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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

三谷∼千里山∼下高井戸∼東池袋・・・~岩佐家・転居の歴史~13/04/05

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杉並区三谷町

物心がついたころ暮らしていたのは東京都杉並区三谷(さんや)町でした。
今は“桃井”と町名が変わっています。小さな一軒家に庭がついていました。
玄関を開けると門までの数メートルの間にツツジと金木犀の木が植えられていて、
門の手前、長兄の部屋だった洋間の前には防空壕がありました。戦争中、何度か
中に入りましたが、狭いなりに居住性はそんなに悪くありませんでした。
当時は、庭でトマト、キュウリ、ナスなどを栽培していました。
小学生だった私の“親友”はネコのチャメでした。
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お隣りの田中さんは散髪屋で、子供のころはここで髪を刈ってもらっていました。
ななめ後ろに家族ぐるみで仲が良かった押本君の家があり、よく食事をごちそうに
なったものです。通りを挟んだ向かいには豆腐屋さんがあって、遠足の前日は必ず
そこに“お使い”に行きました。母が得意だったいなりずしを作ってもらうために
油揚げと経木(きょうぎ)を買うのです。

吹田市千里山

中学3年から5年間(1953~58年)は父の仕事の関係で大阪に住んでいました。
吹田市千里山です。阪急千里山線の終点で梅田から20分ぐらいのところでした。
上には水道用の貯水池のようなものがあるだけの、町では一番高い位置だったと
記憶しています。積みあげた石で囲った造成地に平屋の住宅が6棟あって大阪で
印刷・販売を始めたばかりの読売新聞社の幹部が住んでいたのです。

生駒山が見える南側の庭にはアカシヤとハナミズキが植えられていました。
結構、見晴らしがよくて天気のいい日に縁側から生駒山を眺めるのは最高でした。
ある日、とんでもない“事件”が起きました。

土砂降りの雨でした。雨音をついて“ドーン”という大きな音が聞こえました。
はじめは何の音か解りませんでした。家の周囲を見まわると南側の庭が…
“石垣”が崩れ、土がえぐれています。しかも、現在進行形、つまり、目の前で
どんどん、えぐれて行きます! やわらかい土なので他愛もなく雨に流されます。
気が付けば、家を支える土台の一つに50cmほどのところまで迫っていました。
あと10分も降り続いていたら我が家は倒壊していたはずです。

奇跡的に雨が止み、危ういところで、“集中豪雨によるがけ崩れ”を免れました。
詳しく調べるまでもなく、石垣が崩れた原因はあっさり判明しました。
積みあげた石垣に水抜きの孔が一つもなかったのです!
短時間に猛烈な勢いで降った雨は土に吸い込まれたあと行き場を失い、最後に、
石の壁を突き破ったわけです。ハハハ。

杉並区下高井戸

高校3年のとき東京に転校し、慶應に入学してからの半年ぐらいまで、吉祥寺、
中野、祐天寺などを転々としました。
父が産経新聞に招かれて上京し、ふたたび家族が一緒に生活するようになりました。
しばらく奥沢で間借り生活のあと、1961年、杉並区下高井戸の田圃を埋め立てた
住宅地に一戸建てを買いました。西永福駅に6~7分ほどのところです。

井の頭通りと甲州街道をつなぐ道が家の横を走っていましたが、交通量はそれほど
多くはなくて静かでした。周囲はまだ畑が多く、天気のいい日は私の部屋の窓から
遠くに富士山が見えたものです。

世田谷区上北沢

1963年に結婚し、上北沢の奥山荘という木造アパートに住みました。
6畳と4畳半に小さなキッチンがついた部屋で風呂はありませんでした。
京王線をはさんで反対側にあった銭湯に通いました。冬場、銭湯の前で妻を待って
いると体が冷えたことを思い出します。♪神田川の世界でした。ハハハ。

木造アパートですから、トイレの水を流すのに神経を使いました。
「プロ野球ニュース」で帰宅が深夜になることが多かったのですが、アパートまで
50メートルほどのところに教会があり、門の外に立っていた木に向かって立X便を
したことが何度かあったことを懺悔します。お許しください。ハハハ。

豊島区東池袋

何とか風呂付の広い部屋に越したいと思い、公団住宅には欠かさず応募しました。
ポストから新聞をとってきて当選番号を祈るような気持ちで探す日々でした。
3年目のある日、やっと、祈りが通じました。
当選したのは豊島区東池袋の住宅です。

部屋を決めるとき、907号室を選びました。エレベーターに近いことが理由の一つ、
もうひとつは、私のフジテレビの社員番号だったからです。ハハハ。
11階建ての建物は、都電が護国寺方面にカーブするところにあり、通りの向こうに
雑司ヶ谷の墓地が見えていました。
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都電で早稲田に出てバスで河田町まで30分ぐらいで行けるのが嬉しかったです。
遅れそうなときは、タクシーを飛ばせば10分足らずで会社まで行けました。
当時は、護国寺前を右折、講談社や音羽御殿の前を抜けて河田町まで100円玉が
二つあれば行けたものです。

間取りはいわゆる2DKでした。風呂がついているのは嬉しかったのですが、どこで
見つけたのかと感心するほど小さい風呂桶で、無駄に足が長い私は膝を抱えないと
肩までつかることができませんでした。ハハハ。
会社からの距離が近いことや、夫婦二人きりだったので、この家にはしょっちゅう
同僚アナウンサーが遊びに来ていました。来客が一番多かったのはこの家ですね。

この家の電話番号は今でも記憶しています。983-2093です。
好きな語呂合わせで、お“くやみに(9832)涙ぐみ(093)”と覚えたのです。ハハハ。
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再び、下高井戸

