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岩佐徹のOFF-MIKE

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自薦・厳選300?江川卓&小林繁 14/07/21

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因縁の二人( 2007.11.21 初出 )

和解の酒バージョン


「どうも、ごぶさたしてます」と頭を下げる江川卓
「何年ぶりかな?」と近寄り右手を差し出す小林繁
江「ごぶさたしてます」
小「何年ぶり?・・・球場では会うんだけどなあ。こうして
話をすることはないんだよね。お互い避けてたんか?」
江「ええ・・・」
小「しんどかったやろなあ」
江「はい」
小「オレもしんどかったけどな・・・二人ともしんどかった」
江「そうですよね」

申し訳ないと言いたいバージョン

「こういう機会があって、まあ小林さんに、申し訳なかったっていうことを
一言言えたらいいなあと」
「分かってるんだよ、感情は。分かってるんだけど、避けて通ってきた
生きかたをしてるから」
<盃を差し出す二人>
「話して(?)いただいて・・・ありがとうございました」
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黄桜のコマーシャルを撮影した夜、江川卓はひさしぶりに、本当の意味で後ろめたさを
感じないでぐっすりと眠れたのではないでしょうか?
二人の間に起きたドラマについてはすでにあちらこちらで語られていますから、ここでは、
「まったく何のことやら?」とおっしゃる方のために、ごく簡単に記しておきます。

高校卒業のドラフトで阪急ブレーブスから指名された江川はそれを拒否して法政に進み、
大学卒業の1977年のドラフトでもクラウンライター・ライオンズの指名を断りました。
どうしても、巨人に入りたかったからです。
“浪人”状態になった彼は、翌年、アメリカの南カリフォルニア大に野球留学しました。
そして、その年のドラフト会議直前に帰国した江川は突然、巨人への入団を発表します。
当時の野球協約に不備があり、彼の関係者がそこをついて巨人との契約を強行したのです。
日本プロ野球史に残る“空白の一日”です。
しかし、野球機構はこの契約を認めず。巨人がボイコットして開かれたドラフト会議で
江川を指名したのは阪神タイガースでした。

激しくもめましたが、すったもんだの挙句に、コミッショナーの“裁定”で、江川は一度
阪神に入団し、トレードの形で巨人に移籍することになりました。その、“いけにえ”に
されたのが小林繁だったのです。
以後、江川卓には“ダーティー”、“ヒール”のレッテルがついて回ることになりました。
小林は少なくとも表向きは恨みがましいことをひと言も言わずに阪神に移り、その年は
22勝をマーク、特に巨人に対しては8勝0敗と負け知らずの結果を残して男を上げました。

そんな因縁の人が28年ぶりに“再会”し、共演したこのCMを見ると、ひとごとながら
「よかったなあ」と思います。
実際には、小林の発言にあるように、球場などで何度も出会っているのです。
それなのに話をするのがほとんど初めてだという事実に驚きます。それほど二人が受けた
“心の傷”は深かったのでしょう。

初めて江川に会ったのは彼が南加大に留学していた1978年でした。
その年から始まった「メジャー・リーグ中継」を終えて帰国する途中、プライベートで
ハワイに立ち寄っていた私に会社から電話がありました。
何が理由だったか思い出せませんが「とにかくロスに戻って江川に接触しておけ」という
“社長命令”でした。

たいした接触はできなかったと記憶しています。
アメリカでは、他人とルーム・シェアをする場合、「ドア・ノブにタオルがかけてあったら、
“彼女”が来ているサインだから入室してはいけない」というルールがあるらしいですが、
彼はこのルールを知らずにドアを開けてしまったことがあるという話を聞いたぐらいです。
ハハハ。
ちなみに、このときのルームメートはのちにヤクルトに入ったクリス・スミスでした。

アメリカでの身元引受人的存在だった日本人商社員の家でも何度か会っています。
食後のリビング・ルームで若いきれいな女性がデザートの果物を配っていたことがあり、
「どなたですか?」と聞くと、「親戚の子ですよ」という答えでした。
あとになって、彼女が江川と結婚した正子さんだったと分かり、そのときのすっとぼけた
顔を思い出して「江川のヤツ…やるもんだ」と思ったものです。ハハハ。

