ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

自薦・厳選300?思い出の甲子園 14/08/23

d0164636_8212419.jpg
甲子園…関西のアナウンサーにとっては特別な場所でしょう。
そこでタイガースや高校野球を実況することは東京キー局の
スポーツ・アナにとっても憧れる場所です。

先日、予告したので今日と明日は甲子園について書いた
記事を更新します。くれぐれも、古いものだということを
忘れないでください。

高校野球の実況 ( 2008.08.12 初出 )


開幕直前に起きた桐生第一高校の不詳事で揺れた今年の甲子園ですが、連日、いかにも
高校生らしいきびきびしたプレーを見せてくれています。
かつては、第1試合からしっかりテレビを見たものですが、最近は、よほど話題の選手が
いないと見ないようになってしまいました。特に、北京オリンピックが始まってからは、
どうにもなりません。熱心に見た最後の選手は松坂大輔だったでしょうか? 
いいえ、“ハンカチ王子”と“マー君”は決勝しか見ていません。ハハハ。

ライト後方から吹きこんでくる浜風、アルプススタンドから届く地鳴りのような応援合戦、
銀屋根にこだまする歓声…甲子園の広い映像を見ると懐かしさがこみ上げます。
1990-91年の高校野球を実況した経験がよみがえるからです。
当時、ハイビジョンはまだ“海のものとも山のものとも”分からない段階でした。しかし、
技術者たちは常に機会をとらえて実験を試みていました。日本で初めての民間衛星放送
(BS)局を目指すWOWOW(そのころは、社名も“日本衛星放送-JSB”でした)にとっても
ハイビジョンの技術習得と進歩の状況を知っておくのは大事なことでしたから、本格的に
放送がスタートする前の準備段階から、大阪朝日放送とのタッグで実験放送に取り組んで
いたのです。

89年は技術スタッフだけが参加していましたが、90年からは「岩佐さんもいることだし、
どうせなら、実況もやらせてもらおうよ」ということになり、私に打診がありました。
甲子園の放送席でしゃべる…アナウンサーになったときからの私の夢のひとつでしたから、
即答でOKしたのはいうまでもありません。

世間ではまだほとんど認知されていなかった“ハイビジョン”の“実験放送”です。
当然、“視聴者”は、ゼロに等しい状態でした。受像機そのものが日本中に数えるほど…
しかも、“映像”はチェックしても“音声”に耳を傾ける人がいたのかどうか?ハハハ。
そんな中での実況でしたが、私は“全力投球”でした。“事情”があったからです。

フジテレビでは1963年の入社から1982年1月までアナウンサーをしていました。
“いろいろ”あって(ハハハ)、報道部に異動し、さらにスポーツ部に移ったあと、1988年
9月からJSBに出向していた私は、うかつなことに、初め、そこがいずれ放送を始める
会社だとは知りませんでした。しかし、90年に衛星を打ち上げ、91年から放送を開始する
と聞いて、「それなら、もう一度マイクの前に戻れる」と考え始めていました。

そのためには、“たとえ誰も見ていなくても”、一緒に仕事をしている同僚たちに、能力を
しっかりと見せておきたかったのです。“手抜き”など考えられませんでした。ハハハ。

芦屋の母のマンションを“ベースキャンプ”にして、甲子園に通いました。
蒸し風呂のようなスタンド下の通路で、入場を待つ、あるいは試合を終えた球児の話に
耳を傾けたものです。甲子園の常連だったニキビだらけの松井秀喜(星稜高校)は
報道陣の人気者でした。話が面白かったからです。メモを書き込むノートに自分の汗が
ぼたぼた落ちて字がにじんだあの日々が懐かしく思い出されます。
d0164636_822171.jpg
準決勝まで毎日、1試合ずつ担当しました。
実験放送ですから解説者はいません。“一人実況”です。「そんなの経験がないしなあ」と
いささか心配でしたが、“案ずるより産むがやすし”で、いざやってみると、自分で自由に
話を組み立てて、思うようにしゃべれるのは快感でした。
ほかの試合は朝日放送のアナウンサーが担当するのですが、彼らにとってはあきらかに
“余計な”仕事です。実に“気楽に”しゃべっていました。同じ立場に立たされたら、
私もそうしたでしょう。しかし、“事情”がありますから、私は“目一杯”の仕事です。
「うちの連中にも見習ってほしいものだ」と慰労会で編成部の幹部にほめられましたが、
ABCの“同業者”たちには悪いことをしました。ハハハ。

