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岩佐徹のOFF-MIKE

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“芸”の幅が広がる?~岩佐徹的アナウンス論56~12/07/14

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・・・つづき

タイソンに感動


ハプニングはあったものの、ヘビー級の生の迫力は十分楽しませてもらいました。
はやばやと現地入りしたのはいいのですが、タイソン陣営は神経質になっていて、
練習のごく限られた部分しか見せてくれませんでした。
しかし、油断から思わぬKO負けを喫した東京での経験に懲りたのか、このときは
それこそノミで削ったような見事な体つきに仕上げていました.
また、ロープワークも、とても100㌔近い男がしているとは思えないほど軽やかで、
ほとんど芸術品。スポーツマンの練習を見て感動したのは久しぶりでした。
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日本衛星放送初の衛星生中継になったこの試合は、タイソンにとっての再起第2戦、
当然“ノンタイトルマッチ”でした。しかも、相手はビッグネームではありません。
それでも彼の試合はいくつかの他のクラスのタイトルマッチを前座にして堂々の
メインイベントでした。それほどタイソンの“ブランド力”は大きかったのです。
試合そのものは2ラウンド、タイソンのKO勝ちであっけなく決着しましたが、
リングからわずか10メートルほどの放送席からはじめて見るそのボクシングは、
一昔前の軽・中量級のスピードがあって見ごたえ十分でした。
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そして、私にとっては1982年1月末のバレーボール実況から8年10ヶ月ぶりの
スポーツの生実況でした。このときも、あまり、ブランクを感じませんでした。
口幅ったい言い方になりますが、プロとして20年近い経験があったからでしょう。
目の前で起きていることを自分の言葉で表現できる喜びや興奮…「ああ、この世界に
本格的に戻ってきたんだ」という思いが強くブランクを感じるヒマがなかった、と
言うべきかもしれません。ハハハ。

翌日の新聞で面白い記事を見つけました。
ロッカーに戻って記者たちとビデオ・テープを見ていたタイソンのトレーナーが、
今まさにフィニッシュ・ブローを浴びようとしているA・スチュアートを指して、
「やつの目を見てみろ、倒れたがってるのが分かるか?」と叫んだというのです。
試合前は「チャンスがあれば倒してやる」と思っていたに違いないスチュアートが、
いざグローブを交えてみると「とてもダメだ、チャンスはない」と絶望的になり、
何発か強烈なパンチを受けたあとは、「早く楽になりたい」という気持ちになって
いたのだと、ベテラン・トレーナーは見抜いたのです。
タイソンのすごさを強調しようとしたトレーナーの話はいささか極端にしても、
「倒れたがる」とはすさまじい世界があるものだなあと感じ入りました。


アルペンスキー世界選手権

ワールド・クラスの放送はまだ続きました。
あけて'91年1月は、アルペンスキーの世界選手権を中継することになりました。
包括的な権利を持つテレビ東京から“余っている”衛星放映権を買ったのです。
学生時代、クラブのスキー合宿で2年間だけ滑った経験はありますが、直滑降しか
やった事がありません。ハハハ。
知識はほとんどゼロですが、「なんとかなるだろうし、やらなきゃしょうがない」と
腹をくくって高柳君とにわか勉強を始めました。

実況は現地にいる 当時はテレ東にいた久保田光彦アナ(当時)がやってくれますが、
その前後を東京のスタジオで私たちが解説者と埋めていかなくてはいけません。
試験放送が始まったばかりで、時間に制限はありませんでした。何を考えたのか
プロデューサーは最初の種目、「回転」になんと6時間の枠を設けたのです!
無茶な話です。
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ご存知でしょうが、この種目は、過去の実績から15人ずつを 上位から第1シード、
第2シードと分けて2回滑り、その合計タイムで順位を争います。そして、1本目と
2本目の間にコースの設定を変えるため、結構長いインタバルがあるのです。
正直言って、この放送枠を知らされたときには、「冗談じゃない。解説者がいたって、
こっちはスキーのことをこれっぽっちも知らないんだから…」とプロデューサーに
かみつきました。しかし、こういうのはいつだって、「決まった事は決まった事」で
片づけられるのがオチで、苦労するのは我々と相場が決まっています。ハハハ。

普通、このレベルの大会になると、上位に入る可能性がある第2シードまでしか
しゃべらないのですが、「選手が滑ってる限り」やるわけですからたまりません。
最後のほうは、雪の斜面に立っているのも危なっかしいというレベルの選手まで
出てくるのですから、しゃべりようがありません。
テレ東では放送するはずもないのに“他局”のために実況しなければならなかった
久保田アナには同情を禁じ得ませんでした。ハハハ。

インタバルでは、ビデオを駆使してごまかしましたが、気が遠くなるほどの長さに、
生きた心地がしませんでした。
ただし、実際には、私たちよりもっと生きた心地がしない人たちがいたのです。

テレビ東京から権利の一部を譲ってもらうことで放送が成立しているのに、時間が
たっぷりあるJSB(当時の呼称)では何度もビデオを出し、スローを出し…それも
本家の放送が始まる前に!
「何をやってるんだ」と、担当者が上司からこっぴどく叱責されたと聞きました。
それはそうでしょう、大金を投じた自分たちの放送の価値が下がってしまうわけで、
スポンサーからも怒られるに決まってますからね。ハハハ。
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アイスホッケー、ボクシング、アルペンスキーと経験の無い種目ばかりで、当時の
私は、JSBでも、時々顔を出していたフジテレビでも、「最近、芸の幅が広がって
いるんだ」と冗談を言っていたものです。
それにしても、フジテレビ時代はワールド・シリーズとバレーボールのワールド・
カップぐらいしか世界レベルのものは経験していないのに、試験放送の2ヶ月間で
これだけのイベントがやれるなどとは、準備段階では想像もしませんでした。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-07-14 06:52 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)
Commented by しょう at 2012-07-14 18:35 x
岩佐さん、こんばんは。
もしもWOWOW(JBS?)がスポーツに食指を動かしていなかったら…。
スポーツ放送のないWOWOW=岩佐さんの露出なし、
ということだったんでしょうか?
まあ、たらればはナンセンスですが(笑)。
Commented by toruiwa2010 at 2012-07-14 20:07
しょうサン、こんばんは。

WOWOWの柱にスポーツがなかったら、
たぶん、フジに戻って資料室とか視聴者センター
のようなところで定年を迎えていたと思います。

ただし、禍福はあざなえる縄のごとし・・・ですから
まったく別の道が開けていたかも。
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