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岩佐徹のOFF-MIKE

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記憶の中のタイガース~六甲おろし&紺碧の空~14/10/27

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日本シリーズがたけなわです。
1勝1敗はホークス、タイガースそれぞれのファンにとっては“ハラハラもの”でしょうが、
野球ファンには理想的な展開です。タイガースの“下剋上”での進出は新鮮ですね。
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思い出すのは、1985年11月3日です。阪神ファンなら、どういう日か分かるはずです。
21年ぶりでリーグ優勝したこの年、日本シリーズでも4勝2敗で西武に勝って、球団史上
初めて日本一になったのが前日だからです。
私は「プロ野球ニュース」の“カモと苦手”というコーナーの取材で豊田康光さんと一緒に
大阪にいました。ダイブする若者が相次ぎ、KFCのシンボル、カーネルおじさんの人形が
投げ込まれた道頓堀川をはじめ、いたるところに“前夜”の名残がありましたが、この日、
夜の街は妙に静かだったことを覚えています。「昨日の今日ですさかい、みんな、疲れて
はんねん」とママは笑っていました。ハハハ。

巨人をライバルとし、いいメンバーをそろえても“優勝”の二文字にはなかなか届かない
阪神はいつも気になる球団です。この記事を書く気になったのは、何気なく、旧ブログの
記事を読んでいて、書き込み欄に懐かしい名前があったからです。
吉田義男、小山正明、村山実…阪神ファンでなくたって、この名前を聞けば、いろいろな
ことが思い出されます。
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コンビを組んだことがあるのは“よっさん”こと、吉田さんです。
日本野球史に残る名ショートでした。守備範囲の広さ、小柄な体にもかかわらず強い肩で
三遊間の深いところから打者走者をアウトにする見事な送球に何度もうならされました。
走・攻・守を考えたら、私にとっての“ベスト”は文句なしに吉田さんです。
立命館大学時代から、移動の車の中でもボールをグラブにたたきつけ、すぐに取り出して
送球動作に移る練習を常にやっていたと聞きました。それが、後にボールをつかんでから
スローイングまでの、誰にも負けない速さにつながっていました。

打つほうも“なかなか”でした。
2本のバットを頭上で振り回しながら打席に向かうのがトレード・マークで、コンパクトな
スウイングから右に左に打ち分ける、相手にとってはいやなタイプのバッターでした。
特に、400勝投手・金田正一に対する強さで知られていました。打率そのものがどれぐらい
だったか、今となっては調べようもありませんが、とにかく、あの大投手が足元を鋭く
抜かれて悔しがるのを何度となく見て私たちも溜飲を下げたものです。ハハハ。

普通の意味での“いい人”ではありません。“曲者”という言葉がぴったりのお人です。
解説のときも普段の会話でも、やわらかい関西弁で話す言葉の中にかなり辛らつなものが
含まれています。“関西人”として“関東”への対抗心は相当なものがあることがはっきり
うかがえました。“一筋縄ではいかない”…それこそが吉田義男の真骨頂なのです。
解説をしていた第一戦でも、辛辣なことを言ったあとの含み笑いがいかにも京都人ぽくて
笑ってしまいました。三つ子の魂 百まで…。ハハハ。
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小山正明も、“ド”がつくほど懐かしい名前です。
柔らかでどこにも力が入っていないようなフォームと機械のように正確なコントロールの
持ち主でした。
先輩から「インタビューしたときに“コントロールはどこでつけるのか?”と聞いたら、
“腰でつけている”という答えだった」と聞いたとき、「プロの“極意”は奥が深いな」と
感じ入ったことを思い出します。

小山といえば村山実です。ハハハ。
小山と対照的に、“ザトペック投法”と呼ばれたダイナミックなフォームで、どんなときも
全力投球でした。区切りになる三振は“王か長島から取る”と決め、残りが少なくなると
見事に“調整”してその思いを遂げていました。後輩・江夏豊も見習っていました。

二人のチーム内での激しいライバル争いは球史に残るものでした。
1962年、阪神は15年ぶりでリーグ優勝を果たしましたが、二人の成績を見ると…

小山 27勝11敗  352 1/3回 防御率 1.66(2位)
村山 25勝14敗  366 1/3回 防御率 1.20(1位)


