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岩佐徹のOFF-MIKE

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村上春樹 受賞を逃がす~思い出すぜ「1Q84」騒動~12/10/12

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10/12のツイート

今夜ノーベル文学賞の発表らしい。
前もって書いておく。村上春樹が受賞したら、
めでたいことだとは思うが、認めない。
「1Q84」・・・どこが良かったのか?
突っ込みどころ満載で、ブログでもずいぶん
書かせてもらった。
そもそも、翻訳された文学ってなに?


文字数の関係で言葉足らずになったが、この賞は1作に対して与えられるものではなく
業績全体が対象であることは承知している。めでたいけど認める気にならないそもそもの
理由が「1Q84」だと言いたかったのだ。
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3年前のことになるが、出版当時、村上春樹の「1Q84」を読ませてもらった。
最後まで読みとおした時、自分をほめたいと思った。ハハハ。
たしか、それまで彼の著作は1冊も読んでいないと思う。
読んでいれば記憶があるはずだから、“…と思う”は言い方が変だと突っ込まれそうだが、
あいまいなのだ。きっと、読みかけてやめたのが1冊ぐらいあるのだろうと思う。

「1Q84」も、“読みとおした”には、若干の“嘘”がある。BOOK 3までは読んだのだが、
BOOK 4は読んでいない。だって、はじめ伝わっていたのは3部までという話だったもの。
それに どうしても、妻が買ったBOOK 4には手が伸びなかったのさ。満腹感。ハハハ。
この本については、読みながら、そして、読み終えたあと、数回にわたって書いた。
去年10月に骨折したとき、せっかく訪問した読者を“手ぶら”で返すのは申し訳ないと、
Archiveとして更新した。→ に行くとまとめて読めるので興味があったらどうぞ。
著作に合わせてBOOK1からBOOK3まであるが。ハハハ。 http://bit.ly/Q0TxNJ

・・・と書いても、読みに行く人は少ないと思うので(ハハハ)一部を引用しておく。
(1行当たりの文字数の関係で多少 手を加え、文章の“調子”もこの記事に合わせた)

「普通に書けばいいじゃない?」「どうして、そんなに得意げなの?」「なぜ、まるで
『どうだ、うまいだろう。こういう言い換えは俺にしかできないのだ』と言わんばかりに、
くどい形容詞や形容詞句を書き連ねなければいけないの?」と、へきえきする。

読み始めてすぐ、冒頭の3-5行目にかけてこんな文章がある。

中年の運転手は、まるで舳先に立って不吉な潮目を読む老練な漁師のように、
前方に途切れなく並んだ車の列を、ただ口を閉ざして見つめていた。


…“余計な”文節のおかげで、かえって運転手の表情が頭に浮かんで来ない。ハハハ。
“中年の運転手は、前方に途切れなく並んだ車の列を、ただ口を閉ざして…”では、
どうしてもダメなのか? 第一、“途切れなく”という日本語、あるのかなあ?
私のボキャブラリーには“途切れることなく”または、“切れ目なく”しかなかったから、
この言葉に出会って、びっくりした。
どう考えたって 推敲に推敲を重ねたはずだから、“世界的大作家”が間違えるはずはなく、
たぶん、私が知らなかっただけだろう…ということにしておく。ハハハ。

珍しい苗字を持つ主人公の一人が、行く先々の町で電話帳を開いてみるが、同じ名前を
持つ人物は見当たらなかった、という記述のあとに・・・

“そのたびに彼女は、大海原に投げ出された孤独な漂流者のような気持ちになった。”と
書かれている。
数行後に“名刺を渡すと相手はしばしそれを凝視した。まるで出し抜けに不幸の手紙でも
渡されたみたいに。”とある。

ほかにも・・・。

なのに、その音楽の冒頭の一節を聴いた瞬間から、彼女の頭に
いろんな知識が反射的に浮かんできたのだ。開いた窓から一群の鳥が
部屋に飛び込んでくるみたいに。

録音された拍手を長く聞いていると、そのうちに拍手に聞こえなくなる。
終わりのない火星の砂嵐に耳を澄ませているみたいな気持ちになる。

「現実はいつだってひとつしかありません」、書物の大事な一節に
アンダーラインを引くように、運転手はゆっくりと繰り返した。

それは揺れというよりはうねりに近い。荒波の上に浮かんだ航空母艦の
甲板を歩いているようだ。

堅く閉じられた唇は、よほどの必要がなければ微笑ひとつ浮かべなかった。
その両目は優秀な甲板監視員のように、怠りなく冷ややかだった。

傾向はお分かりだろう。
省かれていることが多いが、一つの文章を説明するときに、“まるで(たとえば)、
・・・のように(みたいに)”という形の文章が続くパターンが多い。


