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岩佐徹のOFF-MIKE

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村上春樹落選~翻訳文学のむつかしさ…~14/10/14

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10/09のツイート

ノーベル文学賞はフランス人作家に!! 
ハルキスト、残念。
今年こそ、今年こそと騒ぎすぎじゃないのかなあ。


村上春樹について…正確には「1Q84」を読んだ印象について書きたいことは書き切ったと
思っているので、「もう書かない」と決めていたはずですが、この時期になるとどうしても
何かひとこと 言いたい気持ちを抑えられません。“厄介な性格”であることも認めますが、
毎年、受賞者発表をはさむ数日間、テレビや新聞が“大騒ぎ”するからいけないのです。
断固、私は悪くありませんっ!ハハハ。
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メディアが騒ぐのは、特にテレビ的には“おいしい”からでしょう。熱狂的なファンが
カフェに集まり、発表のタイミングに合わせてカウントダウンし、ハルキ・ムラカミの
名前が告げられなかった瞬間、揃ってガックリ肩を落とす…など、映像的に面白いのです。
本屋だって、必ず話題になるのは有難いことだと思います。♪もしかしてだけど…、いや、
うがった見方をすれば、受賞しないで今の状態が続くことを願っているかも。ハハハ。

「1Q84」が村上文学のすべてではないでしょうが、悲しいかな、それしか読んでいません。
いったい何を言いたいのか理解できなかったし、面白いと思わなかったので文学として
評価しませんが、「分かる」と主張し、喝采する人たちがいるのも事実です。だからこそ、
新作が発売されるたびに他を圧倒する勢いで売れるのでしょう。
多くの人が称賛する比喩についても書きたいことはたくさんありますが、たしか、去年も
書いたので、来年にでも。ハハハ。

前にも書いていますが、今日 書きたいのは、文学における翻訳の難しさです。
日本人が読む日本語で書かれた村上作品と、外国人が読むそれぞれの国の言語に
翻訳されたものはまったく別物だと思います。
審査員が受賞者・候補者の作品を何語で読むのか知りませんが、何語にせよ、他国の
言葉に訳されたものがノーベル賞の対象になることには以前から疑問を持っています。
村上春樹が描きたい世界を外国人が英語などに置き換えて表現できるはずがありません。
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たとえば、日本語では実にさまざまな言い方がある“色”を考えれば分かります。
緋色、茜色、朱色、丹色(にいろ)、くれない、朱鷺色、べんがら色、サンゴ色、あずき色…
赤だけでも何十種類もの言葉があって、作家がその中からどれかを選んで使うときには
それぞれの“思い”があります。歴史的、文化的な背景もあります。外国人の審査員に
そのニュアンスが理解できますか?

「吾輩は猫である」は決して「I am a cat」じゃないと思いますよ。ハハハ。
「木曽路はすべて山の中である」…どんな英語にすれば作家の心が伝わりますか?

文学の価値を判断するとき、物語だけでなくそこに込められた作家の思想や精神が
評価の対象でしょう。そのとき、日本人が読む原作と外国人が読む翻訳されたものとでは、
尺貫法とヤード・ポンド法ほどの違いがあると思います。ハハハ。
“翻訳”が原作の単語一つずつを外国の言語に置き換えていくだけで成り立つのなら
問題はありませんが、そうではないでしょう。

村上は、日本人として生まれ育った人生を基盤にして物語をつむぎ、言葉を選びぬき、
哲学や思想を作品に織り込んでいきますが、外国人である翻訳者がどんなに頑張っても
“村上春樹”にはなれません。自分が持っている日本語の知識を駆使して置き換える
言葉を選ぶしかありません。そこには翻訳者の考え方や人生が必ず反映されるはずです。
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たとえば…です。
2年前に“英語版”「1Q84」を100ページほど読んだことがあります。
作家志望の天吾に雑誌の編集者・小松がこう言う場面があります。
「俺が望んでいるのは、文壇をコケにすることだよ」

読むのが日本人なら、“文壇”には周辺情報がたくさんついて来ます。
文学の世界で一定のグループを指す言葉だし、“ムラ”的なニュアンスも感じます。
ステータスやテリトリーといった意味合いも含んでいるでしょう。

こう訳されていました。

I’d be doing it to screw the literary world.

