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岩佐徹のOFF-MIKE

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“ラ抜き言葉”容認論に遭遇~岩佐徹的アナウンス論120~02/23

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このブログに何度か書いたはずですが…
言葉は生き物、時代とともに変わるという考え方に賛成です。“正しい日本語”に
強くこだわるつもりもありません。
その場面にふさわしいと思えば、放送でも、俗っぽい表現やかなりくだけた言葉を
意識して使いました。“うるさい”人には言わせておくしかないと。ハハハ。
ただし、文法的に間違っている言い方はできるだけ避けていました。

以上を踏まえて、さて、きのう書いた“ラ抜き”言葉です。
“機械的”に全部ダメだと言うつもりはありませんし、一般の人が使うことまで
とやかく言う気もありません。しかし、少なくとも、アナウンサーなど、言葉を
扱う仕事をしている者は使うべきではないと思います。


以前、ラ抜き言葉について書いた記事にこんなコメントがありました。

どなたの話か、お名前を全く忘れてしまったのが
情けないのですが、ある言語学者の方でラ抜き言葉を
勧めていらっしゃった記事を読んだことがあります。
見られる、来られる、が可能・受身(あるいは尊敬)を
同じ形で表すのと違い、ラ抜きの、見れる、来れるが
表すのは可能のみです。
これは日本語の乱れでなく変化であり、実態に合わせて
言葉が変わることは自然な事であるから無理な矯正は
おかしいと。

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ここに書かれた“言語学者”は、金田一春彦だと思われます。
フジテレビの新人時代の研修などでお世話になった偉大な国語学者です。本来なら
“楯突く”ことなど考えられないほどの方です。ハハハ。

しかし、正直に書くなら、この説はどうなんだろうと思います。
書き込んだ人の記憶違いもあるでしょうから、このコメントだけをベースにして
議論するのは危険ですが、ほかに“材料”がありません。
そして、どんな文脈の中でこういう意味のことを言われたのかわかりませんが、
学者にありがちな“あと付け”、つまり、今ある現象にあとから理屈をつけたように
私には聞こえます。
…大学者を相手にかなりの“チャレンジャー”ですが。ハハハ。

“見れる”、“来れる”が表すのは可能のみ…だから、“ラ抜き”言葉を肯定する、
それも“消極的に”肯定する…というのなら、その部分は理解できます。
しかし、“勧める”となると、現状の“追認”ではなく、学者が“公認”することに
なりますから話は違ってきます。しかも、辞書の編纂をするほどの学者ですから
影響は大きいです。
公に認知するためにはもう少し広い範囲の“合意”が必要ではないないでしょうか。
大正時代から使われていたらしいですから、「もういいじゃないか」という考え方が
出てくるのも分かりますが。

使い始めた人たちは金田一氏と同じ“理屈”で武装していたわけではありません。
単に“見られる”、“来られる”が言いにくいから“ラ”を省略したのでしょう。
今、使っている人たちも同じです。

“言いやすいから”のほかに考えられるのは、“スピードアップ”です。
正確なデータを持っていませんが、今のアナウンサーたちがニュースを読むとき、
昔のアナにくらべて、同じ時間内で読む文字数は何割も多くなっているはずです。
それだけ、現代人は“早口”になっているのです。

ほかにも、スピードが上がった理由はあります。

“sushi”(寿司)の“u”や“kiso”(基礎)の“i”は本来の音ではなく、むしろ
“消える”感じになります。専門的には“母音の無声化”と言いますが、私たちは、
研修のとき「これは会話のスピードを上げるために生まれたと考えられている」と
教えられました。講師は金田一先生だったと思います。
おそらく、日本人は、気が遠くなるような時間をかけてさまざまな形でスピード
アップを図ってきたのでしょう。
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“自動車”、“自転車”などのアクセントが、昔は“ど”、“て”に置かれていたのに、
今では平板に発音する人が多くなっているのもそのひとつです。“映画”、“電車”も
同じように平板化する人が増えているし、若者が平板アクセントで話す“彼氏”や
“クラブ”も同じでしょう。
極端な例では「以上、○○関連のニュースお伝えしました」と“を”を省いて話す
アナウンサーもいます。箱根駅伝のときに書きましたが、実況中に「…という」を
「…いう」と、“と”が抜けるアナウンサーがいます。
彼らに「スピードを上げたい」という意志があるかどうかは知りません。ハハハ。

“見られる”や“来られる”よりも“見れる”、“来れる”の方がほんの僅かですが、
スピードが上がります。“意識の底の底”で「省略できるものは省略していこう」と
考えたわれわれの先輩たちが“ラ抜き”言葉を口にし始めたのだと考えることは
それほど不自然なではないと思います。

“しゃべれる”や“書ける”のような“可能動詞”の“新種”として この言い方が
認められる日がやがて来るのだとは思っていますが、今のところは、金田一先生が
どんな推理をなさろうと、「へへー」とひれ伏す気持ちにはなれません。ハハハ。

それにしても、金田一春彦の“学説”はまったく初耳でした。
余談ですが、こんな風に、突然、どこからともなく人や物が現れるときの英語の
フレーズが大好きです。
“out of nowhere”…まさにこの言葉がピッタリです。
日本語には微妙なニュアンスを見事に言い表す言葉が多いですが、なに、英語も
負けてはいません。ハハハ。

同じ意味で、out of left field があります。当然、野球から来ていると思いますが、
なぜ、“レフト”なのかがずっと気になっています。どなたかご教示を。
by toruiwa2010 | 2013-02-24 09:05 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)
Commented by Yumi at 2013-02-25 12:55 x
"out of nowhere"は音楽業界から、”out of left field”は野球からで、レフトから1塁までの送球が一番遠くなるからだそうです。"out of the blue"というような表現もあります。
Commented by toruiwa2010 at 2013-02-25 13:15
Yumiさん、こんにちは。

ご教示ありがとうございます。
送球距離でした。レフトからファーストに
投げることはそんなにないですよね。
ライトからサードの方が圧倒的に多いのに、
なぜそちらを選んだか・・・

blue…確かに、小説の中にたびたび出てきます。
こういう表現を実際に使うことはないでしょうが、
知ると、なんかうれしいものですね。
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