…第1章、たった19ページの中だけでこんなにあります。“てんこ盛り”。ハハハ。
ファンの多い、世界的に有名な作家ですから、当然、「それが村上文学さ」とおっしゃる
読者がたくさんいるのだろう。だからこそ、意図的に宣伝しなかったのに、初日だけで
数十万部を売り上げたのでかもしれない。
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しかし、天邪鬼の私はそれほど、感心したり、「参った」と言ったりしない。ハハハ。
これは、作家の“言葉遊び”じゃないかと思うのだ。
それが好きな人もいるだろう。しかし、“いちいち”感心しない私のような読者には余分な
ものでしかない。どんなに高邁なテーマで小説を書いたって、読者に伝わらなければ
意味がないじゃん。分類上、純文学だろうが、大衆文学だろうが、分かりやすいことが
肝心じゃないのかなあ。

考えすぎだろうが、なによりも、読者に「うまいなあ」と言わせたがっているように
思えてならない。大向こうに受けることを狙っているようで、好きにはなれない。
もともと、世間が“絶対視”する事物には、“眉につばする”ことにしている私だから、
大作家がこういう“自己満足”的なことをやっているのが我慢できないのだ。ハハハ。
ウエアや音楽をはじめ、やたらにブランド名や“うんちく”が出てくるのも、かえって、
作品全体の質を落としているように感じる。そんなことは、どこかの“やすおチャン”に
任せておけばいいのに…。
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純文学とは“対極”に位置する分野(推理・探偵小説)になるが、私の大好きな作家に、
“ハリー・ボッシュ・シリーズ”で知られる、マイケル・コネリーがいる。
探偵小説を馬鹿にしてはいけない。彼は、新聞記者として“ピューリッツァー賞”の
候補にもなったほどの実績を残していて、今では、日本でもファンが増えている。
ときどき、“うんちく”は出てくるが、英語で読んでも、彼の書き方のほうが“無駄”が
少なく、はるかにスマートだ。

…そんなことを言いつつ、BOOK1を読み終えてしまった。ハハハ。
こうなった以上、最後まで読むつもりだが、いまのところ、高い評価に値する小説だとは
思わない。“面白い”とも思わない。“行きがかり上”、読み進んでいるだけだ。

BOOK1の終り近くにこんな下りがある。

「世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との
果てしない戦いなんだよ」
「たしかに」と青豆は言った。


…文化人類学者や哲学者ではなく、“普通の”20歳代半ばの女性二人が交わした会話だ。
すげー!小説だから、と言ってしまえばそれまでだが、尊敬しちゃうねえ。ハハハ。
501ページに、編集者が天吾に向かって電話で 「ホットケーキみたいに作るそばから
どんどん売れている」と話す場面がある。
哀れな私の頭は“混乱”する。“花畑牧場の生キャラメルみたいに、作るそばから…”なら
まだ分かる。しかし、この書き方だと、ホットケーキ”とは、“作るそばから売れる”もの、
ということになり、それは、おかしな“決め付け”だ。それともなにか、1984年当時には
ホットケーキが“爆発的に”売れていたんだろうか。まさかね。ハハハ。 

読みはじめたばかりのBOOK2にも、いきなりこんな記述が出てくる。

百合は大きく、瞑想にふける異国の小さな動物のようにもったりしていた。
唇には色がなく、長い眉の外端は、まるで万有引力に抗することを
あきらめたかのように、わずかに下に降りていた。


相変わらず…。ハハハ。
こういう描写が、ものすごく気になるのだ。

ささやかではあるが、不特定多数の方の目に留まるブログで ノーベル賞を獲ろうかという
世界レベルの作家の作品に“いちゃもん”をつけ、文章にまで“ダメ出し”をするのは
それなりの“勇気”が要ることだから かなりためらったが、腹にたまったものをそのまま
しまっておける性格ではないものだから、筆の赴くままに書いてしまった。ハハハ。
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ノーベル文学賞でいつも疑問に思っているのは“翻訳文学”というものの意義・存在だ。
村上作品は世界40数カ国の言葉で発刊されていると聞く。それは素晴らしいことだ。
しかし、論文や記事なら事実関係こそが大事な要素だから、違う国の言語に訳されても
問題はないだろう。しかし、多くの場合、登場人物人の心の中、感情のひだが重要になる
文学の場合、どうなんだろう、と思う。

