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岩佐徹のOFF-MIKE

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F1 地上波撤退!~25年たつんだものなあ~12/02/23

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先週の木曜日は久しぶりでフジテレビ時代の仲間と会食しました。
長い付き合いの上に気が合う連中ばかりですから大いに盛り上がりました。
仕事もたくさん一緒にやりました。懐かしい思い出がいっぱいあります。
メンバーのうち2人はスタート当時のF1制作のトップ2でした。
1人は当時 新進気鋭のMディレクター、もう1人は業界最高のYタイムキーパーです。
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私がフジテレビでアナウンサーを辞めて報道に異動したのは1982年でした。
2年後、念願がかなってスポーツ部に移りました。
有難いことに、数人のディレクターがアナウンサーとしての私を買ってくれていました。
スポーツ部員のまま 実況ができる方法はないものかと、いろいろトライしてくれましたが、
アナウンス部の反対が強くて失敗に終わりました。

「プロ野球ニュース」のデスクや野球中継に提供するデータ制作をしながら退屈な日々を
送っていた私をMが引っ張り出してくれたのは1986年のことでした。
毎週月曜日の「プロ野球ニュース」に 海外スポーツの情報を伝えるコーナーを企画して、
司会にモデルのセーラ・ローウェル、コメンテーターに私を推薦してくれたのです。
アナウンス部の抵抗も抑え込んでくれました。ここだけの話ですが、恩人です。ハハハ。

コーナーで紹介した種目の一つに日本ではあまり知られていなかったF1がありました。
番組制作と並行してMは精力的に動き回っていたようです。そのとき、F1の放映権を
どの局も持っていないことを知って獲得したいと考えたのです。
若かったMは野球やバレーは先輩がたくさんいるので自分が腕を振るえるようになるのは
先のことだと分かっていました。誰も手を出していない 新しいイベントを獲得できれば、
優先的にやれると考えたのでしょう。

自分ではどうにもならないことも分かっていますから、Oプロデューサーを動かしました。
事業部から移ってきたベテランです。私も含めて部員の間での評判はあまりよくなかった
男ですが、Mは気にも留めません。ほしいものを手にすればいいのですから。ハハハ。 

FOCA(当時のF1統括組織)のバーニー・エクレストンが来日したのは1986年秋でした。
ジャパンGPを鈴鹿で開催することが決まり、その発表のためでしたが、放映権について
各局と交渉する狙いも持っていました。TBS、NHKを初め、多くの局のプロデューサーが
彼が宿泊するパレス・ホテルに雁首を揃えました。1局ずつ部屋に入って交渉したのです。
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この時代、日本のテレビ局のスポーツ担当者(役員・局長)を散々苦しめた外国人が
3人いた、と書いておきましょう。私の目にはスポーツ界の“3悪人”です。
プリモ・ネビオロ(世界陸連会長:イタリア人)、ルーベンス・アコスタ(世界バレーボール
連盟会長:ブラジル人)、そして、エクレストン(イギリス人)です。好視聴率が見込める
種目のトップだったこの3人に、日本のテレビは散々いたぶられ、いいように金をむしり
取られました。夜ごと ワラ人形に五寸釘を打ち込んだプロデューサーもいたはずです。
ハハハ。

ご承知の通り、権利はフジテレビが獲得しました。
直接 交渉したのはOプロデューサーでしたから彼の“手柄”と言っていいでしょう。
しかし、権利獲得に成功した最大の理由は彼の手腕以外のところにありました。
それは 当時 フジテレビの実質的トップだった鹿内春雄氏から契約金額や年数についての
決定権を与えられていたことです。他局の“交渉人”たちは話が進むたびに上司の判断を
仰ぐための時間が必要でしたから差は歴然だったのです。
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このころのフジテレビは“絶好調”でしたから 資金は潤沢だったはずです。
ヨーロッパではF1中継のホスト・ステーション(開催国の放映権を持っている局)といえば
一定の敬意を持って見られると聞きました。あちらでは、F1は“文化”と考えるからです。
父・信隆氏は箱根に美術館を建てました。春雄氏のDNAにも“文化”にあこがれる血が
とうとうと流れていたのでしょう。「いくらでもいいから獲れ」と命じたようです。