すでに巨人への入団が決まっていたと思うのですが、「仮に、1年目から20勝できそうでも
僕はやりません。日本のプロ野球の年俸制度を見ると、それだとその年はアップしても
そのあとは勝ち星を増やさなければ上がらない仕組みになっているんです。
だから、1年目は15勝、2年目は17,8勝、3年目に20勝と少しずつ勝ち星を増やす方が
いいんです」と、得意顔で話していたものです。

“食えないやつ”と思いましたが、年度別の成績を見ると、連盟からのペナルティーで
デビューが6月になった1年目は9勝、2年目は16勝、そして3年目に20勝!! 
計算どおりにやって見せているのですから脱帽です。
イヤミな男ですが、入団の経緯やこの“計算高い”考え方についての好き嫌いはともかく、
彼が頭の回転がいい男であることは間違いありません。

投手としての力は日本のプロ野球史上でもトップ・クラスだったと思います。
ピンチで主力打者を迎えても、逃げることなく、真正面から勝負する投球は魅力的でした。
入団2年目だったと思いますが、私が担当したヤクルト戦の最後の1球がその日の最速、
152kmをマークしたときは感動をおぼえました。

頭のよさは解説にも良く出ています。
最近、巨人の試合はほとんど見ませんが、自分がアナウンサーを引退したあとしばらくは
彼の解説だと分かると耳を傾けました。実現は不可能でしたが、「組んでみたいなあ」と
思わせる数少ない野球解説者の一人でした。
いつの日か、巨人の監督になるのでしょう。戦力次第ですが、きわめてオーソドックスな
野球をやるいい監督になると確信します。
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“コバ”こと小林は、報知新聞や日本テレビ以外の人間にはなんとなく近寄りにくかった
巨人の選手の中では親しくしてもらった一人です。個人的に食事をしたり、酒を飲んだり
することはありませんでしたが、グラウンドで顔が合えば言葉を交わす間柄でした。
なかなか選手と打ち解けることができないタイプの私には貴重な存在だったのです。

性格はコマーシャルのままと言っていいのではないでしょうか?
見た目だけでなく、中身もなかなか“かっこいい”ヤツでした。
理不尽なトレードをされたときも、言いたいことはたくさんあったに違いないのですが、
いっさい言いませんでした。新庄の“昭和版”でしたね。センスはコバのほうが上だと
思いますが。ハハハ。

現役を引退した後の評論家時代に、人を介して連絡を受けたことがあります。
彼が週刊誌に書いていたコラムの担記者からで、「メジャー・リーグで言われ始めている
“セット・アッパー”について教えてほしい」というものでした。
クローザーにつなぐ、今なら岡島などがやっている役割のピッチャーのことです。
「直接聞けばいいのに水臭いなあ」と思いつつ、電話では間違えて伝わる可能性もあるので、
メモ書きしたものをファックスで送った記憶があります。

阪神時代に少々気になる噂も聞こえてきて心配していましたが、スキャンダルにはならず、
今度のCMで元気そうなところが見られてこんなにうれしいことはありません。

運命にもてあそばれた二人の“和解”・・・当事者ではないもののCMという形ではあっても
話し合う機会が持てて本当によかったと思います。

…だいぶ前に書き終えていましたが、なかなか更新する機会がありませんでした。
19日付の朝日夕刊にリスペクトする西村欣也編集委員の「江川 負い目抱えた29年」という
記事があり、その中に、< 数時間のCM撮影を終えて江川にやっと安堵の表情がもどった。
「いい機会を与えてもらいました」> の記述がありました。

選手時代の二人を知っている者の一人として胸にこみ上げるものさえあります。

“いい奴”だった小林繁は2010年1月17日、
57歳の若さで亡くなりました。コマーシャルの
撮影から2年ほどしかたっていませんでした。

by toruiwa2010 | 2014-07-21 09:19 | 自薦・厳選300? | Comments(0)
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