極論に聞こえるだろうが、日本語で書かれた「ノルウェイの森」と英語に訳されたそれは
“別物”だと思うわけだ。言語にはその国の文化や歴史が深くしみ込んでいるのだからね。
「いや、何も分かってないなあ。完璧に、忠実に村上の世界を映している」と言う輩が
きっといるだろう。しかし、そう言い切る根拠はあるのかね。ないと思うよ。
私に言わせれば、選ばれた言葉は訳者のものだもの。

山中教授のiPSや物理学賞、化学賞のように言語に関係なく世界に通用するものは
いいとして、文学の優劣を世界規模で語ることは難しいと思うのだ。
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3年前の時点では、読者の中にも“病状”に差はあってもハルキストがいたと記憶する。
今も残っていれば、さぞ不愉快だろう。
このところ立て続けに、北野武やらイチローやらに噛みついている。いやな爺さんだね。
スーパースター、頂点に立つ男(女も)、絶対視される者たちを常に“懐疑”の目で見るのが
岩佐流だから今更呆れても遅い。読み始めた以上、我慢してもらわなければ。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2012-10-12 10:25 | 読書・歌・趣味 | Comments(6)
Commented by Vevey at 2012-10-12 19:09 x
岩佐さん、今晩は。
どうも私も子どもの頃からおへそが曲がっているらしく、皆が大好きなものが嫌いな事が多いんです。その辺岩佐さんと感覚が近いのか?村上春樹もイチローも北野武の映画も全部ダメ。

以前よく本を読む友人から、どうしても読めないから良かったらあげると渡された「ノルウェーの森」、私もどうしても入り込めずに放棄して、他の人にあげました。
イチローも正直大嫌い。何で皆さんが好きなのか?ちっともわからない。只の偏屈な選手〜WBCではしゃいでいる時も鬱陶しかった。
北野武の映画は幾つか見たがほぼ評価に値せず、余りの退屈さ(ジョークが全く笑えない)で見るのを中止。(おすぎだけは大分前からもう映画を作るなと言っていますね)
メディア側が「大衆が好きだから」と勝手に決めつけて、喜びそうな情報だけを流していると、私も感じます。

成し遂げる仕事の内容と、人間性は必ずしも一致しないし、特に芸術的なことやスポーツは結果が出ればそれでもいいのかな?と思いますが、ノーベル賞を受賞した山中教授を覧ていると、やはりちゃんとした仕事をする人は、ちゃんとした人間なのだなと当たり前の事を強く感じ、ホッとしたりしています。

Commented at 2012-10-12 19:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by toruiwa2010 at 2012-10-13 05:00
はまっこサン、おはようございます。ずいぶん久しぶり・・・ですね。
しーっ、1巻、2巻と呼んだらいけないらしいですよ。
BOOK1、BOOK2・・・そして11BOOK4まで出ました。
Commented by toruiwa2010 at 2012-10-13 05:02
Veveyサン、おはようございます。

いちいち、ごもっともです。
そして、イチロー、北野武に対する感覚まで似ているのは
あまりいいことじゃないかもしれませんよ。ハハハ。
Commented by H.N. at 2012-10-13 09:31 x
岩佐さんおはようございます。
村上春樹の本を読んだことはないですが、岩佐さんの記事を読んでると納得するものがありますね。話の流れや深さが胸を打つのであって小洒落た比喩を連発されてもうるさくて辟易しますよね。あとそういう比喩こそ各国の文化背景に基づいて共感できる/できないものだから違う言語に翻訳されるとニュアンスが大きく変わってくると思います。この三人の中でイチローは好きですね。岩佐さんがおっしゃることもわかりますが、何よりメジャー年間最多安打の記録を日本人が作ったことは純粋に嬉しかったです。結果出してますもんね。
Commented by toruiwa2010 at 2012-10-13 09:40
H.N.さん、こんにちは。

262安打の時は私も応援したものです。
あとはもう・・・開幕時の目標が200安打なんて選手は
リスペクトに値しません。ハハハ。
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