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岩佐徹のOFF-MIKE

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競馬実況挫折・FAカップ~岩佐徹的アナウンス論39~12/05/13

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・・・つづき

スポーツ ひとすじ


わずか3回で番組をおろされた…考えすぎでしょうが、まわりのみんなが薄ら笑いを
浮かべて私を見ているような気がして かなりつらい時期でしたが、幸いだったのは、
私にはスポーツという“逃げ場”があったことです。
そのころの、フジテレビ・アナウンス部には 小篠、鳥居、山田、横堀、塚田と5人の
先輩がスポーツアナとして活躍していました。野球、ボクシング、競馬がメインです。
野球はスポーツアナの基本中の基本ですから、当然 勉強するにしても、中継本数は
少なく、総合的な力を求められるため、当分 出番は考えられません。
ボクシングは好きでよく見ていましたが、上に3人もいたのでは、これもチャンスは
なかなか来ないなあとためらっていた2年目の3月に、「競馬をやってみないか」と、
部長に言われました。

競馬実況 挫折

その年の4月から土、日の夜に「競馬ダイジェスト」という番組がスタートするため、
競馬アナウンサーを増やしたいという思惑があったようです。
マージャンは大好きでしたが、その他の賭け事はほとんどやったことがなかったため、
内心「困ったなあ」と思いました。しかし、命令は断われません。
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毎週、週末の競馬場通いが始まりました。
デンスケと呼ばれる小型のテープレコーダーで、まずレースが追えるようになるため、
各レースの実況練習です。
…始めてすぐに、困ったモンダイがふたつあることが判りました。

ひとつは、馬の名前がなかなか覚えられないことです。
「馬券を買うと、自然に頭に入るよ」とのアドバイスの実行は、結婚したばかりで
こづかいが充分ではない私には 言われるほど簡単ではなかったこと。

これは努力次第で何とかなりそうでしたが、もうひとつはもっと深刻でした。
レースそのものは少しずつですが、追えるようになっていきます。
しかし、ゴールのあと、レース“展開”を振り返ろうとしても、思い出せないのです。
スタート直後、先頭に立った馬がそのまま逃げ切ったレースなら問題ないのですが、
激しく順位が入れ替わったレースだと、勝った馬が初め、どのあたりに位置していて、
どこで仕掛けて……などが記憶されていません。

大した経験はなくても「これは競馬実況をする上で“致命的”な欠陥ではないか」と
思わざるを得ませんでした。
しかし、能力はともかく、数として期待されているのは分かっているだけに、ここで
「辞めたい」とは とても言い出せるものではありません。
かと言って、このまま続けていても、いつの日にか そう申し出ることになりそうな
感じがありました。その方が余計に迷惑をかけるのではないか?と迷いました。

ちょうどそのころ、競馬は地方開催の時期になっていました。競馬担当アナとしては
“3番手”だった私は予算の関係で行くことができず、しばらく競馬から離れる形に
なってしまったことも“不運”でした。
結局、夏競馬が終わるころ、鳥居先輩のところに恐る恐る話をしに行きました。
「勝手なことを言うな」、「わがままだ」と言われることを覚悟していたのですが、
意外なことにあっさり、「そうか、わかった」の一言で了解してもらえました。
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多分、スポーツ部のディレクターたちや鳥居さんの間でも、競馬アナとしての私の
資質について疑問視する声が出ていたのでしょう。その年に入社したばかりの後輩が
積極的にやる気を見せていたことも私にとっては幸いだったかもしれません。

次に目を向けたサッカーでした。
東京オリンピックで代表チームが健闘し、翌65年に日本リーグ(Jリーグの前身)が
スタートして少しブームになっていました。
フジテレビではまったく中継していませんでしたが、とりあえず、先輩が誰も手を
つけていない種目を勉強しておこうかという気持ちでした。
勉強といっても、せいぜい東京12チャンネル(現テレビ東京)で放送中だった人気番組、
「ダイヤモンドサッカー」を欠かさず見たり、外国から代表チームや強豪クラブが
来るたびに競技場に駆けつけたりする程度のことでした。

FAカップ実況

ところが、1970年ごろ、スポーツ部から突然、「今度、FAカップ(イングランドの
カップ戦)をやることになったからヨロシク」という話が来ました。
FAカップと言われても、何のことやら見当もつかず途方にくれました。ハハハ。
懸命に資料を集め、最後は顔見知りだった12チャンネルの金子勝彦アナウンサーに
ロスマンのイヤーブックをお借りする図々しさまで発揮して放送に臨みました。

切羽詰ったとは言っても、この業界で他局の先輩アナウンサーに資料を借りるなど
あまりないことですから、金子さんもさぞかし驚かれたことでしょう。
若いころから資料がないと不安なタイプでしたが、ずいぶん無鉄砲なことをしたと
今になって冷汗が出る思いです。ハハハ。
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解説は長沼健さん(元サッカー協会会長)でした。
スポーツ部の担当はサッカーに興味があるわけではなく、たまたま 安い売り込みが
あったから買ったに過ぎないという若いディレクターでした。ボールを蹴った映像と
受ける映像とが角度的に合えば、その間の4、5分をカットしてしまうという乱暴
極まりない編集をするのに閉口した覚えがあります。ハハハ。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-05-13 07:16 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)
Commented by 赤ぽん at 2012-05-13 11:43 x
岩佐さん、こんにちは。

若い頃にどんな先輩や同僚・友人に出会えるかは、どれほど重要か!でしょうか。

それにしても他局の先輩、12chの金子アナに資料を借りにゆく岩佐さん!
「何とかしなきゃ!」の必死な思いで動かれたのでしょうね。
歴史的にダイヤモンドサッカーは当然、当時の日本蹴球協会も結構英国サッカーびいき
でしたよね。親善試合で招聘するクラブまでも(英国派と西独派があったそうですが)
プロ野球の国・日本で、黎明期で弱かった頃の日本サッカーに係わられた
お一人なんですね!
その後のWOWOWやユーロでのサッカー中継が想像できないほど遥か昔の話でしょうがw
Commented by toruiwa2010 at 2012-05-13 12:09
赤ぽんサン、こんにちは。

閑古鳥が鳴く西が丘を思い出します。
ブラジルの名門、パルメイラスとの試合は
駒沢でした。神様ペレもポルトガルの黒豹、
エウゼビオ、エレガントだったクライフのプレーも
生で見ました。懐かしい!
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