Mは立ち上げの1987年からめでたく担当ディレクターになりました。
本人は「ボンネットも明けたことがないぐらいクルマには興味がなかった」と言いますが、
とことん勉強するタイプですから、いい番組を作ることに貢献しました。
ただし、2年目に新しく就任した2代目Iプロデューサーがあまりにもお粗末でした。
それが気に入らないMにIはずいぶんいじめられました。ええ、私です。
プロデューサーのなんたるかを知らないままなってしまった私は「あれはどうなってる、
これはどうするつもりだ?」と翻弄されました。予算委員会で野党の集中砲火をあびて
困惑していた田中直紀防衛大臣のごとく。ハハハ。
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タイムキーパーの本来の仕事は、番組作りの中で時間を管理することです。しかし、Yは
そこに留まらず“先を行く”仕事をしました。すべての素材を頭に入れ、ディレクターが
ほしいと思う映像を口にすると、どのテープのどこにあるかがすぐに分ってしまうという
“ツワモノ”でした。ディレクターにとってこれほど強力な助っ人はないでしょう。
しかし、よちよち歩きの新米にとっては“煙たい”存在だったに違いありません。彼女の
“愛のむち”に鍛えられたディレクターがスポーツ部にはごろごろいるはずです。ハハハ。

あれから25年が過ぎました。
フジテレビは地上波のF1中継から撤退しました。テレビはいま“冬の時代”に向かって
まっしぐらです。バブルも絶好調も過去の話です。調子がいいときは、視聴率も気にせず、
金はいくらかかってもいい、という姿勢でいい番組を作っていられましたが、もう そんな
時代ではないのです。聞いた限りでは、ほかの地上波も手を挙げていないようですが、
むしろ当然の話です。
フィギュアのときにも、まるで「採算を度外視してでも我々の理想とする中継をやれ」と
言わんばかりの大ブーイングが“一部で”ありましたが、テレビにも事情があるんですよ。
ハハハ。

映画レビュー続報

「はやぶさ…」が興行的には苦戦しているようです。
宇宙探査機の物語だと誤解されているのではないでしょうかね。
どちらかと言えば、はやぶさの長い旅を成功に導いた男たちの
人間模様を描いている作品だと思います。

岩佐徹のランキングでは、2012年のほうがNo1です。
あらためて、強く推薦しておきます。
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by toruiwa2010 | 2012-02-23 08:24 | スポーツ全般 | Comments(15)
Commented by ひろ☆はっぴ at 2012-02-23 09:41 x
フジテレビが年間16戦(今は20戦!やり過ぎ)全てを中継してくれたおかげでF-1の世界を初めて知り、モータースポーツの面白さを知った人は大勢居るでしょう。放送開始当時高校生だった私もその一人です。岩佐さんを含め関係者の皆さんに感謝せねばなりません。時代の変化とはいえ、何とかBSとCSは続けて欲しいですね。いつか景気よくなったときのためにも…錦織がSF進出したから慌てて放送するなんていうかっこ悪いことはして欲しくありません。
Commented by toruiwa2010 at 2012-02-23 09:45
ひろ☆はっぴ サン、こんにちは。

私の貢献は古舘実況を1年だけ阻止したことと、
テーマ曲「TRUTH」を変えさせなかったことぐらいです。ハハハ。
Commented by ヤップンヤン at 2012-02-23 13:50 x
岩佐さんがTrurhを変えなかったおかげで、その年にTruthのシングルCDを買いました。
Commented at 2012-02-23 13:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by toruiwa2010 at 2012-02-23 14:16
ヤップンヤンサン、こんにちは。

