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岩佐徹のOFF-MIKE

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異動、挫折、そして異動2~岩佐徹的アナウンス論50~06/23

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・・・つづき

悔恨と不安と…


翌日、編集長から“事情聴取”がありました。「報道で何をやりたいのか?」と。
アナウンサーの経験を生かし、報道部内で勉強を重ねてキャスターを狙う、内勤の
記者として出世を目指す、恥も外聞もなくあくまでアナウンサー復帰を考える…
選択肢はいくつかありました。
編集長と話し合って出した結論は、きわめてイージーなものでした。
「せっかく入社以来スポーツに関わって来たのだから、スポーツを扱うコーナーの
デスクをやってもらおうか」。ハハハ。

やめたばかりですから言い出す勇気はありませんでしたが、いつかアナウンサーに
戻りたいという気持ちは強くありました。
思い返しても恥ずかしく、申し訳なかったと思うほどの“抜けがら”状態でした。
「なんというバカなことをしてしまったのか」という悔恨と、「マイクを放しても
やっていけるのか」という不安が交錯し、「よし、がんばろう」という気持ちには、
この期に及んでもなれなかったのです。トホホ。
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こうして始まった報道センターでの生活はあまり思い出したくない日々でした。
2年間、在籍しましたから、いろいろあったはずですが、都合のいいことに記憶が
はっきりしません。嫌なことは思い出さないようにできているんですね。

仕事は単純なものでした。取り上げるネタを決めることに始まって、取材記者や
カメラマンの手配、企画によっては相手との交渉など型どおりのことばかりです
。そこに、アナウンサーとして培ってきたものが生かせる場面はありませんでした。
しかも、アナウンサー時代は1年でも先輩なら、“逆らう”ことなど考えられず、
部員同士が険悪な雰囲気になるようなことも経験しなかったのにくらべ、報道は
そうはいきません。

アナウンサー時代は“後輩”はいても“部下”を持ったことはありません。
ところが、新しい職場で私が預かったのは一筋縄ではいかないメンバーばかりで、
そのスタッフをコントロールするだけでも並大抵のことではありませんでした。
さらに、アナウンサーと報道記者として接していた時には楽しく付き合えていた
人たちが、上司と部下の関係になるとまるで違ったアプローチをして来るのにも
戸惑いました。考えたらそれが当然のことなんですが。
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力づくと言えばいいのか、指示ではなく命令という形でやられた経験がほとんど
なかっただけに、対応の仕方に悩みました。デスクの私にしてみれば、抱えている
スタッフの数や能力では無理と思える指令を断って、大声で怒鳴りあったことも
2度、3度ありました。
口には出しませんでしたが、そのころ少し時間が出来た時、私の頭に浮かんだのは
決まって、「参ったなぁ」という言葉でした。ハハハ。

キャスター打診

「いずれまたマイクの前に戻る」と心に決めてはいても、現実の展望は悲観的で、
厳しいものでした。その後異動したスポーツ部時代をふくめ、何人かの上司が、
人事部や編成局(アナウンス部が所属)に働きかけてくれました。しかし、そのつど、
「異動の際に『2度とアナウンサーには戻らない』と言い切っていた。男に二言は
ないはずだ」、「上司の言うことを聞かない」、「生意気、わがままだ」…
「とにかく悪評ばかり聞かされた」と苦笑交じりのフィードバックがありました。
一部を除くと、言われても仕方のないことばかりですから、何も言えませんでした。

報道局内の人間関係から生まれる居心地の悪さはその後も続き、10月に始まった
原因不明の下痢が、12月の半ばには激しくなり、とうとう、検査入院することに
なってしまいました。
かなり詳しい検査が時間をかけて行われ、普段ならうんざりしたことでしょう。
しかし、このときは、ストレスのもとである職場から離れていられることが有難く、
情けないことに、むしろ入院を楽しむような心境でした。

「ストレスによる心身症に近いもの」という診断をもらって退院したのは、結局
年があけてからでした。
当然、職場への復帰は楽しいものではなく、私の頭の中では「早く報道を出ないと
体か神経のどちらかが参ってしまうぞ」という思いが強くなっていきました。
そして、「早く1日が終わればいい」と願い、気心の知れたメンバーとの麻雀だけを
楽しみに日々を送っている有様だったのです。
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そんな心理状態だったからか、このころのことはほとんど記憶していません。
ただ、'82年の夏に編集長から「朝(のニュース)のキャスターをやらないか」という
打診があったことはよく覚えています。
「いや、スポーツにこだわりたいので」と断ると「これまでの“読む”のではなく、
話しかけるニュースをやりたいんだけどね」と追い討ちをかけられました。

気持ちが動かなかったわけではありません。しかし、「いまここで“ニュース”に
かかわると、“スポーツ”に戻れなくなってしまうかも」という不安がありました。
それに、“話しかけるニュース”とはいったいどんなものかが分からず、誰もいない
ブースに入り込んで、自分なりに試してみても糸口さえ見つからず、あらためて
断ったのです。

「あの時、あの話を受けていたらどうだっただろう」と、今でも時々思います。
未練…とは少し違います。一度きりで、やり直すことが出来ない人生だからこそ、
いくつかの分岐点でもう一つの道を選択していたら、今頃自分はどこで何をして
いるだろうかと考えるのです。きっと、あなたにも経験が?ハハハ。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-06-23 08:53 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(0)
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