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岩佐徹のOFF-MIKE

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アナウンサーになるまで~岩佐徹的アナウンス論34~12/04/22

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アナウンサーになろう

いったい、いつ頃からアナウンサーになりたいと思ったのでしょうか?
はっきり意識したのは1959年に入学した慶応大学で たまたま放送研究会に誘われて
入った時からですが、伏線、あるいは潜在意識は幼いうちからあったと思います。

小学校のころ、国語の時間などに教科書を児童に読ませたいと思った時、担任はよく
私を指名していました。理由は定かではありませんが、多分私の声がボーイソプラノで
よく通ったからだと思います。甲高いその声のせいで、よくからかわれていましたから、
本人は好きではありませんでした。しかし、教師たちにはなぜか好評で、音楽の先生は、
嫌がる私を当時人気だった杉の子子供合唱団(安西愛子さん主宰)に連れて行き、
強引に放り込んでしまったほどです。ハハハ。
本人が乗り気じゃないのですから、長続きするわけもなく、有楽町の毎日ホールでの
発表会に2度ほど出ただけで早々とやめてしまいました。
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5年生の年の卒業式で送辞を読みなさいと言われた時には、「君の声はよく通るから」と、
明瞭な説明がありました。自分がつくった文章に先生が手を加え、会場となる講堂で
リハーサルをやらされました。
何度もやらされることを覚悟していましたが、講堂の隅で聞いていた担任は、「もう少し
大きな声でもう一度」と言っただけで、わずか2回で無事合格でした。
つまり、よく聞こえたのでしょう。ハハハ。

中学生のころは、新聞記者だった父とその仕事を強く意識するようになっていました。
その頃、父は50代前半の働き盛りでした。日曜日ごとに仲間が我が家に来て酒を飲み、
仕事の話で盛り上がっていました。
大阪での印刷・販売を始めた読売新聞の編集局次長時代は、私たちが住む社宅の近くに
独身寮あったせいで、寮の食事だけでは足りない若い記者やカメラマンたちがほぼ毎晩
きていました。父は帰宅していないことが多く、相手をするのは母や私たち兄弟でした。

もちろん、仕事の具体的な内容は理解できるわけもありませんが、そんなときに聞く
彼らの日常は、実態はわからぬまま、中学生の私をとりこにするのに充分すぎるほど、
刺激的、かつ魅力的なものに映りました。

東京日々新聞を振り出しに、父は、民報、時事新報、読売新聞、産経新聞、東京新聞、
中日新聞と渡り歩きました。やめる時の理由はそれぞれですが、どれひとつとして、
後の私のような わがままによるものはなく、しかも、次の仕事が決まるまでそれほど
時間がかからなかったと、周りの人たちは言っていました。ハハハ。
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中学生だった私にも「…つまり、それだけ能力があり、人から好かれ、ネットワークを
持っているということなのかな」と分かりました。
それは、“尊敬”というより、「自分もそうありたい、そういう職業につきたい」という、
“あこがれ”に近かったでしょう。そして、この頃の私はすっかり「新聞記者志望」で
気持ちが固まっていたのです。

大阪に住んで2年目、高校に入ると状況が大きく変わりました。
中学時代は遊び半分でやっていたバスケットボールを本格的に始めたのはいいのですが、
激しいトレーニングについて行けず、たちまちダウンしてしまったのです。
病名は肋膜炎で、回復までに時間がかかり、結局、留年することになりました。
復学したあと新聞部に入ったほどですから この段階でも「新聞記者志望」に変わりは
なかったのですが、病後であることをすっかり忘れて部活に夢中になった挙句、今度は
肺結核でふたたびダウンして西宮の療養所に送られてしまいました。ハハハ。

1年後に復学(3度目の1年生)したものの、この病歴では、新聞記者の仕事の厳しさには、
とても耐えられないだろうと思わざるを得ませんでした。
そのあとの高校生活は目標が持てず、また、その年令でクラスメイト全員が2才下では
話が合わず、登校拒否でもしたい心境の毎日でした。
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そんな日々が1年半ほど過ぎたころ とうとうガマンしきれず 父に泣きついて、東京で
中学の2年間を過ごした学校の高等部に転校させてもらうことにしました。
明星学園は当時から制服もないとても自由な雰囲気の学校で、妙に大人びた生徒が多く、
かつてのクラスメイトの弟や妹がいたりして居心地がいいに違いないと考えたのですが、
“ビンゴ”でした。

その夏、修学旅行で東北に行ったあとの夏休みに友人が電話をして来ました。
修学旅行の記録映画をつくるのでナレーターをやってくれないかとの依頼でした。
「仲間で話し合ったけど、君の声はよく通るし分かりやすいということで一致した」と
言うのです。またしても“声がよく通る”…。このとき、頭の片隅に「もしかすると
これを生かして、アナウンサーという選択肢もあるのかな?」という考えが浮かんだ
ような気がします。

「テレビもマスコミだし」とも考えましたが、具体的な目標として固まったわけでは
ありませんでした。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-04-22 08:00 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)
Commented by hiroko_joan at 2012-04-22 15:56 x
岩佐さん、こんにちは。

アナウンサーになって技術を磨いた部分もあると思いますが、生まれつき『声の通りやすさ』という特長を持っていたんですね☆

つづきを楽しみにしています♪
Commented by toruiwa2010 at 2012-04-22 16:12
hiroko_joan さん、こんにちは。

微妙な違いですが、「よく通る声」が
必ずしも、「マイクに乗る声」でもないようなので
ややこしいですね。

どちらにしても、今や私の声は聞きとりにくいらしく、
妻に何度も聞き返されます。ハハハ。
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