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岩佐徹のOFF-MIKE

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野球にのめり込んだ1年~岩佐徹的アナウンス論45~12/06/03

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・・・つづき

のめり込んだ1977年

選手はもちろん、監督・コーチもよく見ていました。こんなエピソードもあります。
ある日、帰宅してから間もなく、その日コンビを組んだ豊田泰光さんから電話が
かかってきました。「おい、今 Iから電話があったぞ」というのです。
すぐにピンと来ました。Iとは、当時の日本ハムの内野守備コーチでした。

日ハムはその日、打線が爆発して6,7点のリードを奪っていました。
しかし、中盤で無死満塁のピンチを招くと、なんと内野が前進守備!

記者席で試合を見ているときも隣の豊田さんと「ここは点を与えても、アウトを
増やしたいところでしょう?」「うん、おかしなことをするねえ」というやり取りを
しましたし、番組の中でもこのことを指摘しました。
試合には勝ち、家に帰ってビールでも飲んで気分がよかったIは、そのコメントが
お気に召さなかったらしいのです。球界の先輩でもある豊田さんに「あの言い方は
ないでしょう」とクレームをつけたそうです。
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そのときの豊田さんとの電話は笑って終わったのですが、私は翌日、スポーツ部に、
「外部の人間に簡単に電話番号を教えられたのでは、安心して仕事ができない」と、
ねじこみました。
「外部とはいっても球団関係者だし番組に協力してもらっているから、聞かれれば
教えないわけにはいかない」と突っぱねられて、かなり言い合いになりました。
結局、「教えない」という約束はとれませんでした。
もっとも、私の記憶では、関係者からクレームがついたのはこのときだけでした。

むしろ、取材でベンチに行けば、前夜の佐々木さんや解説者たちのコメントから
話が広がったりすることが多く、つくづく「いい番組にかかわれて幸せだなあ」と
思ったものです。

この年は、ワールドカップのバレーボールの海外取材で2週間ほどはずれた以外は
出番がない日にも球場に出かけるほど番組にのめりこんだ1年でした。

“Big One”王貞治を追った

40才を目前にして気合が入っていたのだと思いますが、出番がない日にも球場に
足を運んだのには理由があるのです。自由に動ける分、ベンチ裏や通路などで、
「プロ野球ニュース」や中継のときに使えそうな話がたくさん拾えるからです。
テレビ中継のとき、ベンチリポーターのところには小型のテレビが置かれていて、
バットを振りに来る代打要員の選手やトイレ帰りの選手がよく足を止めて雑談を
していきました。不思議なことにそんなときの選手の口は軽くいい話が聞けます。
ハハハ。
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王貞治がアーロンの755号に迫っていたこの年の夏の終わりには事情が許すかぎり、
それこそ毎日のように“あること”をする目的で後楽園球場に出かけました。
試合が始まる直前に、1塁側スタンド下、巨人のロッカールームからダグアウトに
向かうところにある大鏡の前に行くことでした。

すべての練習が終わって両チームの選手がいったんロッカーに引き上げ、間もなく
試合が始まろうかというころ、王が必ずここで素振りをするのを見守るためです。
いつも数人の記者やアナウンサーがいましたが、彼が集中度を高めるためにやって
いることでしたから、誰も声をかけたりはしません。
鋭い眼光で、鏡に対して立つ角度、グリップの高さ、右足の上げ方、ポイントを
決めてのダウンスイング…すべてを細かくチェックしながら、無の境地でバットを
振り続ける彼の姿に惹きつけられ、それを見守ることがやめられなくなったのです。

そして、チェックを終えたあとに交わす二言、三言が「プロ野球ニュース」や中継で
話すときの“スパイス”になりました。 
私がアナウンサーとしてスタートしたとき、2歳上の長嶋が入団6年目、2歳下の
王が5年目でしたが、彼らには年令でははかれない“オーラ”があって、はるかに
年上に感じたものです。
長い間、二人のプレーをライブで見ることができたのも番組のおかげです。
日本が生んだ史上最高のプレーヤーと同じ時代を共有できたこと、番組を通して
何度もインタビューできたことは実に幸せでした。
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言葉のキャッチボール

「プロ野球ニュース」に話を戻しましょう。
それまで夜のスポーツ・ニュースといえば、大体5分番組でした。おそらく正味は
2分少々だと思います。これにたいして「プロ野球ニュース」は30分でスタートし、
その後35分、45分、55分と伸びていくわけですが、はじめからそのコンセプトは、
「全カードを見せる、たっぷり見せる、解説をつける」でした。
それでも、CMや試合前後の佐々木さんのコメントを引くと一試合に使える時間は
限られてしまいます。

ですから、この番組で私が考えたのは「いかに自分の言葉数を省略して、その分、
解説者に時間をまわすか」でした。
編集済みのフィルムを見ながら軽くリハーサルをしますが、そのときに解説者が
しゃべりたいと思っていることとその量をつかむことに集中しました。
逆算して、プレーの経過を伝えるために自分が使える時間を判断するためです。

以前書いた通り、この番組で学んだ最大のものは“言葉の省略”です。
しかし、しゃべることが商売だけに、しゃべれないのは結構つらいものでした。
それでも、少ない言葉で的確に試合の流れを伝え、なおかつ解説者が必要とする
秒数をキチンと残せたときの快感を知ることが出来ました。ハハハ。
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うまくやるには、解説者との呼吸、コンビネーションが大事になってくるのですが、
私がお相手をした人の中では、豊田泰光さが抜群でした。
読書家でボキャブラリーが豊かでした。なによりカンがよくて、私がつくる10秒、
15秒という短い時間の中に効果的なコメントを要領よくポンポンと入れてくる…
それはまさに「放り込む」という感じで楽しめました。
この、“言葉のキャッチボール”こそが番組の醍醐味で、他局のアナウンサーからも
うらやましがられた部分でした。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-06-03 07:01 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(4)
Commented by 松林正曉 at 2012-06-03 08:43 x
岩佐さんと豊田さんは絶妙コンビでした。アナウンサーも(間)がたいせつな事がブログからうけとれます。とてもプロ野球界の良き時代でした。こういう岩佐さんのブログは大変ためにはります。有り難うございました。続きも楽しみにしています。
Commented by toruiwa2010 at 2012-06-03 09:04
松林正曉サン、おはようございます。

たしかに、昭和30年代から50年代は
プロ野球のいい時代でした。やはり、ONに
負うところは大きいと思います。
Commented by 赤ぽん at 2012-06-05 01:21 x
岩佐さん、こんばんは。

プロ野球ニュースの功績はあの時代にプロ野球を見ていた人間なら誰もが
認めることでしょうし、そこにハッキリモノを言ってくれて、しかもわかり易く
ユーモアもあった豊田さんと岩佐さんとのコンビ、忘れられません。
豊田さんのコメント、本当に良かったですよね?!

〇〇巨人、〇〇何々、〇〇ジャパンやらのはしりが「長嶋巨人」だったような
気がしていますがどうでしょう?

王さんといいONに対して同じ時代に同じ空間に居られた岩佐さんが羨ましいです。
Commented by toruiwa2010 at 2012-06-05 07:04
赤ぽんサン、おはようございます。

確かに、三原ライオンズ、川上巨人・・・は
聞いたことがありませんね。
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