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岩佐徹のOFF-MIKE

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平泉・中尊寺へ~54年ぶりの奥の細道~12/11/02

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五月雨の 降り残してや 光堂 

元禄2年、江戸をたち 日光、那須、松島を経て平泉を訪れた松尾芭蕉の句です。

思い立って北へ向かいました。
目的地は“世界遺産”、平泉・中尊寺です。
ネットで調べたり 電話で尋ねたり…紅葉のいいころ合いにと思っていましたが、なかなか
いいタイミングが見つかりませんでした。“雨は勘弁してほしい”という条件もあるので
ますます大変です。ハハハ。

私の都合と天気を考えて水曜日に行ってきました。紅葉が期待ほど進んでいないのは
分かっていました。しかし、後ろにずらせばずらすほど、京都の紅葉と重なりそうなので
思い切って決めたのです。今回は中尊寺を見ることで我慢することにしました。

近場ではなく“旅”と呼べる場所に出かけるのは5月の京都(つつじ)以来です。
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中尊寺は高校3年の夏に修学旅行で来ました。病気で留年を繰り返したために 20歳が
目前でした。54年前のことになります。月見坂を上がって金色堂に向かう参道横の木が
いい感じで色づき始めていました。結果的には、ここが一番きれいでした。全体で言えば
2分から3分でしょう。タクシーの運転手さんの話だと、今年はいつまでも気温が下がらず、
そのせいで紅葉が遅れているそうです。見ごろは11月10日すぎではないでしょうか。

“紅葉はまだ先”という情報が浸透しているのか、人出はそれほどではありません。
込むときには 拝観券を買うのに20分、金色堂に入るにまた長い行列ができるようです。
私の一番苦手なパターンですが、今回はスイスイでした。
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まず、私たち夫婦としては珍しいことに 金色堂横の讃衡蔵(サンコウゾウ)へ。
普段は仏像や宝物にはあまり興味がないのです。
いきなり丈六仏(ジョウロクブツ)に出会いました。中央の阿弥陀如来坐像がいいですね。
実にいいお顔をしています。思わずお賽銭を入れました。ハハハ。
建物を出たところにもいい感じの紅葉がありました。
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金色堂に続く石段の前に立って見上げたとき、54年前の記憶が少しよみがえりました。
当時はコンクリートではなく、土のままだったような気もしますが。
内部の印象はテレビで見た映像と混じり合って ハッキリしません。ハッキリしているのは
LEDのおかげで割合によく見えるようになっていることです。ハハハ。

毛越寺、厳美渓を駆け足で見て一ノ関に戻ると、予定より1時間前の電車にぎりぎりで
間に合う時間でした。
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世界遺産・平泉。正直な感想を書くなら、“ちょっと残念”です。
紅葉には早すぎたから…は関係ありません。私たち夫婦のように、仏像や宝物ではなく、
建物や周辺のたたずまい・眺めを楽しみたい者には、物足りないのです。
外国人観光客の姿をほとんど見かけませんでした。どこに行っても耳に飛び込んでくる
中国語や韓国語も聞こえません。国同士が“もめて”いるからでしょうが、せっかくの
世界遺産なのにもう一つ魅力が足りないからではないでしょうか?

説明文なども英語が少しあっただけで、欧米人がここに来たとき、何を楽しめるのか?
自分のことでもないのにいささか心配になりました。ハハハ。

渋谷に着いたのは4時をわずかに過ぎた時間でした。世間的には“超早い”でしょうが、
“晩ごはん”にしました。文句ありますか? ハハハ。
惣菜を買って帰るにしても、帰宅してからの妻はゆっくりする間もなく支度をしなければ
なりません。“優しい夫”はそれがとても気になるのです。それに、もともと、岩佐家は
普段でも朝が6時、夕食は4時半(基本的に昼抜き)という病院並みのスケジュールだし、
たまの麻雀デーは4時ですから極端に早いわけではありません。全く問題ないのです。

なんだかんだ言いながら、久しぶりの旅にかなり満足して家路につきました。そう言えば、
平泉はその後の自分につながる土地だなあと思いつつ。
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1958年7月。
私が通っていた明星学園高校の修学旅行はこの平泉から始まりました。
細かいことは覚えていませんが、花巻、十和田湖、酸ケ湯を回ったと思います。
このとき、学校は同行したカメラマンが撮影した8ミリフィルムで記録映画を作りました。
制作に参加していた親しいクラスメートから夏休み中の私に電話がかかってきました。
「ナレーションをやってくれ」と言うのです。

当時の私には予想もしない依頼でした。
国語の時間に教科書を読まされたりするときの私の声が聞きやすいと仲間の間では
意見がまとまっていたようです。
20分ほどの作品でしたが、録音しているとき、2学期の初めに講堂で行われた試写会が
終わって拍手を浴びたとき、将来の仕事として“アナウンサー”が浮かんだのです。

どこでどんなことがあって進むべき道が見えてくることがあるか分かりません。
飛躍するようですが、花巻東・大谷投手も 日ハムの話を聞いてみればいいと思います。
今は、メジャーこそ自分の居場所だと考えているでしょうが、選択肢は多い方がいいです。
by toruiwa2010 | 2012-11-02 08:06 | 旅に出る食べに行く | Comments(2)
Commented by 老・ましゃこ at 2012-11-02 16:11 x
芭蕉の辿った道、54年前に岩佐さんが通られた道、そして
思い立たれてという今回の平泉・中尊寺への道を想像しました。
締めくくりの3行は、花巻東・大谷投手だけでなく、多くの若い人の心に届いてほしい言葉だなと思いました。
Commented by toruiwa2010 at 2012-11-02 20:23
老・ましゃこサン、こんばんは。遅くなりました。

年寄りの言うことに少し耳を傾けてくれればと
思いますが、自分の若いころを思い出すと…。
ハハハ。
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