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岩佐徹のOFF-MIKE

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MAからOFF TUBEへ~岩佐徹的アナウンス論71~09/08

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・・・つづき

実況・川平慈英!

WOWOWがイタリアのセリエAに目をつけたのは1991年です。
取り寄せた資料用のテープを見るうちに「サッカーならイングランドだろう」と
思っていた私はあっという間にイタリア・サッカーのとりこになりました。
「これは楽しみだなあ」…。いい加減と言わず、“柔軟”と言って下さい。ハハハ。
しかし、ある日、担当プロデューサーが来てこう言ったとき、呆然としました。
「川平(慈英)に実況させようと思うんですが、どうですかね?」…

「いや、無理だと思うよ」とかろうじて答えましたが、地方局でスポーツ・アナを
していたこともあるこのプロデューサーの発想が信じられませんでした。
結果はもちろんサンタンたるもので、たしか、川平慈英の“実況”は1回で終わり、
その後は文化放送の元局アナを起用していました。実況なめんなよ、と。ハハハ。
そして、なぜか、私に声がかかることはなかったのです。
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同じプロデューサーがふたたび私のところに来たのはその年の11月、ミラン・
ダービーの直前でした。「この試合はWOWOWのアナウンサーでやりたいんです。
やれますか?」
「おいおい」と思わないでもありませんでしたが、その言葉を飲み込んで「ぜひ、
やらせてくれ」と答えました。ハハハ。

海外のサッカーをスタンドから実況したのはこのときが初めてです。
解説の奥寺さんの出発便が遅れ、フランクフルトでの接続便に乗れないトラブルが
あってドタバタしましたが、“予備”で確保していた新聞記者を代役にしてピンチを
しのぎました。

ファン・バステンのスライディング・シュートでミランが先制し、クリンスマンの
ボレーでインテルが追いつくという、テレビにとっては最高の展開の試合は1-1の
引き分けでした。
17年ぶりだった私の実況は、今、聞くとお恥ずかしい限りですが、それでもこの
テープは私にとってかけがえのないおタカラです。
奥寺さんは、試合が終わって打ち上げをしているレストランに悠然と現れました。
成田で出発が遅れた時点で乗り継ぎに間に合わない、従って、放送開始にも間に
合わないことが分かっていたのに飛んできました。そして、たくさん買い物をして
私たちと一緒に帰国しました。名選手は転んでもただでは起きないのです。ハハハ。
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その後も、ダービーだけは現地からナマ中継し、ほとんど私が実況しましたが、
それ以外の試合はテープを見ながら実況をつける、“MA”という方式でした。
私はダービーのあとも、セリエAの実況陣には呼ばれません。いろいろあって、
プロデューサーとの“折り合い”が悪かったからです。ハハハ。

ビーバップ・コンビ誕生

しかし、1993年にナビスコ・カップの放映権を手に入れたとき、アナ不足になり、
“背に腹は代えられない”と、彼が実況を頼んできました。こちらも“飢えて”
いましたから、即OKです。ハハハ。

加茂周さんの推薦があってWOWOWの解説陣に加わった早野宏史さんがテレビで
本格的な解説デビューを飾ったのもこのナビスコ・カップでした。
第一回のお相手は私でした。ごく一部のサッカー・ファンの間で語り継がれている
(ウソつけ!)トオル&ヒロシの“ビーバップ・コンビ”が誕生したのです。
ヴェルディの試合でしたが、MAの制作を担当した外部のディレクターはしばしば
収録をストップしました。例のプロデューサーから「絶対に、ヴェルディを読売と
言わせるな」と厳重に言われていました。

しかし、“現場”の人間だった早野さんの頭には“ヨミウリ”の4文字がしっかり
刷り込まれていてつい、口にしてしまいます。
厳命を受けているディレクターはそのたびにテープを止めてやり直しを求めました。
4,5分に1回テープが停まり、ミスをするたびに“あの”早野さんが恐縮するため
思うように収録が進まず困っりました。

MAからOFF TUBEへ

セリエの実況にかかわるようになったのはその年の9月、93-94シーズンからです。
たしか、テープが自宅に届くのが水曜日で、MAは木曜日に行われていました。
選手の特徴を見つけるのに苦労しました。

PC上にある日記代わりのlogをさかのぼっていくと、1994年12月のところでは
MA、つまり、テープを見ながら解説と実況をつけるやり方だったのが、1995年
1月8日のところに「SERIE A/LIVE  PAR 1-3 JUV」と書かれています。
この年から、MAと並んで生中継が始まったのです。“OFF TUBE”と言いますが、
衛星で送られてくる映像を見ながらライブで実況するスタイルです。
MAでも苦労しているのに画面の外から選手やボールが飛び出してくるのを生で
描写するなんて無理…と思いましたが、やれなければ実況陣から“脱落”するしか
ありませんから、必死でついて行きました。
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…結果、何でもやってみるものです。慣れれば、どうってことはありませんでした。
それまでに、MA,で積み重ねた経験と何がしかのノウハウがものを言ったのです。
今やBS,CSだけでなく、地上波でもオフチューブでの生放送が普通になっています。
20年近く前にWOWOWが始めたのがきっかけになり、参考にもなったはずです。
何をやるにしても、いつの時代も、人は常にそれまでのやり方をモデルにいろいろ
工夫を加えて新しいスタイルを作っていくのです。私たちもそうだったし、先輩も
同じ道を歩んだのです。決して、“いきなり”まったく新しいものは生まれません。

吉田兼好ではありませんが、少しのことにも、先達はあらまほしき事なり…ですね。
ハハハ。

同じ話が何度も出てきますが、”流れ”ですのでご容赦を。
by toruiwa2010 | 2012-09-08 08:17 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)
Commented by KJ法 at 2012-09-08 09:40 x
あのKJが、実況までやったことがあったとは……。

私は今のリーガダイジェストはもちろん、地上波のスポーツニュースでさえ、KJの姿を見るとチャンネルを切り替えます。あの「薄さ」と「安っぽさ」と「騒々しさ」を支持する人たちが視聴者や制作現場の中に存在する、というのが不思議でなりません。

NHK-Eテレでやっていた宮川彬良さんのバラエティーを見る限り、本業であるミュージカル俳優としての力量も、首をかしげざるを得ないようなレベルでしたし。
Commented by toruiwa2010 at 2012-09-08 09:48
KJ法さん、こんにちは。

私は一度もあったことがありませんが、
人柄はいいらしくて、スタッフには愛されていました。
もちろん、それとこれは違いますがね。ハハハ。
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