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岩佐徹のOFF-MIKE

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楽しかったサッカー実況~岩佐徹的アナウンス論63~12/08/04

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…つづき

アドレナリンが流れる


妙な話ですが、技術があれば実況アナとして成功するというものではありません。
周囲との“人間関係”をうまく構築することも大事な要素です。
私自身はWOWOWサッカーのプロデューサーとの関係がどうしてもうまく行かず、
“デビュー”が遅れました。不徳…。ハハハ。

1996年からゴルフとアイスホッケーが始まったこともあって、96-97シーズンは
セリエを休みました。97- 98シーズンにチャンピオンズ・リーグ(UCL)の権利を
取得したのに伴って、プロデューサーが代わったこともあったので戻りましたが、
おかげでUCLは、ユーロ2000を控えた99-00シーズンの終盤に参加するまで
2シーズン半、ノータッチでした。
精神的・肉体的に充実していた時期でしたから、今 考えるともったいないことを
しました。スポーツに限らず、アナウンサーを目指すなら、周囲の人たちとうまく
やっていく術を身につけておくことを勧めます。ハハハ。

サッカー実況にかかわった中で一番充実感があったのは、現地実況中継のイタリア・
ダービーとミラノ・ダービーを含む27試合を担当した98-99シーズンでした。
現地から中継することになった最終34節は全仏オープン開幕の前日でした。
ペルージャにミランが乗り込む試合には、ミランの優勝とこのシーズンから中田が
加入していたペルージャのセリエBへの降格がかかっていました。
アナウンサーだったら、誰だって実況したい試合です。

シーズンを通してスクデット争いを追ってきたのにこの試合を実況できなかったら
泣くに泣けないという心境でしたから、「ぜひ、やらせてくれ」とプロデューサーに
頼み込みました。綱渡りのスケジュールになるため、サッカー、テニス、どちらの
プロデューサーも渋い顔でしたが、かなり強引に説得しました。WOWOW時代、
何度か“やってはいけない”わがままを言いましたが、その一つです。ハハハ。

体調を懸念するプロデューサーに言った言葉をよく覚えています。
「こういうときはアドレナリンが流れて、疲れなんか感じないものだから大丈夫」。
この高揚感は経験しないと分からないと思います。
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5月15日:東京でラツィオ対フィオレンティーナの生中継。
16日:成田発、ミラノ経由、車でトリノへ。最終節を迎えるセリエ周辺を取材。
19日:トリノ発パリ着。
20、21日:全仏の予選取材。
22日:パリ発ローマ着、車で2時間半のペルージャに入る。
23日:ペルージャ対ミラン中継後、車でローマへ。到着は真夜中。
24日早朝:ローマ発パリ着、お昼前にローラン・ギャロスに到着。

…61歳8ヶ月でしたから、厳しいスケジュールのように見えます。
しかし、こんなときに愚痴や不平をもらすアナウンサーがいるとは思えません。
もし、いたら、即刻辞めてしまえ、と言いたいです。ハハハ。
このときも、達成感とともに、すっきりした気持ちでサッカーもテニスも仕事を
終える事ができました。

中田がセリエに移ったことでセリエAへの関心が高まり、契約世帯の獲得を狙った
WOWOWはペルージャの試合を生で、別の試合をそのあとビデオで放送しました。
民放ほどではないまでも、WOWOWにとっても視聴率は大事ですから仕方がない
面もありました。しかし、“クール”な私(ハハハ)はどうも日本選手だからといって
応援放送はできません。逆に“冷めた実況”になってしまいます。そちらの担当は
若い人に任せて私はその週の“もうひとつ”の試合を主に担当させてもらいました。

おかげで、カード的にいいものが実況できて気分はよかったのですが、どうしても
“常にペルージャ優先”の放送が納得できず、'99年2月7日、第20節には、
とうとう堪忍袋の緒が切れました。1位のフィオレンティ-ナ対3位のミランを
生放送にしなかったのです。
「おかしい」と言ったって変更されることはありません。
別の形でうっぷんを晴らしました。ペルージャの試合のあとフィオレンティーナ
vsミランの放送が始まったとき、実況担当だった私は開口一番こう言いました。
「サッカーが本当にお好きなみなさん、お待たせしました、こんばんは。今度は
フィオレンティーナ対ミランをごらんいただきます」。ハハハ。

お叱りもありましたが、「よく言ってくれた」と賛同して下さった方も多く、少しは
溜飲が下がる思いでした。他局では考えられないかもしれませんが、媚びるという
意味ではなく、WOWOWのようなペイテレビは、見ている人の気持ちを少しでも
汲んであげることが大事だと考えていたのです。

燃えたUEFAチャンピオンズ・リーグ

WOWOWのサッカー番組を支えてきたのは、言うまでもなく'91年から始まった
セリエA、'93年からのナビスコ・カップ、’96 年からのヨーロッパ選手権(ユーロ)、
そして'97年にスタートしたUEFAチャンピオンズ・リーグ(UCL)でした。

イベントとしては4年に1度のユーロがもっとも大きいものでした。
しかし、UCLは毎年開催ですから、当時のWOWOWにとっては最強のコンテンツ
(視聴者に提供できるソフト)だったでしょう。
ワールドカップで活躍するような世界のスーパースターがプレーするヨーロッパの
強豪チーム、その中から選ばれたチームだけが参加資格を持てるこのイベントは、
世界一のレベルにあると言えます。
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クラブ・チームから選手が集まって代表チームを作るワールドカップの準備期間が
短いのにくらべ、ワールド・クラスのプレーヤーたちが、国内リーグやカップ戦で
日常的に一緒にプレーしている流れの中で戦うUCLは選手間の呼吸が合っていて
それこそ、世界最高のプレーをいやというほど見られます。
ワールドカップやユーロで優勝を争うような国の代表レギュラーでもUCLでは
ベンチをあたためるケースが多く、それだけでも、このリーグのレベルの高さが
分かろうというものです。

…と 偉そうに書いていますが、私は、初めその辺のことがよくわからなかったのと、
プロデューサーとの軋轢があって参加しませんでした。
'99年11月ごろにスポーツ部から、「ユーロ2000の実況陣に入ってくれないか」と
言われたときに、「それなら、そこに出てくる選手が大勢プレーしているUCLにも
関わらせてくれ。常に触れていることが大事だから」と条件をつけました。
実現したのは3月になってからでした。“ゆがんだ性格”のせいで、貴重な時間を
失ったものですが、こんなことが私のアナウンサー人生にはヤマほどあります。
えーと、“ゆがんだ…”はジョークですから。ハハハ。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-08-04 14:54 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(0)
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