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岩佐徹のOFF-MIKE

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Viva CALCIO !!~岩佐徹的アナウンス論58~12/07/16

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・・・つづき

イタリア・サッカー/セリエA

セリエAの放送は1991年の9月に始まりました。
一部の熱狂的なファンには知られていたイタリアのサッカーですが、日本ではまだ
そのレベルの高さが広まっておらず、私も初めはほとんど無関心でした。
というか、アタマに来ていて、見る気がしなかったと言うのが正確でしょう。
放送開始が迫っていたころに担当のプロデユーサーが来て、「実は司会の川平慈英に
実況をやらせてみようと思うんですが、どうでしょう?」と聞いてきました。

若いころから「スポーツ・アナは10年やって一人前」と言われて育った私には、
信じられない話でした。「なめてんのか?」って話です。ハハハ。彼自身がフジの
ネット局でスポーツ・アナだったことを知っていますから、“なおさら”でした。
「それは無理だよ」と、理由も挙げて話をしましたが、お察しのとおり、すでに
彼の胸のうちでは決めていること、ただ確認したかっただけだったのでしょう、
そのまま番組は始まってしまいました。
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案の定、大失敗で確か一回だけで慈英さんの実況は終わったと思います。
彼には罪のない話です。制作者が「しゃべる」ことを軽く考えているかの証です。
実況はその後もフリーのアナウンサーを頼み、経験がないと思ったのか、年上で
扱いにくいと思ったか、私には一向に話が来ません。

ところが、10 月の半ばごろ、再びそのプロデユーサーが「11月に行われるミラン・
ダービーを現地から生中継することになりました。これは、ウチのアナウンサーで
やりたいんです。やれますかね?」と言ってきました。
腹の中は、「何をいまさら寝ぼけたこと言ってるんだ!やれますかってなんだよ」と
激しく突っ込んでいましたが、この機会を逃すわけには行きませんから、「喜んで
やらせてもらうよ」と引き受けたのでした。ハハハ。

ミラン・ダービー

得意の“にわか勉強”が始まりました。
フジテレビ時代、一シーズンだけ日本リーグを何試合か実況したことはあるものの、
それから20年近くたっていました。その後も、テレビで見続けてはいましたが、
放送で使う言葉も、テクニックや戦術も変化・進歩しているに違いありませんから
チェックしなければいけないことは山ほどありました。
過去のテープを見てある程度メドはついたのですが、そのころ“寄り合い所帯”の
社内で、私はかなり“高飛車”な態度に出ていましたから、下手な実況をしたら
笑いものになるという不安もありました。ハハハ。

おまけに、解説の奥寺さんの日程を聞いたとき、ますます、いやな予感がしました。
午後4時ごろのキックオフだったと思うのですが、奥寺さんはその日の午前中に
ミラノに着く予定だと言うのです!
「フジテレビだったら、こんな予定は組まない」と、ノドまで出かかった言葉は、
かろうじて呑込みました。
彼はテレビ業界から来た男ですが、他の産業から来た人たちには一番、嫌がられる
言葉であることをそれまでの経験で知っていたからです。

「これは無茶だよなあ」と言う私に、「一応、万一のために一人抑えてありますから
大丈夫です」と彼は言いました。その年のトヨタカップの事前取材でヨーロッパを
回っている報知新聞の記者に話をしてあるらしいのです。「ずいぶん“お手軽”な
予防措置だなあ」と思いましたが、これも口には出さず、ミラノに向かいました。
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ミラン・ダービーはイタリア北部の都市、ミラノを本拠とするインテルとミランが
直接対戦する試合で年2回、ミラノの街を二分するビッグ・ゲームです。
WOWOWに在籍している間に10回、現地から中継しましたが、その1回目だった、
このときのダービーは特に忘れがたいものになりました。

奥寺さーん

まず、不安が的中しました。
奥寺さんがフランクフルトでの乗り換え便に間に合わず、従って、試合開始までに
スタジアムに到着できなくなりました。何かの理由で成田からの便の出発が遅れ、
その時点ですでに“乗り換えNG”が決定していたというお粗末さ。ハハハ。

報知記者への「万一のため」は、あっさり「本番お願いします」に変わって中継は
スタートしました。しかし、もともとそんなつもりでミラノに来たわけではない
記者さんには解説のための準備はありませんし、書く方はともかく、しゃべるのは
慣れていないせいか言葉も少なく、始まってすぐ「これは多くを期待できない」と
判断せざるを得ませんでした。

一方で、試合の中身は最高でした。
このときのインテルには マテウス、クリンスマン、ブレーメのドイツ・トリオ、
ミランには ファン・バステン、フリット、ライカールトのオランダ・トリオがいて、
この試合は“スーパースターたちの競演”の意味でも世界中の注目の的でした。

開始前からものすごい盛り上がりだった場内は、まず、ミランがエース、ファン・
バステンがスライディング・シュートで挙げた先制ゴールで大爆発し、さらに
クリンスマンのボレーでインテルが追いつくと、そのボルテージは一気に頂点に
達しました。
サンシーロという舞台で、豪華メンバーが力いっぱいのプレーを見せてくれて、
しかもエース同士がゴールを決める…放送する側として、これ以上望むことはない
展開で試合は幕を閉じました。
17年ぶりだった私の実況はひどいものでしたが、それでもこのテープは私にとって
この上ない“おタカラ”です。
オマケですが、試合後、私たちが市内のレストランで打ち上げをしているところに
奥寺さんは悠然と巨体を現したのでした。ハハハ。
その“初対面”から2004年にサッカーの実況をやめるまで腐れ縁?は続きました。
お子さんが生まれたあとにヨーロッパに渡って見事な実績をあげ、三浦、中田以下、
今はヨーロッパ各地で大勢が活躍する代表選手たちに先例を残した「オク」こと、
奥寺さんは、あのときと同じ悠然とした態度で、決していやな顔を見せることなく
WOWOWのサッカー中継に付き合ってくれているようです。

その後も、現地からのダービーは私が実況を続けました。
しかし、それ以外のWOWOWでのサッカーとのつきあいは‘92年8月に来日した
トラパットーニが率いるユベントス対日本選抜戦だけでした。
レギュラーのセリエAに起用され、どっぷりとイタリア・サッカーにはまるのは
'93年からのことになります。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-07-16 07:34 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(0)
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