このアパートには5年住んだあと、1971年に下高井戸の実家に戻りました。
両親が年を取ったので、同居した方がいいだろうということになったのです。
実家に二階を建て増して住むことにしました。
妻の希望で板張りにしました。家の内側はすべてむき出しの木になりました。
引っ越しの業者に「これは…未完成なんですか?」と聞かれたときは爆笑しましたが。
ハハハ。

日当りのいい家でした。縁があって飼うことになった3匹の猫たちも窓を通して
入ってくる日差しを存分に楽しんでいました。
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諸事情があって、16年後、実家を出て再びマンション暮らしを始めました。
高井戸東に1年、浜田山駅近くのマンションに2年、光ヶ丘団地に4年住んだあと、
井の頭線・代田二丁目駅近くに移りました。
58歳にして、初めて買った家がこのマンションです。ずっと賃貸に住むよりは
その方がいいかもしれないと思いました。

世田谷区代田

売買契約がまとまったあと、不動産屋の社員が「実は、ここに住んでいたのは
〇〇サンなんですよ」と言いました。夕方のニュース番組でキャスターを務める
女性でした。「なぜ、今になって?」と尋ねると「いえ、嫌う方もいますから」と
遠慮がちに言いました。なるほど。でも、アイツやコイツやソイツでさえなければ
あとに住むことまで嫌だとは思わないけどなあ。ハハハ。

ここには7年住みました。居心地は悪くなかったのですが、部屋が2階だったため、
足腰を痛めたときに困ると思い、エレベーターのあるマンションに移る方がいいと
考えました。いつか自分は車いす生活になると勝手に決めていたのです。ハハハ。
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あまりいい値段では売れないと覚悟を決めていたのに、ほぼ言い値で売れました。
隣りのオタクとの境の塀によく猫がいて、我が家の猫が“仲良く”していました。
その縁で、そこの奥さんと妻が立ち話をするようになっていたのが幸いしたのです。
その奥さんが、彼女の知人に買わせるように話を進めてくれました。

買い手になった女性は一人暮らしのマッサージ師で数匹の猫を飼っていました。
理由はよく分かりませんが、隣の奥さんはマッサージ師を完全に“支配”していて、
あっという間に話をまとめてくれたのです。占い師と中島知子のような関係で、
契約書を交わすまで、マッサージの女性は我が家を見ていなかったと思います。
数千万円単位の買い物なのに。ハハハ。
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目黒区碑文谷

引っ越したのは碑文谷でした。
目黒通りまで100メートルほど、ダイエーの反対側です。目黒駅からタクシーで
帰るときは、ダイエーの手前でいったん左折し、二度 右折、目黒通りを横切って
直進するとマンションの裏側でした。
ここに住んでいるときのウォーキング・コースは自由が丘往復でした。おしゃれな
店が多く、坂道もあって楽しめる1時間でした。
もったいないことをしたと思うのは、現役バリバリで忙しかったせいもありますが、
話題の目黒川の桜を一度も見なかったことです。

キッチンにいると、遠くから東横線が走る音が聞こえてきたものです。
閉まっている窓に向かって座っているチャバはその音に耳を傾けているようでした。
彼は下高井戸時代からずっと私たちと行動を共にしてくれたのです。
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日差しがいっぱいに入るサンルームがあってそれなりに気に入っていたのですが、
そのマンションにはたった2年しか住みませんでした。窓からの景色が変わって、
コンクリートの建物ばかりになってしまったからです。

結婚後、引っ越しの回数が増えたのは、妻が苦にしないからです。準備はほとんど
すべてを妻がやってくれますから、私もいやではありませんでした。新しい環境に
住むのはわくわくすることだったし。

そのころ引越しが多かった我が家には独特のマニュアルがありました。
まず、前日までに新居にチャバの居場所をこしらえます。
当日は夫婦でチャバを段ボールに入れてタクシーで新居に行きます。ペット不可の
マンションが多く、近所にばれないようにと、4時半、5時という早朝を選びました。
私は戻って引っ越し業者を待つのです。

碑文谷から転居するときも当然この手順を踏むつもりでいました。
しかし、面倒なことをしなくてもいいようにと、“親孝行”のつもりだったのか、
引っ越しの3週間前にチャバが亡くなりました。
外に出たがるネコではなかったのですが、窓から外を眺めるのが好きでしたから、
新居からの風景を見せてやりたかったのに。
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杉並区XXX

結婚してから9軒目の今のマンションは南側に公園があって開放感があります。
つい先日まで満開の桜を楽しませてくれました。犬の散歩場所でもあり、近所の
保育園から先生に引率された園児たちもよく遊びに来ています。犬の鳴き声も、
子供たちの騒ぐ声も気になるほどうるさくはありません。

ここを見つけたのは妻でした。
妻が気に入ったところが一番だと思い、期限を決めずに「見て回ったら」と話して
いたのですが、ある日、出先からかなり興奮した声で電話がかかってきました。
「いいところがあるわよ」と。
急いで駆け付けて、その場で決めました。
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井の頭沿線は都内で最もなじみのある地域です。自分たちの“テリトリー”という
感じで、町を歩いても電車に乗っても気持ちが落ち着きます。
駅まで6分だし、静かだし、間取りもいい上に南が大きく開けています。
見つけた妻に感謝です。先月31日で引っ越してから満10年になりました。

よほどのことがない限り、ここが終の棲家になるでしょう。
by toruiwa2010 | 2013-04-05 06:06 | その他 | Comments(0)
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