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岩佐徹のOFF-MIKE

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“逃げまわった”オリンピック~岩佐徹的アナウンス論69~09/01

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イヤな話ばかりだった

ロンドン・オリンピックの期間中、繰り返しよみがえる感慨がありました。
東京オリンピックを除けば、民放テレビ各局のアナウンサーが初めて実況したのは
72ミュンヘンでした。民放キー局は、日本テレビ・越智正典、TBS・渡辺謙太郎、
フジテレビ・小篠菊雄という豪華メンバーでチームを作り、共同で実況しました。
次の76モントリオールでは、NHKと民放が手を組んで“ジャパン・プール”を
作って制作に当たりました。
当時、フジテレビのエースだったYアナとテレ朝のMアナがNHKのアナたちと
熱戦を伝えました。Mは私と同期の63年入社の若手アナでした。

“抜けがけ”でテレビ朝日が放映権を取得した80モスクワ(日本は結局 不参加)を
はさんでジャパン・プールとして放送したあと、民放とNHKは人と金を出し合い、
ジャパン・コンソーシアムを作りました。
“意欲”を見せれば、私にもオリンピックに行くチャンスが回ってきたと思います。
Y先輩はあり得ないほど優しい人でしたから、いつか譲ってくれたはずです。
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しかし、自分から「行きたいなあ」と思ったことはありません。どちらかと言えば
「行け」と言わせないような“オーラ”を出していました。ハハハ。
若いころから「NHKの連中が偉そうにしている」という 嫌な話ばかり聞かされて
いたからです。76年のときも、Mアナには相当な“いじめ”があったようです。
「大変だったよ、岩佐君」と、Yさんに聞かされた話が“トラウマ”になっていた
かもしれません。

毎日、放送終了後、全アナウンサーが集まる反省会があり、そこで NHKのこわい
“おじさん”たちから「あそこが悪い。ここがおかしい」とダメ出しされる日々が
続いたのだそうです。Yさんは民放側の“エース”として送り込まれていますから
攻撃のターゲットはMアナになることが多かったのです。
36歳…たぶんNHKのアナは全員が少なくとも5歳は、年上だったでしょう。
大会中盤でYさんに「僕は日本に帰ります」とMアナは訴えたと言います。
“クッション役”だったY先輩は“大変”な思いをしたに違いありません。
ハハハ。

もうひとつ、「そういうことなんだ」と思う出来事がありました。
その年の5月ごろ、神宮球場の3塁側ベンチで中継のための取材をしているとき、
1塁側ベンチ前にNHKの“大御所”・Hアナの顔が見えました。
その瞬間、Y先輩は“脱兎のごとく”グラウンドを横切って近寄り、深々と頭を
下げたのです。もともと、尊大に見えるHアナを嫌っていただけに、後輩として、
いたたまれない気持ちでした。

「そうまでしなければいけないのなら、死んでも行くもんか」と固く、固く心に
誓ったのはこのときです。ハハハ。

おじさんたちは親切心からのアドバイスをしていただけかもしれない。
Hアナは、NHK内では尊大じゃないのかもしれない。
Y先輩も、NHK・民放の共同作業という初めての試みを絶対に成功させなければ
いけないという使命感・責任感から、あえて“最敬礼”をしたのかもしれない。
…しかし、私の“拒絶反応”が収まることはありませんでした。ハハハ。

“オリンピック・アナ”は、肩書きとして持っていたいものですが、ふりかえって
後悔はありません。肩書はなくても、それなりの実績を残したと思っています。
だって、そう思いたいじゃありませんか。ハハハ。

”仕組み”も無理無理

さらに、私のようなアプローチをするアナウンサーにとっては、オリンピックでの
仕事の仕組みが向かないことも分かっていました。

バンクーバーでアイスホッケーを実況したNHK曽根アナはそれまでカーリングを
ずっと担当していました。滑降のTBS小笠原アナはモーグル、スノーボードの後の
3種目めでした。
複数の種目を担当することが苦になるわけではありません。
現地入りしてから“ぶっつけ”でやるわけではなく、担当が決まってから日本を
出発するまでに勉強する時間は十分にあるのですから。
しかし、今日はスキーのアルペンをしゃべり、明日はフィギュア…というのは、
性格的に(能力も?)とても無理があると自覚していたのです。

「チャンスはあったんだからやっておくべきだったかな」
…今になって、そう思わないでもありません。ハハハ。
“意欲を見せれば”と書きましたが、80年のモスクワはテレ朝が“独占”したため、
ノーチャンスでした。その上、82年2月には上司との意見の相違に我慢がならず、
アナウンス部を出ていましたから、そもそもチャンスはなかったのでしょう。
オリンピックに行きたいと思ったら、上司との軋轢も我慢できたかもしれませんが。
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                   これは楽しかったユーロ2004

思えば、“はるかなり、オリンピック中継”です。
今は、各局とも若い人を積極的に出しています。誰ひとり 物怖じせずに大舞台に
チャレンジしている姿は気持ちがいいです。中には、早すぎるんじゃないの?と
思う人もいましたが、「ゴール、ゴール、ゴル、ゴル、ゴルーーー」なんて実況さえ
しなければよし、と送り出す側も考えているのでしょう。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2012-09-01 07:25 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(4)
Commented by ひろ☆はっぴ at 2012-09-01 16:36 x
アナウンサーの社会も、他の社会と変わりなく人間関係がものをいうわけですね。電波に乗らない部分での山あり谷ありの人間模様は、視聴者が知る由も無いことですし、それが世間に知れてしまうようではガッカリです。アナウンサーを志して果たせなかった者の一人としては、そんな諸々のことをのりこえて現役のアナウンサーの皆さんにはがんばって頂きたいですね。

写真の北澤さんはパリでの寄り道の後でしょうか?純粋にサッカーの最高峰ともいえる舞台を満喫して楽しそうですね。
Commented by toruiwa2010 at 2012-09-01 16:59
ひろ☆はっぴサン、こんばんは。

アナの世界も今はだいぶ変わりました。

北沢さんは、まさにパリを楽しんだあと
リスボン入りして2日目ぐらいです。
Commented by 赤ぽん at 2012-09-02 00:34 x
岩佐さん、こんばんは。

日頃の書き込みにおいてのNHKに対する岩佐さんの意見も読みましたが、
アナウンサー同士の人間関係においてのNHKに対する想いが伝わってくるような
記事でした。おそらくどの社会でも他社と合同での仕事においては、どうしても
上下関係が出来てしまうと思いますが、こういう裏話的な記事は興味深いです。
五輪=NHKと思い込んでましたが、かなり前からジャパン・プールやコンソーシアムで
放送していたのですね。岩佐さんがもし参加されていたら…いや、危うきに
近寄らず、でしょうか?w
Commented by toruiwa2010 at 2012-09-02 07:08
赤ぽんサン、おはようございます。

私が30代、40代でM君と同じ状況に置かれたら
きっと、荷物をまとめていたでしょう。ハハハ。
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