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岩佐徹のOFF-MIKE

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英語版「1Q84」を読む~どう考えても“別物”だよね~12/11/30

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だいぶ前の朝日の文化面に「英語で読む村上春樹」というコラムが載っていた。
見出しを見た瞬間にビビビっと来るものがあった。
記者は語学力向上のために英語で読み始めたらしい。以前は村上のいい読者では
なかったと前置きした上でこう書いていた。

「海辺のカフカ」で15歳の少年が筋トレをして
コルトレーンを聴く描写に鼻白み、追うのを
パタリとやめた。村上特有のしゃれた比喩や
ジョークさえ、「なんだかなあ」と鼻につく。
ところが英語だと、ずっと肺腑にしみる・・・

そのあと、なぜかについて考察している。

記事を読み始める前から「そうか、その手があったか」と思っていた。
目からウロコ…だった。
早速、本屋に行き英語版「1Q84」を買った。BOOK1-3を1冊に収めているので
1300ページを超える大作になっていた。一緒に購入したグリシャムの本と比べると
その厚みが分かる。ほかの作品でもよかったのだが、この本は妻が日本語版を
持っていて読み比べができると思ったのだ。
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実際に読んでみると、スーッと頭に入っていく。
一度、日本語で読んでいるせいもあるが、多分、こうだ。

日本で生まれ育った者が書かれている日本語の文字を目にしたとき、その単語の
辞書的意味だけでなく、付随するさまざまなニュアンスを無意識のうちに加えて
理解していく。その“周辺部分”に含まれる情報量はそれぞれの読み手が育った
環境によって大きく変わる。

情報量が少ない人は村上春樹の“持って回った”比喩も気にならないだろう。
しかし、74年も生きてきた老人は“うざい”と感じてしまうんだ。
英語で読むと、単語ごとに辞書に出ている意味のうち、文脈になじむもの一つを
あてはめて読み進むから、余計な情報が邪魔する余地が少ないのだと思う。

たとえば、作家志望の天吾に雑誌の編集者・小松がこう言う場面がある。
「俺が望んでいるのは、文壇をコケにすることだよ」

“文壇”には周辺情報がたくさんついて来る。
文学の世界で一定のグループを指す言葉だし、“ムラ”的なニュアンスも感じる。
ステータスやテリトリーといった意味合いも含んでいる。
英訳だとこうなる。

I’d be doing it to screw the literary world.

うーん、どうなんだろうね。literary worldで、日本社会の中で文壇が占めている
ポジションが伝わるとは思えない。じゃあ、どう訳せばいいの?と聞かれても困る。
村上自身も十分に納得したわけではないだろう。
その証拠のように、数行後には同じ言葉を“ ”でくくっている。日本語版では
文壇のままだ。英語版で“literary world”としたのは、実は、この言葉、日本では
独特のニュアンスを持っているんですということを伝えたいからに他ならない。
作家の母国語で書かれたものと他人が自分の国の言葉に置き換えたものでは大きな
違いが生まれる。両者が生まれ育った環境や個人のキャリアが違うから当然だ。。
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村上春樹は毎年ノーベル賞の季節になると、「今年こそは…」と期待が高まるほど、
文学賞候補の常連だが、そのたびに疑問を呈してきた。
“翻訳文学”というものの意義・存在だ。彼の作品は40数カ国語に翻訳されて
いるらしいが、ノーベル賞候補になっているのはまさか日本語版ではあるまい。
どう考えても英語版だろう。

そして、どう考えても、原語とほかの国の言葉に翻訳されたものとは別物だ。
音楽や絵画は翻訳を必要としない芸術だ。医学や、化学・科学、物理学、生理学…
すべて、絶対の真実がものをいう分野もそれだけで世界に通じる。しかし、文学は
そうはいかない。限界があると思う。
いやいや、文学で大事なのは物語だし、全体を支える哲学だから、こまかい言葉の
ニュアンスなんて関係ない、と言う声が聞こえる
登場人物の思い、感情のひだ、物語の舞台が持つ歴史や文化を理解できないまま、
その文学を完全に理解することなど不可能だ。

極論するなら、日本語で書かれた「1Q84」と英語に訳されたそれは“別物”だ。
“文壇”と“literary world”が別物であるように。

まだ、30ページほどしか読んでいないが、困ったことにこれなら面白い。ハハハ。
もっとも、途中から苦手なカルトっぽい話になっていくことを知っているから、
その部分の手前までで終わる予定だが。

例の朝日の記事は“ノーベル賞は、むろん遠くないのでしょう”と結ばれている。
くどいようだが、私は正反対の結論だ。Hahaha。

ほら、まったく雰囲気が変わるよね。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2012-11-30 08:25 | 岩佐徹的考察 | Comments(0)
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