どちらにMVPにふさわしい、まさに甲乙つけがたい成績です。
投票の結果、MVPに選出されたのは村山実でした。しかも、日本シリーズが始まる前に
発表されたのです!! “遺恨”はオーバーでしょうが、選ばれなかった小山の心中は
察するに余りありました。
フライヤーズとの日本シリーズでは両エースともに本来の力が発揮できずに敗れましたが、
MVP争いが少なからず影響したことは否定できなかったと思います。
まだ学生だった私も、“残酷な出来事”としてこのことを記憶しています。
そして、同じようなことが2度と起きないように、翌年から表彰選手の発表はシリーズの
あとに行われるようになったのです。
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阪神の選手として、この3人以上に印象に残っている選手を挙げておきます。
サードの三宅秀史です。
「日本プロ野球史上最高のサードは?」と聞かれれば、大多数の人が、ためらうことなく
長嶋茂雄の名前を挙げるでしょう。しかし、私は、守備だけなら、三宅のほうがはるかに
上だったと思います。
学生のころから“見せる”ことを意識していた長嶋の守備は確かに魅力的でした。
しかし、ファイン・プレーをファイン・プレーに見せず、それでいて十分に華やかだった
三宅のフィールディングはそれ以上に“シビレル”ものがありました。
残念なことに、試合前のキャッチボールで小山が投げたボールを目に受けたことが原因で
早めにキャリアが終わってしまいました。彼の守備をもっと楽しみたかったのに。

六甲おろしに颯爽(さっそう)と
蒼天(そうてん)翔ける日輪の
青春の覇気麗しく
輝く我が名ぞ阪神タイガース
オウ オウ オウオウ
阪神タイガース フレ フレフレフレ
(「六甲おろし」:作詞 佐藤惣之助)


特に阪神ファンではありませんが、この応援歌は歌えます。
ただし、正直に書くと、果たして本当に歌えるかどうかをためしてみたとき、途中から、
早稲田大学の応援歌、「紺碧の空」と入れ替わってしまいました。ハハハ。
改めて、歌詞を検索してみると、作曲者のところに古関裕而の名前がありました。
「もしかして?」と思いました。

そうです。これも検索した結果、「紺碧の空」の作曲も古関裕而であることが分かりました。
同一作曲家の作品ですから、似ているのも無理はありません。

紺碧の空 仰ぐ日輪
光輝あまねき 伝統のもと
すぐりし精鋭 斗志は燃えて
理想の王座を占むる者 われ等
早稲田 早稲田
覇者 覇者 早稲田
(「紺碧の空」:作詞 住治男)


そこの、早稲田出身でタイガース・ファンのあなた、ためしに、「六甲おろし」の2行目の
あとに「紺碧の空」の3行目以下を歌ってみてください。
私と同じ経験をするはずです。

ま、そんなことはどうでもいいのです。ハハハ。
日本プロ野球には12球団ありますが、阪神ファンは断然ほかと違いますね。
文化人と呼ばれる人から横丁のおっさんまで、タイガースのこととなると、誰もが横一線、
同じレベルで“アホ”になれる…負けることも楽しんでしまうファンたちには、めったに
お目にかかれるものではないでしょう。

1勝1敗で舞台を福岡に移した日本シリーズ…どちらが勝っても私的には問題ないのですが、
もう一度甲子園に戻って29年前の優勝監督、吉田さんの解説で阪神優勝の場面を見るのは
ドラマもあっていいかもしれないと思っています。
いやいやいや、泣きゃしませんて、あのおっさん。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2014-10-27 09:04 | メジャー&野球全般 | Comments(2)
Commented by ひろ☆はっぴ at 2014-10-27 19:05 x
読売ジャイアンツの応援歌、通称「野球の王者」と現在(3代目)の通称「闘魂こめて」は古関裕而が作曲を手がけた。「野球の王者」は作詞も本曲と同じ佐藤惣之助である…と、ウィキペディアに書いてありました。あの当時のヒットメーカーだったんですね。現代ならどれもこれも秋元康が作詞したみたいなことなんでしょうか。

ムッシュ吉田は相変わらずお元気でいらっしゃいます。第1戦の放送席に阿部慎之助は要りませんでしたね。本人も居づらかったでしょうね。
Commented by toruiwa2010 at 2014-10-27 19:15
ひろ☆はっぴサン、こんばんは。

古関裕而浜さにヒットメーカーでした。
ご存じかもしれませんが、NHKのスポーツ中継の
テーマも彼の作曲です。

阿部慎之助は不要ではなく、使い方、話の引き出し方が
下手だっただけでしょう。
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