章を説明するときに、“まるで(たとえば)、
・・・のように(みたいに)”という形の文章が続くのです。
第1章、19ページ分の文章の中だけでこんなにあります。“てんこ盛り”。ハハハ。
ファンの多い、世界的に有名な作家ですから、当然、「それが村上文学さ」とおっしゃる
読者がたくさんいるのでしょう。だからこそ、意図的に宣伝しなかったのに、初日だけで
数十万部を売り上げたのでかもしれません。

しかし、天邪鬼の私はそれほど、感心したり、「参った」と言ったりしません。ハハハ。
これは、作家の“言葉遊び”じゃないかと思うのです。
それが好きだと言う人もいるでしょう。しかし“いちいち”感心したりしない私のような
読者には余分なものでしかありません。どんなに高邁なテーマで小説を書いたって 読者に
伝わらなければ意味がないじゃん。
分類上、純文学だろうが、大衆文学だろうが、分かりやすいことが肝心じゃないのかなあ。

考えすぎでしょうが、なによりも、読者に「うまいなあ」と言わせたがっているように
思えてなりません。大向こうに受けることを狙っているようで、好きにはなれません。
もともと、世間が“絶対視”する事物には、“眉につばする”ことにしている私ですから、
大作家がこういう“自己満足”的なことをやっているのが我慢できないのです。ハハハ。
ウエアや音楽をはじめ、やたらにブランド名や“うんちく”が出てくるのも、かえって、
作品全体の質を落としているように感じます。そんなことは、“やすおチャン”に任せて
おけばいいのに…。

純文学とは“対極”に位置する分野(推理・探偵小説)になりますが、私の大好きな作家に、
“ハリー・ボッシュ・シリーズ”で知られる、マイケル・コネリーがいます。
探偵小説を馬鹿にしてはいけません。彼は、新聞記者として“ピューリッツァー賞”の
候補にもなったほどの実績を残していて、今では、日本でもファンが増えています。
ときどき“うんちく”は出てきますが、英語で読んでも、彼の書き方のほうが“無駄”が
少なく、はるかにスマートです。
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…そんなことを言いつつ、BOOK1を読み終えてしまいました。ハハハ。
こうなった以上 最後まで読むつもりですが、いまのところ、高い評価に値する小説だとは
思いません。“面白い”とも思いません。“行きがかり上”、読み進んでいるだけです。

BOOK1の終り近くにこんな箇所があります。

「世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との
果てしない戦いなんだよ」
「たしかに」と青豆は言った。


…文化人類学者や哲学者ではなく、“普通の”20歳代半ばの女性二人の会話です。
すっげー!小説だから、と言ってしまえばそれまでだし、こういう深ーい会話ができる
若い女性がいたっておかしくはないのですが、ひたすら尊敬しちゃいますねえ。ハハハ。

501ページに、編集者が天吾に向かって電話で 「ホットケーキみたいに作るそばから
どんどん売れている」と話す場面があります。
哀れな私の頭は“混乱”します。
“花畑牧場の生キャラメルみたいに、作るそばから…”なら、私の頭でも分かります。
しかし、この作家の書き方だと、“ホットケーキ”とは、“作るそばから売れる”もの、
ということになり、それはとてもおかしな“決め付け”です。それとも、1984年当時は
ホットケーキが“爆発的に”売れていたんでしょうか。まさかね。ハハハ。 

読みはじめたばかりのBOOK2にも、いきなりこんな記述があります。
・百合は大きく、瞑想にふける異国の小さな動物のようにもったりしていた。
・唇には色がなく、長い眉の外端は、まるで万有引力に抗することを
あきらめたかのように、わずかに下に降りていた。

相変わらず…。ハハハ。
こういう描写が、ものすごく気になるのです。

ただし、初めは、まったく接点がなさそうに見えていた2人の主要な登場人物の間に、
少しずつ、“絆”があることが明らかになってきています。これから面白くなるのか?!
読み終えたときの感想が大きく変わっていても私を責めないでください。ハハハ。


このエントリーを書くのに、少し“ためらい”がありました。
ささやかではありますが、不特定多数の方の目に留まるブログで、ノーベル賞を獲ろうか
という世界レベルの作家の作品に“いちゃもん”をつけ 文章にまでごちゃごちゃ言うのは
それなりの“勇気”が要ることなのです。ハハハ。

これを何と言えばいいのでしょうか?
“飛んで火に入る夏の虫”?…じゃあないでしょう。
“風車に挑んだドン・キホーテ”?…違いますねえ。
“蟷螂の斧”?…これも違うなあ。
“「私を総裁候補に」の東国原知事”?…。ハハハ。

ピッタリの言葉は見つかりませんが、周囲からの“冷ややかな”目を意識しながら、
勝てる見込みのない相手に挑んでいる自分が見えます。ハハハ。

参考のために、この記事に対するコメントを先に(⇓)
更新してあります。興味があったらどうぞ。

by toruiwa2010 | 2011-10-08 09:12 | 読書・歌・趣味 | Comments(5)
Commented by しょう at 2011-10-08 12:16 x
岩佐さん、こんにちは。

世界レベルの作家の作品に“いちゃもん”。

その勇気に拍手です。楽しく読ませていただきました。
その昔「ノルウェイの森」ブームが起きた時、
好みではないと分かっていながら読んだことがあります。
まさしく「IQ84」の岩佐さんと同じ心境になったことを思い出しました。
もう、辛気くさいし回りくどいし、読み切るのに相当の体力を使いました。
体力と時間を使った割には、どんな内容だったのか記憶が曖昧(笑)。
同じ回りくどさでも村上龍のそれほうが、私には読みやすいですね。

作家の視線が読者へ向いているのか自分へ向いているのかの違いですかねぇ。
映画の記事にもコメントしましたが、
小説も、この作品は芸術か娯楽か?と読み手も意識する必要があるでしょうか。
Commented at 2011-10-08 12:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 庄子仁 at 2011-10-08 14:00 x
村上春樹には全く興味が無かったので、極々通りいっぺんの彼に対する評判しかわからなかったのですが、ここまで辛辣にこの“稀代の?”人気作家様の作品を批評する文を目にしたのも初めてのような気がしたので、やはりそういう人もいるんだなぁ、と当たり前の感想を抱いた次第です。でもこの世界観が最高!と思っている人々が世界中にたくさんいるのも事実なんですよね。岩佐さんから見れば、そんな人達は“理解に苦しむ“ってことなんでしょうかね?
Commented by toruiwa2010 at 2011-10-09 10:00
しょうサン、こんにちは。
事情があって、レスが遅くなりました。

このままで問題ないと思うのでノータッチにしました。
僕のほうでは修正もできないので・・・。

小説も、この作品は芸術か娯楽か?と読み手も
意識する必要があるでしょうか・・・

難しいですが、私は基本的に広義の“娯楽”として
読んだり、見たりしますね。
Commented by toruiwa2010 at 2011-10-09 10:04
庄子仁サン、レスが遅れてすみません。
ここまで辛辣にこの“稀代の?”人気作家様の作品を
批評する文を目にしたのも初めてのような、・・・

“蛮勇“と読んでもらっても。ハハハ。


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