ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

1358日間を海外で~岩佐徹的アナウンス論65~12/08/11

d0164636_1416329.jpg
多かった長期海外出張

2001年6月3日…全仏オープン7日目のこの日は、私の“節目”になる日でした。
WOWOWでの海外出張がちょうど1,000日になったのです!
'90年のスイス出張から数えて56回目の出張でした。
d0164636_6583115.jpg
サラリーマンの年間出勤日は週休2日なら最大でも250日ですから、その4年分を
海外で過ごしたことになります。初めのころ、私は社内やフジテレビで、「とにかく
ひと使いが荒いんだから」とぼやいて“見せて”いました。
実際は 体調を崩したときを除けばつらいと思ったことは一度もありません。ハハハ。

それはそうでしょう。
WOWOWで扱う種目は残念ながら世間で言う“メジャー”ではありません。
サッカーがメジャーになったのはJリーグがスタートした数年後、1990年代の
終わりだと思っていますから。
それでも、幼いころからスポーツそのものが大好きだった私にとって、メジャーか
どうかはまったく関係ないことでした。マイナーではあっても、その競技としては
世界一を争うものがほとんどですから、その放送のために出張が多いからと言って
愚痴をこぼせばバチが当たるというものです。

フジテレビ時代を含めて、私の海外出張のリストを長かった順に書き出すと
こんな具合になります。
d0164636_72570.jpg
[1]-[3]についてはすでに書きました。
[4]はカナダのトロントでのLPGAのメジャー、ドゥモーリエ・クラシックから
ニューヨークに移って全米プロ・ゴルフ、全米オープン・テニスと続きました。
トロントのあと1週間あいていましたが、帰国しても4 日後には出発になるため、
残ることになったもので、ゴルフを楽しんだスタッフもいましたが、私はむしろ
時間をもてあました感じでした。ハハハ。

カメラマンとの二人旅

[5]は昨日のエントリーに書いた取材旅行です。
アナウンサーとしてではなく、ディレクター役で、カメラマンとの二人旅でした。
このときは初めての経験で緊張の連続、いきなりニューヨークの空港で、税関の
係官の誤解から「カメラを預かる」と取り上げられたりしました。心配のあまり、
泊めてもらった特派員宅で入浴したとき、バスタブの周りにべったりつくくらい
髪の毛が抜けたほどです。
d0164636_6592137.jpg
いろいろあったはずの旅ですが、古くて記憶が定かでではありません。
はっきり思い出すのは、日程的にはゆったりしていましたが、番組のタイアップで
フランス航空が無料で使えたために、飛んでいるところは最優先で、という指示が
あったことです。ニューヨークに行くのもパリ経由、ハワイから日本へ帰るのも
ロスとパリ経由! ハワイの取材は個人的に行きたかったために無理やり設定した
ものですから文句は言えません。しかも接続便待ちと称してパリで4泊!ハハハ。

ディレクター役という慣れない旅でしたから苦労もしましたが、楽しみは最後の
パリでの4日間でした。買い物です。荷物になることもあって妻や会社への土産も
全部、パリで買うことにしていたほどです。
しかし、パリに着くと予約してあったホテルは、市内で開かれたコンベンションの
影響をもろに受けて、勝手にキャンセルされていたのです。
ようやく見つけたのは星がひとつしか付かない場末のホテル、その上、その日から
体調を崩して寝込んでしまいました。
“天罰”は下ったわけです。ハハハ。

出発前に提出したスケジュールを見ればおかしいことぐらい上司もお見通しだった
はずですが、自分も通った道と大目に見てくれた、古きよき時代だったのです。

冥利に尽きたライダーカップ

[6]、[7]についても、すでにどこかで触れました。
[8]は、全米オープン・テニスの1週間前に、全米プロ・ゴルフのために12日間の
出張がありましたから、合わせると“52日間に47日間”の出張だったわけです。
すべてがメジャーだけに心地よく気持ちが張り詰めた時間でした。

このときの、アメリカ対ヨーロッパのゴルフ対抗戦、ライダー・カップの中継も
アナウンサー冥利に尽きる経験でした。
最終日を迎えたところで、“常識的には”挽回不可能なリードを許したアメリカが、
放送が始まるまでにどんどんポイントを重ねて行き、もしかすると、という期待を
抱かせる展開になりました。13年も前のことなのに、終盤でアメリカのレナードが
20メートルを超えるロング・パットを決めたシーンは忘れられません。
結局、アメリカが劇的な大どんでん返しを果たしてしまいました。

ライダー・カップがどんなものか、話としてしか知らなかったのですが、普段の
ストローク・プレー、個人のマッチ・プレーとはまったく違って、それはもう、
「ゴルフも格闘技だ」と思わせるものがありました。'99年ライダー・カップは
おそらく長い間、語り草になるでしょう。

2002年の全豪オープンから帰国する機中で、トイレから戻って、腰を下ろそうと
したときに目が合ったうしろの席の外国人がしきりに私の胸を指して「ライダー・
カップ、ライダー・カップ」と話しかけてきました。
何のことか分かりませんでしたが、そのうち、彼が胸のところで10センチほど、
指を横に動かすのを見て分かりました。
そのときの私は会場で買ったデニムのシャツを着ていたのですが、胸についていた
ロゴのことを彼は言っているのでした。
d0164636_6595188.jpg
オーストラリア人の彼は、「そうかあそこにいたのか、うらやましいよ。テレビで
見たけどすごい試合だったねえ」と、レナードのロング・パットのことも含めて
懐かしそうに話していました。
先日、当時 一緒にザ・カントリー・クラブ(ボストン)でこの中継にかかわった
WOWOWのメンバーと会食したときも大いに盛り上がりました。
今は、ゴルフ・ネットワークが完全中継しています。週一でもゴルフをする人なら
ぜひ見るべきです。

実は、この中継のとき、大失敗をやらかしました。
この数年前に、アメリカとヨーロッパ以外の地域代表による対抗戦、プレジデンツ・
カップがオーストラリアで行われ、丸山が大活躍しました。そのとき、アメリカの
カプルスが、終盤でやはり長いパットを決め、ドラマチックなプレーに興奮した
アメリカ選手たちがグリーン上に飛び出して大騒ぎになったことがありました。

NHKの放送席も巻き込まれて「アメリカ優勝」とアナウンスしてしまいました。
それは解説者の一人が、「いや、相手のパットが入れば分かりません」と言うまで
続きました。そう、早まったのです。それを見ていて、「怖い、こういうミスだけは
したくないものだ」と心に誓いました。
d0164636_70989.jpg
しかし、この年のライダー・カップの最終日、最後から2組目だったレナードが
17番グリーンでスーパー・パットを決めたあとに起きた大騒ぎにつられて、私も
「アメリカ優勝!」と叫んでいたのです。
オラサバルが、やはり長いパットを入れ返せば、勝負は更に続くのに。

そんなミスは吹っ飛んでしまうぐらいに内容の濃い素晴らしい試合でしたから、
誰も私を責めませんでしたが、1年ぐらい後に「ご苦労様でした」と言われて
ゴルフ中継からはずされたのは、やっぱりあれが理由ですかねえ?ハハハ。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-08-11 07:07 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。