真夏の甲子園は、じっとしていても汗がふきだすほどの暑さですが、この“ふた夏”は、
その“暑さ”さえ心地よかったことを覚えています。

苦い失敗もありました。
記者の輪の中に入って話を聞いているうちに、ついうっかり“フォローの”質問をして
しまったのです。
高校野球には独特の“不文律”があって、その時間帯は東京から来た“よそ者”が勝手に
質問してはいけなかったようで、当時、関西では売り出し中だった(らしい)若手のアナに、
思いっきり“ガン見”されちまいました。ハハハ。
はい、ルールはルールですから守らなければいけないのは、もちろんのことです。

宿舎にも行って監督の話を聞きました。後味の悪い思い出があります。
どちらの年だったか覚えていませんが、ある東海地方の名門校の試合を担当することに
なりました。電話で、インタビューのお願いをすると、「それじゃ、練習が終わったころ
宿舎にきてくれ」と言われ、甲子園からはだいぶ離れた旅館に出かけていきました。
しかし…。ロビーで初対面の挨拶をしたときから監督の機嫌が思わしくありません。

いきなり「このあと ミーティングも予定しているので早く済ませてもらえますかね?」と
出鼻をくじかれ、困ったなあと思っていると、追いかけて「できれば5分ぐらいで…」と
言われてしまいました。
“カチン”ときました。こちらは取材を“させてもらう”立場ですし、相手にしてみれば、
次から次に同じ質問に答えなければならないのは、うんざりだと思うのも分かります。
しかし、“遠いところ”をやってきたのはこちらの勝手にしても、「土壇場になってそれは
ないだろう」と言いたい気分でした。ハハハ。

監督の態度には、答えるのも面倒という空気がはっきりしていましたので、「5分では、
うかがいたいことがうかがえません。“中途半端”は監督もお望みではないでしょうから、
いっそ、やめにしましょう」と言って、取材を断念しました。できるだけ、“やわらかく”
話したつもりですが、“私の方も、決して愉快ではありませんよ”というメッセージは、
たぶん、伝わったと思います。
きちんと筋を通しました。一度は受けた取材をその場になって“実質的に拒否”するのは、
アマチュアでも“マナー違反”だと腹が立っていました。

ただし、ことの経緯はどうあれ、試合を翌日に控えた監督さんが相手でしたから、取材を
取りやめるにしても、余計な“メッセージ”は伝わらないような言い方をすべきだったと
今になって後悔しています。
いつも、気づくのが遅いのです。反省しないよりいいでしょうが。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2014-08-23 08:23 | 自薦・厳選300? | Comments(3)
Commented by 背番号6 at 2014-08-23 10:16 x
はじめまして 岩佐様
とても面白いブログですね
私も、ん十年前高校球児でした
某監督の気持ち岩佐さんの気持ちがわかる年になりました。
私も選手時代ひとつのプレーで同じ質問を何度もされ忘れたいのに嫌な思いをしました
当時は旅館の大部屋生活でプライベートもなく自己管理も出来ず何で甲子園に来てこんなに辛い思いをしなければならないのか?
大会後には全国模試が控えていましたし
でもそんな時某女性記者の方が野球意外に受験勉強の話を雑談しどんな参考書がいいか教え頂きました 笑
負けて帰る時ボロボロの参考書を旅館まで持って来て頂きお互い笑転げました
負けた悔しさが吹き飛びました
記者の方は嫌な質問が仕事で必死だったけど
その中で選手一人ひとり良く見て
逆に話掛けるのが辛かったのは記者の方なんですよね
参考書の裏に 頑張って!PEACE と書いてあり涙した思い出があります
選手もマスコミの方、大会関係者全てが甲子園で戦っていたんですよね
今でも参考書は宝物です
誤字脱字、長文につき失礼
Commented by toruiwa2010 at 2014-08-23 10:25
背番号6さん、こんにちは。

ショートのレギュラーだったわけですね。
負けた選手に話を聞くのはつらいものです。
昔は、敗者はそっとしておく…がきほんでしたが、
今は、プロが増えたので、負けた方もメディアから
指名があれば、受けなくてはいけなくなっている
競技が多いですね。
Commented by 背番号6 at 2014-08-23 10:52 x
わ〜早々にコメント有り難うございます
感謝
案外勝者より敗者のコメントを聞きたい自分がいます。笑
残酷だけど
報道って大変ですね
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。