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岩佐徹のOFF-MIKE

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「プロ野球ニュース」始まる~岩佐徹的アナウンス論44~06/02

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・・・つづき

スポーツ・アナに戻る

1974年に惜しまれつつ引退した長嶋茂雄がそのままジャイアンツの監督に就任し、
1年目の75年は最下位と惨敗しました。
そのオフに、部長から話がありました。
「来年の春から新しい番組が始まるし、山田(当時のフジテレビのエース)が民放の
代表でモントリオール・オリンピックに行くからスポーツ・アナが足りなくなる。
お前もスポーツ担当に戻ってくれ」と。

スポーツには“飢えて”いましたから喜んだはずですが、ハッキリ覚えていません。
ワイドショーの仕事についたとき、ネット局も含めたスポーツ担当の先輩アナから、
“逃げた”と見られていた時期があって、戻ることに抵抗があったかもしれません。
しかし、部長が言った“新しい番組”、リニューアル版の「プロ野球ニュース」には
強い“引力”がありました。
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絶好調のスタート

76年に始まった番組は2年目長嶋・巨人の優勝と重なって、スタートから絶好調で、
夜のスポーツ・ニュースの時間帯を圧倒的にリードしていました。
監督・コーチ、選手、フロント関係者がよく見ていて顔と名前を覚えてくれたのは、
取材をする上で大きなプラスになりました。
とっつきにくい印象を人に与えがちでなかなか選手たちとも気楽に接点が持てない
私のようなタイプは番組で顔を知られたおかげで相手から話しかけてもらえるのは
とても助かるのです。

番組の調子がいいと、当然スタッフや解説者、アナウンサーもみんな勢いがあって、
やりがいのある毎日だったことを思い出します。
ただ、なぜ司会者がアナウンサーじゃないのかという不満はありました。
特に、土・日の司会者が文化放送出身のアナウンサー、土居まさるさんだったので
余計でした。
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ただし、結果から言えば、どう頑張っても、佐々木信也さんのあの味は私たちには
出せなかったでしょう。
そして、土・日の司会者は、土居さんが1年で降りたあと次々に交代し、それこそ
「ファイナルアンサー」で、最終的にみのもんたさんに落ち着いたのですが、途中、
ある漫画家が担当したことがありました。

漫画家さんの失敗

私たちアナウンサーは少々しらけた気分でしたが、スタッフは“漫画界のアラン・
ドロン”と、週刊誌のグラビアを賑わしていた彼を口説き落として得意げでした。
しかし、高視聴率のクイズ番組で大人気だった彼は 遠くから分かるほどガチガチに
緊張していました。しかも、予想を裏切ってアドリブがまったくきかず、記者が
いちいちコメントを書かないと番組が前に進みません。ワイドショーならともかく、
スポーツとはいっても、常に動いているニュースを扱う番組では大きな問題でした。

案の定、あるとき、次のCMまであと40秒ほどつながなくてはいけないところで
手元の原稿が25秒で終わってしまうと、そのあとは一言もしゃべれず、カメラと
にらめっこになってしまいました。偶然、スタジオにいた私もカメラ割りの関係で
救いの手を差し述べることが出来ず、ご本人と同様、息をつめて時間が過ぎるのを
待つしかありませんでした。さすがにスタッフも危機感をおぼえ、誰よりご本人が
「無理だ」と判断されたようで、結局3ヶ月ほどで交代となりました。

みのもんたのブレーク


みのは、大スターになりました。みごとなものです。
文化放送のアナウンサーとして数年後輩になる彼は早々とフリーになってテレビの
仕事もしましたが、成功したとは言えなかったという記憶があります。
「プロ野球ニュー」の司会になりたてのころ、番組デスクをしていた元同業者の
私から見てもそんなに力を注いでいるようには見えませんでした。
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しかし、どこに上昇のきっかけが転がっているか分からないものです。
番組で大リーグの面白いプレーばかりを集めた「BLOOPERS」というコーナーを
取り上げたとき、ナレーターに起用すると実にいい個性を見せてスタッフの注目を
集めるようになりました。
1981年、後楽園球場で発生した“宇野勝ヘッディング事件”がきっかけで生まれた
名物番組「プロ野球 珍プレー・好プレー」のなくてはならないナレーターとして
視聴者の喝采を浴びました。その後の大活躍は目をみはります。

「プロ野球ニュース」成功の理由はどのスポーツ・ニュースも巨人戦ばかりの中で、
ウェイトは巨人戦にかかるもののパ・リーグも含めてすべてのカードを解説つきで
見せる所にあったと思います。この番組を通して試合や雨のときのインタビューで
顔や名前が知られるようになったパ・リーグに選手はたくさんいると思います。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-06-02 08:24 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(4)
Commented by ysphoto at 2012-06-02 11:10 x
おおっ!懐かしい♪みのさんはこの後暫くは「珍プレー好プレー」
のナレーターで活躍されましたね。
そういえば小倉智昭もテレビ東京の「タミヤ・RCカーグランプリ」
で「小倉のお兄さん」としてナレーターを長きに渡って務めていた
ことを思い出しました♪
Commented by toruiwa2010 at 2012-06-02 11:19
ysphotoさん、こんにちは。

みのの「好・珍プレー」と小倉の「ハウマッチ」の
ナレーションは絶品、右に出る者はありません。
Commented by レニ at 2012-06-02 12:35 x
こんにちは。

某漫画家氏には当時目と耳を覆いたくなりました。
たった三ヶ月でしたか。
あまりに印象が強烈で、もっと長かったような気がしていましたが……。
後任は確か押阪忍アナでしたね。
フジテレビはよほどド素人に懲りたんだな、と当時感慨に耽ったものですが、実際いかがだったんでしょうか?

Commented by toruiwa2010 at 2012-06-02 13:46
レニさん、こんにちは。

土居まさるが半年、シーズン終了で漫画家さんが3ヶ月、
そのあと、押阪先輩・・・ですね。
みのが8年間も続いたのはあのナレーションがあったからに
ほかなりません。いまの彼に続いています。
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