私がいいことをした、わけですね。

そして、ご指摘、ありがとうございました。
Commented by ヤップンヤン at 2012-02-23 14:44 x
かなりいいことをしていただきました。今でも保存していますよ。
岩佐さんがストップしなければ、元のサヤに戻って、いまだに局ごとのスポーツテーマ曲が流れているかもしれませんね! 岩佐さんが現在の日本のスポーツテーマ曲の流れを決めたと確信しています!!
Commented at 2012-02-23 14:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by toruiwa2010 at 2012-02-23 14:52
私が流れを決めた…そんなことはありません。

系列のポニーキャニオンの曲じゃないので
変えろという話があって、スタッフ全員が猛反発、
みんなで抵抗して守ったのです。
Commented by レニ at 2012-02-23 17:08 x
こんにちは。

私は90年代初めに一年半ばかりパチンコ店に勤務してましたが、「TRUTH」がひっきりなしに流れてましたよ。よくお客さんに「この曲のタイトルを教えてほしい」と聞かれたものです。なぜか女性客がほとんどでした。思わぬところで岩佐さんの影響が……。
テーマでいえば、フジがかつてスポーツテーマに使っていたアール・E・マッコイ「消灯」が大好きでした。あれを聴くといっぺんに気分が盛りあがったものです。競馬中継のテーマが「消灯」からオリジナルに突然変わった時の落胆といったら……。あのあたりから日本のテレビのスポーツ実況から厳粛さと緊張感が急速に薄れていった気がするのですが。

Commented by toruiwa2010 at 2012-02-23 17:59
レニさん、こんばんは。

パチンコ屋=軍艦マーチ、という認識ですから
意外な感じです。ハハハ。

僕らは「Light's Out」と呼んでいたあのマーチは
忘れ難いです。若手から、もう時代が違うといわれて
強引に変えられるのを茫然と見ていました。

NHKのようにいまだに古関 裕而というのも
どうかなと思いますが。ハハハ。
Commented by ヤップンヤン at 2012-02-23 18:00 x
岩佐さんの話を聞くと、音楽の件といい、交渉の件といい、いろいろあって大変ですね・・・。
Commented by 老・ましゃこ at 2012-02-23 20:02 x
『はやぶさ』 苦戦ですか!意外です!
観たい気持ちは一杯なのに時間がとれず…私はまだ見ていないのです。
江口洋介さんが楽しみです。
Commented by toruiwa2010 at 2012-02-23 20:09
老・ましゃこサン、こんばんは。

時間を作って是非ご覧ください。
Commented by 赤ぽん at 2012-02-24 02:09 x
岩佐さん、こんばんは。
バブル景気に浮かれていた頃、セナ、プロスト、マンセル、中嶋らの顔や
F1マシーンの流線型が浮かんできます。テーマ曲「TRUTH」と共に!
私が観始めた頃、岩佐さんがプロデューサーをされていたのですね。
初めての鈴鹿サーキット体験は、ちょっと遅れて聞こえる爆音と化学的な
ガソリンの匂い、そしてゴーカートで実際に走ったサーキットの第1コーナーへの
思いのほかきつい下り坂でした。
そしてバブルも終わった頃、セナのイモラサーキットでの悲劇と三宅アナ、
今宮さんらの涙の中継、ヘリからの映像、そして後日改めて再放送され、
それを正視できなかったサンマリノGP・・・どれも懐かしく、また悲しい
思い出です。青山のホンダ本社へも追悼に行きました。
絶好調のフジ・F1・バブル・そしてセナ・・・もう20年の時間が流れたのですね。

Commented by toruiwa2010 at 2012-02-24 07:34
赤ぽん サン、おはようございます。
(まだ熟睡中でしょうが)

思い入れのある人にはF1は強い印象を
残しているんですね。
私は87年の初鈴鹿で、スタッフがフェラーリの
エンジン音に興奮している様子が不思議でした。ハハハ。
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