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岩佐徹のOFF-MIKE

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ペレ&テストで失敗!~岩佐徹的アナウンス論40~12/05/19

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・・・つづき

サッカーの神様と共演!

FAカップを2年やりました。
しばらく間があいて74年、サッカー好きのディレクターが異動してきたおかげで、
当時の日本リーグを10試合ぐらい中継することができました。
解説に杉山隆一さんをお願いして、観客もまばらな西が丘などから放送しましたが、
あまりにも客が少ないために、実況する私の声がベンチやプレーをしている選手に
聞こえるではないかと心配したこともありました。ハハハ。

そのころの断片的なテープが残っているのですが、そこには今も多方面で活躍中の
釜本、セルジオ越後、奥寺康彦さんたちの姿があります。
忘れられないのは、国立競技場での試合のときにペレが私の横に座ったことです。
試合前のクリニックをすませて着替えをしたペレがゲストとして放送席につくと、
まわりのお客さんがすぐに気がついて騒然となる中で試合が始まりました。
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試合の流れを見ながら通訳を通して話を聞くのですが、話が長いことに困りました。
機嫌よく話してくれるのはいいとして、あまりにも長く、しかも 途中からは流れに
関係なく、自分から話し出すようになったために、とうとう私はおそれ多いことに
“神様”・ペレの話をBGのように扱うことになってしまいました。ハハハ。

フジテレビでのサッカーとの付き合いは、そのあとはクライフがいたワシントン・
ディプロマッツの試合があるだけで、フジテレビがバレーボールに力を入れ始めて
いたこともあって、競技場に足を運ぶ回数もどんどん少なくなっていきました。


野球実況のテストで大失敗!

入社した頃、フジテレビの人気番組のひとつに「プロ野球ニュース」がありました。
76年から2001年まで放送されていたものの前身で、やりたかった番組でした。
夜11時15分からの20分で2試合を映像・解説つきで、残りの試合は共同通信の
原稿を短くまとめて結果を紹介するという番組でした。
そういう形式の番組がほかになかったことやスポーツニュースと言えば巨人戦しか
取り上げていなかった時代ですから、アンチ巨人ファンに喝采を浴びていたのです。

まだフィルムの時代で現像・編集に時間がかかる上に、当時のナイターは7時開始、
しかも、まだ高速道路はないころでしたから、たとえば、大洋ホエールズのホーム・
グラウンドだった川崎球場から大急ぎで戻り、スタジオの重いドアを開けたときに
“Light’s Out”という、フジテレビのスポーツ番組共通のテーマミュージックが
流れていたことが何度かありました。綱渡り。ハハハ。

解説と実況が時計をにらみながら河田町に向かっているころ、現在もフジテレビの
スポーツ番組に深くかかわっている東京フィルムメートの編集マンたちは、熟練の
腕の冴えを見せていたものです。
この番組では、解説者から適確に話を引き出すために「試合のポイントがどこに
あったか」を考えなければなりませんでした。そのことがスポーツアナにとっての
基本である野球を見る上でとても勉強になり、他球場の結果を限られた時間の中で
短くまとめる作業を通じて、何が必要で、何が不要かを見極める力をつけることが
出来たと思います。

以前にも書いた通り、“いかに言葉を省略するか”も学びましたし、私にとっては
忘れられない番組です。
「スポルト」とタイトルが変わり、女性アナたちが前面に出るようになってからは
ほとんど見なくなりました。彼女たちには罪はありませんが。ハハハ。
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一方で、フジテレビの中継があるときには、試合開始から放送開始までの1時間を
利用して、解説者と実況の練習を少しずつ始めていました。しかし、野球の実況は
とても難しく、実際にやれるのはまだ先のことだと分かっていましたし、解説者も
本番ではないので、ともに力が入らず、どうやっても“雑談”のような感じでした。
それでも、1966年のシーズン終了近くに、可愛がってくれていたディレクターが、
「次の中継の時にビデオをまわすからね」と声をかけて来たときには、その意味を
もっと考えるべきでした。鈍感もいいところで、私はほとんどいつもの実況練習と
同じ感覚でこの収録に臨んでしまいました。

スポーツ部首脳は「プロ野球ニュースでがんばってるし、先のことはわからないが、
このへんで一度テストをしておこう」という考えだったのでしょうが、肝心の私が
これでは話になりません。情けないことに「失敗した」と気づいたのは 2日後に、
ビデオの試写をするから来てくれと言われたときでした。
試写?!そういうレベルではないのに…と重い足どりで向かった試写室には中継の
チーフ・プロデューサーも来ていましたが、テープが回り始めてから5分ぐらいで
「なんだ、これは」という、怒りがこもった一言を残して出て行ってしまいました。

スポーツ部、アナウンス部どちらからも、直接 叱られることはありませんでしたが、
逆にそのほうが周囲の“失望”の大きさが伝わり、自分に100%の責任があるとの
自覚があるだけに、情けないという思いと将来へ向けて不安が広がっていきました。

つづく・・・

by toruiwa2010 | 2012-05-19 09:02 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(4)
Commented by ヤップンヤン at 2012-05-19 17:42 x
その昔の各局のスポーツ中継のテーマ曲を持っていました(笑)。Lights Out・・・懐かしいです。
Commented by toruiwa2010 at 2012-05-19 17:56
ヤップンヤンさん、こんにちは。

身びいきもあるでしょうが、ライツアウトは
最高のテーマ曲だったと思います。
Commented by デルボンバー at 2012-05-19 19:57 x
ワシントン・ディプロマッツ戦は“当然”覚えてますよ。解説は平木隆三さんではないかと……試合は終了間際に加藤久選手がヘディングで決めて、日本代表が追いついたのははっきりと覚えてます。フジテレビがサッカー中継するなんて当時は珍しかったものですから。
Commented by toruiwa2010 at 2012-05-19 20:47
デルボンバーさん、こんばんは。

ディプロマッツを覚えているサッカー・ファンは少ないでしょうね。
私の記憶はあなたの記憶に遠く及びません。ハハハ。
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