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岩佐徹のOFF-MIKE

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CROSSROADS=十字路~岩佐徹的アナウンス論73~09/15

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打診

1984年の2月末か3月初めだったと思いますが、報道局の先輩に「話がある」と、
近くの喫茶店に連れて行かれました。
当時の私は 上司との折り合いが悪かったアナウンス部を出て、報道局でニュースの
中のスポーツ・コーナーを制作するセクションで責任者をしていました。

なにごとかと思いました。
“華やかな”ところもあったアナウンサーの生活から地味な報道に移ってやる気を
まったく失ってぐーたらしていましたから。ハハハ。
しかし、先輩の話は完全に私の虚をつくものでした。
「報道としては、4月から朝のニュース番組の中身を変えたいと思っている。
そして、編集長(ニュース番組を制作する現場のトップ)が君にキャスターをやって
ほしいと言っているのだが・・・」と言うのです。

報道畑一筋で仕事をしてきた先輩は私たちよりかなり年上で社歴も古い人でしたが、
ポジション的には編集長より下で、いわば“伝令”として私にこのプランを伝える
役割だったわけです。さあ、困りました。
自分の都合でアナウンス部を飛び出たものの、辞令を受け取るころには、「しまった、
何をやってるんだ。オレにはアナウンスしかないだろうに」と後悔していました。
以後、どんな形でもいいから、しゃべる仕事に戻りたいと熱望し、そのチャンスが
多いと思われるスポーツ部に移りたい旨を上司に伝えていたからです。

先輩にもこの気持ちを話しました。
「それは聞いている。しかし、編集長は番組改編で今までの“読むニュース”から
“話しかけるニュース”へ変えたいと考えている。君にその役割を担ってほしいと
考えているのだ」と言われました。
気持ちは決まっていましたが、先輩の顔を立てる意味もこめて「それでは、少し
考えさせてほしい」と答えて、話し合いを終えました。
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若いころからニュースを読むのは大好きでした。入社して12-13年目ぐらいまでの
ニュース番組は顔を出すことなくブースで読むだけでしたから、“日勤”のアナが
ローテーションで担当していました。私は、その担当を決めるデスクに志願して
やらせてもらうほど好きだったのです。
特に アメリカの報道番組を見てからは、伝えるアンカーたちの“カッコよさ”に
あこがれさえ抱きました。形から入るタイプですから。ハハハ。

やがて、日本のニュース番組もスタジオからの顔出しスタイルに変わり、読み手も
報道担当のアナウンサーたちが起用されるようになり、スポーツ・アナである私の
出番は減っていきました。
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もともと好きでしたから、先輩からの“打診”にまったく気持ちが動かなかった
わけではないのです。特に、“話しかけるニュース”には興味がありました。
“ニュースステーション”や“NEW 23”以前の当時のニュースは キャスターが
顔出しで読んでいましたが、原稿は従来のままでしたから、“話しかける”感じには
なっていませんでした。どこか“よそよそしく”、報道センターで仕事をしながら
番組を見ては、もっと原稿の書き方を変えられないものかと思い続けていました。

アナウンサーたちが読み終えた原稿を持って空いているブースにこもり、いろいろ
試みましたが、“話しかけるニュース”のヒントもつかめませんでした。なによりも
ここでニュースを選んでしまったら、スポーツ実況に戻る道を絶ってしまうという
恐れがあって、決断をすることをためらいました。
一週間後ぐらいに正式なお断りを言ったとき、アナウンサー時代から目をかけて
くれていた先輩は、短く「分かった」と言ってくれて助かりました。

分かれ道

誰の人生にも、「あそこで、あちらを選択していたら?」と振り返る分岐点が何度か
あると思います。どんなに平板な人生だったと思っていても、一度や二度はある
はずですが、私の場合は多すぎて枚挙にいとまがないほどです。ハハハ。
そして、この“キャスター”の件は間違いなくそのひとつに数えられるでしょう。
“後悔”ではありません。単純に「引き受けていたら どうなっていただろう?」と
思うのです。今でもニュース番組を見るときによく考えます。
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アナウンサーには“うぬぼれ”が多く、私も「違う」とは言いません。ハハハ。
それでも「スポーツ・アナをあきらめてキャスターの道を選んでいたら成功して
いただろうか?」と自問したとき、「うん」と答えるほどうぬぼれてはいません。
1年半後に「ニュースステーション」がスタートするまでは、記者が書いた原稿を
“読む”のがキャスターでしたから、私でもそれなりにやれたかもしれません。

しかし、自分の意見を織り交ぜながらコメンテーターと話し合う今のスタイルでは
とても円満に続けられるとは思いません。
ブログを読めばお分かりのように、私の意見はどちらかといえば“少数派”ですし、
番組の立場にしたがって自分の考えとは違うことも言わなければいけないなんて
真っ平ゴメンだからです。ハハハ。

“中道右派”(ハハハ)と自認していますが、“反権力”が求められるキャスターを
務めるにはかなりの無理があります。報道関係の番組を見ているときに、「ええっ!
世間はこの問題をそんな風に捉えているんだ!?と仰天することがしばしばです。
キャスターや、コメンテーターの意見を聞くともっと大きな隔たりを感じます。
世論に寄り添ったコメントが出来る人間でなければキャスターはできないでしょう。

自分の意見とキャスターとしての発言が完全に一致する人は少ないのでしょうが、
「本当は少し違うんだけどなあ」と思いつつ、毎日、カメラの前でコメントし続けて
いるのだとしたら、よほど神経が図太くなければ務まりませんね。
考えれば考えるほど、私がキャスターの道を選んでいたとしても、そのキャリアは
ごく短かっただろうと思われます。つまり、このときの私の“選択”は、珍しく、
大正解だったということでしょう。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2012-09-15 08:09 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(4)
Commented by しぐま at 2012-09-15 20:23 x
岩佐さん、その朝のニュース番組とは、
「FNNモーニングワイド」で、昭和57年4月にスタートしました。
これがフジテレビにとって、
平日朝7時台では初のワイドニュース番組
(時間は朝6時半~7時半)だったそうですが、
フジテレビは、朝7時台の時間帯の、
生ワイド化では、キー局では最も遅れをとったそうです。
「FNNモーニングワイド」を4年やったあと、
昭和61年4月に、若年層を視聴ターゲットに据えたという、
「FNNモーニングコール」に企画変更して以降、
平成6年4月改編での「めざましテレビ」立ち上げにたどり着くまで、
フジテレビの朝7時台は、番組のスタイルや編成枠組が安定せず、
試行錯誤を繰り返してきたのではないかと思います。
Commented by toruiwa2010 at 2012-09-15 20:40
しぐまサン、こんばんは。

ちょうど、そのころですね。
私はその年の夏、めでたくスポーツ部に異動しました。
Commented by デルボンバー at 2012-09-15 21:02 x
私も岩佐さんのこのブログを一年近く読ませて頂いてますけども、局アナ時代はほんとに苦労されたみたいですね…。というか、立派なアウトロー(一匹狼)のような印象をうけるのですが…。逆に、波長の合った上司の方はいらっしゃったんでしょうか?
Commented by toruiwa2010 at 2012-09-15 22:02
デルボンバーさん、こんばんは。

こう言うひねくれ者ですから目を駆けてくれて上司は
ほとんどいませんでした。

WOWOWでは社長に大事にしてもらいましたが。
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