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岩佐徹のOFF-MIKE

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「笑っていいとも」終了へ~残ったのはキューちゃんだけか~10/29

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10/22のツイート

「笑っていいとも!」が来年3月で終了するそうだ。
タモリが発表した。タモリらしい、「いいとも」らしい
発表の仕方だった。
この夏、プロデューサーの異動があったとき、
昔の仲間の一人が「終わるのかな」と言っていた。
終わる前兆らしい。


フジテレビは開局以来、鹿内信隆のワンマン体制が続いた。
1960年代の終わりに誕生した労働組合の中心メンバーは急遽作られた系列会社に
飛ばされたりして、一時は暗いムードが社内を覆っていたものだ。
そのころ、一人の男がフジテレビに乗り込んできた。鹿内春雄…信隆の息子だ。
はじめは「○○事業本部長」といった肩書きで現場を仕切っていたと記憶する。

“頑迷な”父親とは違うタイプの経営者だった。同じように“ワンマン”だったが、
“聞く耳”を持っていた。“くすぶって”いた組合の執行委員たちを次々に本社に
呼び戻して要職につけた。その中に現会長・日枝久や名物プロデューサーだった
横澤彪たちがいた。彼らは思想的に偏っていたわけではなく、同僚から信頼され、
仕事もできたから執行委員に選ばれていたのだ。本社に戻るとすぐに力を発揮した。

社員も敏感に反応して明るさを取り戻していった。営業成績が上向き、視聴率も
ゆっくりと上昇に転じていった。80年代に入って「笑ってる場合ですよ」(のちに
「笑っていいとも」)や「オレたちひょうきん族」が生まれたのも、社内の空気を
反映したものだったと言っていい。
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局としてのキャッチフレーズが「母と子どものフジテレビ」から「楽しくなければ
テレビじゃない」に変わったのもこのころだし、数年後にはロゴも変わった。
青山学院大学の講堂に集めた幹部社員を前にしてグループ議長に収まった春雄氏が
大演説をぶちあげ、「これを機にグループ各社のロゴをやめて、新たな統一マークを
制定した」と話して講堂の後ろを指さした。扉が開かれ、自衛隊の儀仗兵のような
服装の男が大きな旗を掲げて入場してきた。まるで甲子園の優勝校のキャプテンが
捧げ持つような旗に刺しゅうされた目玉マークを見て、茫然としたことを思い出す。
ハハハ。

しかし、春雄氏はそれから間もない1988年に42歳の若さで急死した。
後継を巡って“ごたごた”したあと、社長に就任したのがほかならぬ日枝久だ。
今はともかく当時は“我らのキューちゃん”が社長になったのだ。局内の空気が
さらに明るくなり、フジテレビはパワーを得た。そのころからおよそ20年は、
一時 日テレに視聴率首位の座を譲ることはあったが、営業成績や“人気度”では
先頭を走り続けた。すべての歯車がかみ合っていたのだ。
“落ちこぼれ”の私はそのころWOWOWに出向中だったが、本社を訪れるたびに
活気にあふれる社員たちを見て嬉しく思ったものだ。

…記憶を頼りに振り返ると、「笑っていいとも」は、開局が遅かったフジテレビが
好調の波に乗って世間的に認知される流れの中で生まれた番組であることが分かる。
見るからに“夜”のイメージだったタモリを昼の帯番組のメインに据えるという
“思い切り”は副社長・鹿内、編成局長・日枝、プロデューサー・横澤…そんな
布陣だったからこそ実現したのかもしれない。めぐり合わせだ。

噂は数年前から耳にしていたが、日本の放送史に残る番組がいよいよ終わる。
折りしも、フジテレビはこのところ“長期低落傾向”にある。なんとなくだが、
今このときに「いいとも」が終了するのはある意味“象徴的”だ。
黄色信号は数年前から灯っていたのに経営者にも社員にも危機感が乏しかった。
少なくとも、外部からはそう見えた。いま求められているのは“謙虚さ”だ。
初心に立ち返って小さなことから立て直していってほしい。

ツイートの最後の部分はなんのことだかわからない人もいると思う。
最近については具体的な例が乏しいのだが、かつて、「小川宏ショー」の終了や
「プロ野球ニュース」の看板司会者だった佐々木信也氏の降板がプロデューサーの
交代から間もなくだったことを指す。決して“偶然の一致”ではないのだ。
付き合いが長かったり相手が番組成功の功労者だったりするとプロデューサーから
「マンネリ化しているから」、「視聴率が低迷しているので」と話すのが難しくなる。
まず、プロデューサーを異動させ「責任者が代わって方針も変わるので…」の方が
“大義名分”として通じやすいのだろう。

報道に異動してスポーツ・コーナーのキャスターを二人とも代えたことがあるし、
「プロ野球ニュース」の解説者にスポーツ担当常務と部長が“契約を更新せず”を
告げる場に同席させられた経験もあるが、“あと味”はとても悪いものだ。
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タモリはトップレベルの大物だから、おそらく、番組制作に関わったことがある
役員クラスから話したと思うが、誰がやるにしてもつらかったはずだ。

鹿内信隆・春雄父子を知っている社員は1割ほどに減っているだろう。
「ひょうきん族」をリアルタイムで見た人の多くは人生の後半を迎えているはずだ。
そして間もなく、現時点で31年続いた「笑っていいとも」があと半年で終わる。
“ハンパない”感慨がある。
by toruiwa2010 | 2013-10-29 08:44 | 放送全般 | Comments(4)
Commented by デルボンバー at 2013-10-29 13:11 x
以前、何かのインタビューで、日枝氏が「先代の鹿内会長時代は恐怖政治だった」と語っていたのを覚えてます。

笑っていいともは、個人的にはようやく終わったか…という感想です。晩年は明らかにタモリもやる気が無かったように見えました。
Commented by toruiwa2010 at 2013-10-29 14:05
デルボンバーさん、こんにちは。

もともと、「脱力司会」ですから
やる気がない…とまでは思いませんが、
モチベーションが下がっていたのは確かでしょうね。

堺雅人が来た時など、時間をたっぷりとった割に
中身が薄くてビックリしましたね。
Commented by ルブラン at 2013-10-29 14:33 x
岩佐さん お疲れ様です よく考えたら春雄さんが30年前にやっていたことと今テレビ朝日の早河社長がやっていることはそんなに違ってないんですよね
Commented by toruiwa2010 at 2013-10-29 14:35
ルブランさん、こんにちは。

春雄さんがやったことはリアルタイムで知っていますが、
早河社長が何をしているのかは知りません。
ですから、同じかどうかも…。ハハハ。
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