ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

閑話休題:失敗話1~岩佐徹的アナウンス論 25~12/03/24

d0164636_8594530.jpg
さて、元アナウンサーが書けばやはり“失敗談”は欠かせないでしょう。偉そうなことを
書いてきましたから、自分の恥もさらさなければフェアじゃありません。ハハハ。
ニュースで読み間違えた、時間に収まらなかったなど、小さいものはたくさんありますが、
大きなもので一般の方が面白がる失敗はふたつです。
d0164636_925782.jpg
まず、入社2年目の1964年、東京オリンピックの時です。
開局以来のビッグ・イベントを迎え、フジテレビはネット局の協力で「東京オリンピック
放送実施本部」をつくり、まだ若かった私もそこに投入されました。
仕事は先輩たちの手伝いが大部分でしたが、人繰りの関係もあって、大会中盤で大事な
インタビューの仕事を命じられたこともあります。
デスクの指示は「夜のダイジェスト番組用にレスリングでメダルを獲った日本人選手の
インタビューを収録する」というものでした。

レスリング会場は駒沢公園にありました。
近くの喫茶店の2階を借りてスタッフがインタビュー用の簡単なセットを組みました。
「君は、日本人選手の競技が終わるまでは、会場で見ていていいから」と言われた私は
スタンドで観戦していました。
d0164636_901865.jpg
しかし、メダルの可能性のある日本人選手がまだ試合を残しているので、安心して観戦を
続けていた私の耳に「フジテレビの岩佐さん、八田会長が東ゲートでお待ちです」という
呼び出しの場内アナウンスが飛び込んできました。
大会中はどの会場でも場内アナウンスは競技進行に関するものだけで、呼び出しなどは
いっさいやらないと聞いていましたし、レスリング盟の会長とは面識がありません。
なぜ?と不審に思ったものの「フジテレビの岩佐さん…」とはっきり言ったからなあと、
半信半疑で呼ばれた場所に行くと、待っていたのは系列局からの応援スタッフでした。
「予定が変わって、すぐにインタビューするので来て欲しい」と言うのです。

喫茶店まではおよそ500メートル、彼は「みんな待ってるので走ってくれ」と言いますが、
「すぐ始めるんだったら、息が上がるから走れません」と断わりました。走って時間を
稼いでも、その分、しばらくは普通に話せないからです。
それでも、できるだけの早足で歩きました。喫茶店に着いて螺旋階段を上がると、そこに
八田会長、その隣に3人の選手の顔が見えました。「まずい 待たせたわけだ」と思いつつ、
階段を上がりきると、死角だったところに1年先輩のアナウンサーで、このときは特別編成
チームに入って遊軍ディレクター的な仕事をしていたYさんがすわっていました。

彼は私の顔を見ると、ほっとしたように(「万一の時は君がやってくれ」と言われていた
そうです)立ち上がり、手にしたストップ・ウオッチを私に渡すと「7、8分でいいから」と、
小声でささやいて席を私にゆずりました。

腰をおろして前を見ると、正面のカメラにタリー・ランプがついていました。
赤いランプは、そのカメラが“生きて”いること、撮っている映像が放送(収録)されている
ことを示しているのです。
「ずいぶん焦ってるなあ。せめて簡単な打ち合わせぐらいやらせてくれてもいいのに」と
思ったのですが、目の前のカメラマンは「しゃべれ」という合図を送っていました。
私が、人差し指で自分を指して「ぼくが」、顔の横で 親指と他の4本の指を上下に動かし、
「しゃべるんですか」とやると「そうだ」とうなずきます。
「相当急いでるなあ。きっとこのあと選手たちは、他の局にも回るんだ」ぐらいに思って
姿勢をただし、カメラに向かって「それでは早速ご紹介しましょう。まず、八田会長です。
そして…」そこまで言った時、突然 頭の中が真っ白になりました。選手の名前がまったく
出てこないのです。

すると八田会長が横から「花原です」と助けてくれました。
「失礼しました、花原さんです。そのおとなりが…」と紹介を続けたのですが、頭の中は
ミスが強く尾を引いています。
「コーナーのしょっぱなで、金メダリストの名前を忘れたのではまずいだろう」。
よほど「すみません、最初からやり直します」と言おうかと思いました。
ほんとにのどまで出かかったその言葉を、なぜか思いとどまって“収録”を終えました。

いや、正確には“収録を終えた”つもりでした…でしょうか。
監督や選手を送り出して中継車のところに挨拶に行くと、担当プロデューサーが渋い顔で
タバコを吸っていました。
「やっぱり出だしの失敗を引きずって、ずっと話が盛り上がらなかったし、叱られても
しょうがない」と思って頭を下げ、「すみませんでした」と謝りました。
そのときは、特に何も言われず、スタッフと一緒に車で会社に向かいました。
だいぶ時間がたってから、ずっと押し黙っていたプロデューサーがポツリと「でも、まあ
生で突っ込めたんだからヨシとしなきゃいかんか」と言いました。

「エッ、生だったんですか?」と、私は思わず頭のてっぺんから声を出してしまいました。
聞けば、「ほかの競技の放送を中断してインタビューを入れた」と言うのです。
誰からも、ビデオの予定が生に変わったことを聞いていませんでした。
しかし、そのことを怒る元気もありません。そんなことより「えっ、…ということは、
カメラマンとのあのパントマイムのやりとりも、そのままオン・エアされたってこと?」、
「あそこで『やり直し、お願いします』と言っていたらどうなっただろう?」と、次々に
「?」が頭に浮かんできます。ハハハ。
d0164636_923517.jpg
特に、「やりなおす」と言ったときに、必死に生だということをわからせようとする周りの
スタッフの動き、「しまった、生だ」と分かったときの、動揺した自分のうろたえぶりを
想像すると、背中、わきの下から冷や汗がどっと噴き出したのでした。
どう考えても、入社2年目で経験不足の私には機転をきかせてその場を切り抜けるだけの
ワザもハートもあったとは思えません。つまり、名前を度忘れしたのとは比べようもない
醜態をさらしたことでしょう。
アナウンサー人生は、おそらく、そこで終わっていただろうと思われ、このときのことを
思い出すたびにぞっとするのです。ハハハ。


つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-03-24 09:11 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。