うーん、どうなんでしょうね。literary worldで、日本社会の中で“文壇”が占めている
ポジションが伝わるでしょうか。じゃあ、どう訳せばいいの?と聞かれても困りますが。
ハハハ。

村上自身も十分に納得したとは思いません。
その証拠のように、数行後には同じ言葉を“ ”でくくっています。原作は文壇のままです。
英語版で“literary world”としたのは、実は、この言葉、日本では独特のニュアンスを
持っているんですということを伝えたいからです。
作家が母国語で書いたものと他人が自分の国の言葉に置き換えたものでは大きな違いが
生まれます。両者が生まれ育った環境や個人のキャリアが違うから当然です。

同じ芸術でも、音楽や絵画・彫刻は作品自体が共通言語ですから誰もが同じものさしで
価値を判断できますが、文学は違います。翻訳した瞬間に“別物”になるのです。
極論すれば、いつか、村上春樹がノーベル賞を受けることがあったら、それは翻訳者に
贈られるべき性質のものだと思います。キリっ!ハハハ。

過去の受賞者を見れば、英語圏以外の国籍の作家はたくさんいますから、言語の違いなど
まったく問題にしていないことは分かっていますが、翻訳された作品を通してその価値が
判断されることに私は納得しません。特にアジア系の作家が正当にジャッジされたとは
思えません。つまり、私は川端康成や大江健三郎の受賞にも首をかしげているのです。
大胆不敵。ハハハ。


以上は、"ノーベル文学賞"についての感想です。
ついでに、2年前に書いた村上文学についての疑問のごく一部を再録しておきます。

「世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶と
その反対側の記憶との果てしない戦いなんだよ」
「たしかに」と青豆は言った。


…文化人類学者や哲学者ではなく、“普通の”20歳代半ばの女性二人が交わした会話だ。
すげー!小説だから、と言ってしまえばそれまでだが、尊敬しちゃうねえ。ハハハ。
BOOK1の501ページに、編集者が天吾に向かって「ホットケーキみたいに作るそばから
どんどん売れている」と電話で話す場面がある。哀れな私の頭は“混乱”する。
“花畑牧場の生キャラメルみたいに、作るそばから…”ならまだ分かる。しかし、この
書き方だとホットケーキ”とは“作るそばから売れる”もの、ということになり、それは、
おかしな“決め付け”だ。それともなにか、1984年当時にはホットケーキが“爆発的に”
売れていたんだろうか。まさかね。ハハハ。 

読みはじめたばかりのBOOK2にも、いきなりこんな記述が出てくる。

百合は大きく、瞑想にふける異国の小さな動物のようにもったりしていた。
唇には色がなく、長い眉の外端は、まるで万有引力に抗することを
あきらめたかのように、わずかに下に降りていた。


相変わらず…。ハハハ。
こういう描写が、ものすごく気になるのだ。

ささやかではあるが、不特定多数の方の目に留まるブログで ノーベル賞を獲ろうかという
世界レベルの作家の作品に“いちゃもん”をつけ、文章にまで“ダメ出し”をするのは
それなりの“勇気”が要ることだから かなりためらったが、腹にたまったものをそのまま
しまっておける性格ではないものだから、筆の赴くままに書いてしまった。ハハハ。

ノーベル文学賞でいつも疑問に思っているのは“翻訳文学”というものの意義・存在だ。
村上作品は世界40数カ国の言葉で発刊されていると聞く。それは素晴らしいことだ。
しかし、論文や記事なら事実関係こそが大事な要素だから、違う国の言語に訳されても
問題はないだろう。しかし、多くの場合、登場人物人の心の中、感情のひだが重要になる
文学の場合、どうなんだろう、と思う。

…一部、今回書いたこととダブります。
それはつまり“ブレていない”のだと受け取ってください。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2014-10-14 09:03 | 岩佐徹的考察 | Comments(2)
Commented by てとら at 2014-10-15 03:18 x
はじめまして。村上春樹はノミネート回数のギネス記録でも作ればいいんだ、と思います(あるのか知りませんが)。
海辺のカフカまではそれなりに読んでいたのですが、それ以降読まなくなってしまいました。なぜかあまりわかりませんが。
でもここで読ませてもらったホットケーキの比喩は私は好きですね。実際に飛ぶように売れるわけはありませんが、ホットケーキが飛ぶように売れてる様を想像するのは楽しいので。

翻訳については仰るとおりと思います。そもそも母国語で書かれたものだって評価は十人十色なのですから、客観的に「正しい」評価など、あるレベルを越えるとあり得ないのかもしれません。ノーベル文学賞って、読んだことないどころか聞いたこともない作家の存在を世界中に教えてくれるところに意義があると個人的には思います。その意味でも、村上春樹はもう別にとらなくて良いんじゃないかと思います。
Commented by toruiwa2010 at 2014-10-15 06:33
てとらサン、おはようございます。

ノミネート回数のギネス…面白い発想ですね。
村上は、芥川賞はとってないんですよね。
国内では認められたいないというわけじゃ
ないでしょうに。

ちなみに、ノーベル文学賞の選考委員には
フランス語が堪能な人が多いとか。
そして、フジサンケイグループの世界文化賞には
文学賞がありませんね。
いろいろ考えさせられます。ハハハ。
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