ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

野球デビュー&発病!~岩佐徹的アナウンス論41~12/05/20

d0164636_8422758.jpg
・・・つづき

野球実況のデビューは東京12CHで!


そのままだったら、私の野球中継デビューは何年も先のことになったはずです。
しかし、救いの神が意外なところから現れました。 
たまたまですが、東京12チャンネル(現・テレビ東京)とフジテレビのスポーツ部の
幹部同士がともに同世代の早稲田の運動部出身で親しかったことが、思いがけない
私への“追い風”になったのです。

1967年、開局したばかりでソフト不足に悩む12チャンネルに、フジが持っていた
サンケイ・アトムズ(ヤクルトスワローズの前身)の、巨人戦以外の放映権を譲る
ことになりました。放送する予定がないのですから、12CH、フジ、球団の三者が
得をするグッド・アイディアでした。三方一両得。ハハハ。
d0164636_8424613.jpg
ただし、球団とフジの関係があるため「実況と解説者はフジのメンバーで」という
条件をつけたのです。
ベテランたちには本来の仕事がありますから、必然的に若手にお鉢が回ってきます。
中でも私は最も若く、しかも決まった仕事もたいしてありませんから、結果として
一番多く担当することになりました。
試合開始から終了まで、しかもフジでやるのにくらべればプレッシャーははるかに
少ないですからのびのびとやれました。
野球中継のデビューは12チャンネルでさせてもらったことになります。ハハハ。

その後、テレビの世界も多くの面でかなり“さま変わり”しましたが、そのころは
スポーツアナの成長過程で野球中継のデビューは本人もですが、制作者にとっても
一番難しいポイントだったのです。それを考えると、数ヶ月前に大失敗をした私が
こんな形で野球中継を始められたのはとても大きなツキがあったのだと思います。
業界では先輩になる12チャンネルのアナウンサーたちが、クッションをおいたり、
お茶をいれたりしてくれて申し訳ないと思いつつ、楽しく仕事をしていたのですが、
その楽しみは長くは続きませんでした。

意外な“敵”が現れて…

今度は意外な敵が私を襲いました。
その年のオールスターゲームを取材するために名古屋に行ったとき、激しい下痢に
見舞われて急遽帰京する羽目になりました。かかりつけの医師の処方でいったんは
収まったのですが、たびたび同じことを繰り返すため野球中継のローテーションに
入れなくなってしまったのです。

ある日、両足の甲のあたりが妙にしびれているのに気づきました。
しびれは、その後 朝目覚めるたびに、まるでストッキングをはくように、少しずつ
上に広がっていきます。
これはおかしいと、会社の近くの東京女子医大病院でくわしい検査を受けたところ、
「スモン病」という診断が下って、すぐに入院となりました。
d0164636_84342.jpg
そのころは原因もよく分からず、“薬害”として取り上げられてもいませんでしたが、
あとで解明されたように、医師が処方してくれた薬の中にキノホルムという成分が
入っていたのでしょう。キノホルムは下痢止めの特効薬と言われていたようです。
胃腸が弱い私の主治医だったその先生の薬は確かによく効きました。
それまでは服用期間が短かったために症状が出なかったのでしょうが、このときは
一ヶ月近く断続的に服用した結果、限度を超えたために発症したのだと思います。
入院したころには腰のあたりまではい上がってきていたしびれは、幸いなことに
そこで止まってくれました。心臓をやられたり失明したりする人もいましたから、
このときも、服用中止がぎりぎりで間に合ったのだと、ある種のツキを感じました。
50日ほどで退院したあと、シビレを取るために試した指圧、整体、手かざしなどは
どれも一時的効果しかなく、平手でバシッと叩かれたときのような“ジーンとする”
しびれは、今も両足に残っています。
d0164636_843265.jpg
そんなわけで、不本意ながら中途半端な形で終わりましたが、12チャンネルでの
実況経験はそれ以後の私にとって大きな財産になったことは間違いありません。
2シーズン後の69年5月、大洋・巨人戦でフジテレビでの“公式”実況デビューが
出来たのも、そのときの仕事で少しは成長したと認められたからだと思います。

残念なことに、13年かかわったフジテレビの野球中継ではいまも記憶に残るような、
いい試合には出会えませんでした。
逆に、鮮明に覚えているのは、1970年7月16日の中継です。
その年のフジテレビは他局で巨人戦をやっていてもナイター中継をぶつけ、しかも、
雨に備えて予備カードを二つも準備していました。

この日も日本テレビが巨人・阪神を中継していましたが、フジテレビ系はメインに
広島・中日を予定し、私は2番目の予備、東京(現ロッテ)・近鉄の実況担当として
東京スタジアムにスタンバイしていました。
しかし、誰の行ないが悪かったのか分かりませんが、西日本が強い雨に見舞われて、
広島戦も第1予備カードも中止になり、東京・近鉄が本番になってしまったのです!

第2予備であっても、当然、最低限の取材はすませて待機するのですが、実況にも
少し慣れたところですから、はじめから本番のときとは気合の入り方が違います。
誰だったか忘れましたが、解説者は私以上に“油断”していたはずです。なんとか
気持ちを盛り上げて実況しようと頑張りましたが、スタンドはがらがら、試合内容も
お粗末で、どうにもなりませんでした。ハハハ。
d0164636_8434643.jpg
その放送内容が悪くて怒られたからよく覚えている…いう話ではありません。
“モンダイ”は、次の火曜日の朝に発表された視聴率です。***
なんと、たったの1.9%!!
「いいわけがない」とは思っていましたが、そこまで悪いとは想像もしませんでした。
私の責任がどれほどだったのかはともかく、間違いないと思うのは、この数字が
ナイター中継としてはおそらく“テレビ史上最低の視聴率”だということです。
もしかすると、ゴールデンの全番組の中でもワーストの部類に入るかもしれません。
フジテレビのドラマ「家族のうた」が3.1%をマークしたときには「どうせなら、
この際 抜いといてくれ」と思いましたが。ハハハ。

***当時、視聴率は毎週火曜日の朝10時に前週分が
まとめて発表されていました。
各局の編成マンやディレクターたちが恐れた時間でした。
ハハハ。


つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-05-20 08:44 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。