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岩佐徹のOFF-MIKE

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自薦・厳選300?芦屋に一時転居14/11/22

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拠点を移しました ( 2009.05.12 初出 )

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突然ですが、別居することになりました。
いいえ、妻ともめているわけじゃありません。これには事情があるのです。

東京で中学2年までを過ごしたあと、父親の仕事の都合で関西に移ったのは1953年です。
翌年、府立春日丘高校に進みましたが、本格的に始めたバスケットボールの激しい練習に
身体がついていけず、肋膜炎で1年、結核で1年を棒に振り、1957年の春、3年がかりで
高校1年の課程を修了しました。
経験しないと分からないでしょうが、その年齢で2歳違うと話がまったくかみ合わず、
話し合える友達のいない“孤立状態”で高校生活を送っていました。
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久しぶりに上京して中学時代の友人たちに会ったのは、なんとか自分をなだめすかして
高校2年の1学期を終えたあとの、1957年・夏のことです。4年半ぶりでした。
私たちが通った明星学園は井の頭公園のそばにある私学で、制服のない、自由な雰囲気で
学べることが大きな魅力でした。そんな校風のせいか、年齢にくらべ、妙に“大人びた”
考え方の生徒が多く集まります。
旧交を温めているうちに、私の頭に、ある“アイディア”が生まれました。
「明星に戻ったら、明るい気持ちになれるのではないか?」

父に“思いのたけ”をつづった長い手紙を送りました。初めてのことです。
すぐに返事はくれませんでした。帰宅から数日後、OKが出たときの喜びはたとえようが
ありません。たまっていた“ストレス”が一度に解消するのが分かりました。

新聞記者だった父の給料は、もともと、そう多くはなかったはずですし、部下をつれて
飲み歩くのが好きな人でしたから、“仕送り”は無理だったのでしょう。
東京での生活費を負担してくれたのが父ではなく、中小企業で働いていた、一人暮らしの
長兄だったと知ったのは相当あとになってからでした。“世間知らず”もいいところです。

大学1年の秋、ふたたび東京に職を得た父が戻ったため、兄が私の面倒を見てくれたのは
1年半ぐらいだったと思います。
期間(金額)の問題ではありません。常に節約を心がけ、ぜいたくなことを一切しない兄が
少ない給料の中から出してくれた金は何物にも代えがたいものがあります。
慶応に進み、アナウンサーになり、普通の人が味わえない、この仕事ならではの喜びを
味わうことが出来たのも兄のおかげです。
その有難さを本当に感じるようになったのは、恥ずかしながら50代になってからだった
でしょうか。遅すぎて申し訳ない話です。

私との年齢差は14…現時点では15歳の差があります。
3月で85歳になった兄は、2003年に亡くなった母のお骨を預かり、芦屋のマンションで
一人暮らしを続けています。
母の死後は、年に数回、京都方面に旅行をするたびに芦屋まで足を伸ばして一緒に食事を
していますが、足腰もしっかりして、いたって元気です。
しかし、視力がとても悪く、テレビも画面に顔を近づけないと見えない状態です。
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2月、京都へ出かける2日前に電話をしたところ、何度かけても出ませんでした。
ジンガロ公演を見に行った日で、家を出る前にもかけましたが、応答がありません。
気が気ではありませんでしたが、帰宅後、すぐにかけると元気な声が返ってきました。
心の底からほっとしましたが、“間もなく(その時点で)85歳”という現実がズシンと
胸に響いてきました。いつ何が起きてもおかしくない年齢です。

いろいろ考えました。
妻と相談し、兄とも話をした結果、この連休中に、とりあえず私が芦屋に移って、兄との
同居を始めました。日に何度も散歩に出かけるなど元気ですが、私がそばにいることで、
何があってもすぐ対応できますから“安心感”があります。
面倒を見てもらったあの日からおよそ半世紀がたちました。本当に“遅すぎる”のですが、
今の私に出来るせめてもの“恩返し”です。

そんなわけで、生活の拠点が関西に移ったということです。
東京にはちょくちょく帰ることになると思いますが。

まだ“試行錯誤”中で落ち着きません。
このままうまく続けていけるのか? 私が来たことで兄の気がゆるんでしまわないか?
一人暮らしに慣れていた兄にストレスがたまらないか? 
心配のタネはつきません。ハハハ。

芦屋での生活については、いずれリポートします。


引越しの記 ( 2009.05.13 初出 )

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「妻と“もめている”わけではない」と書きました。
それどころか、完璧な準備をしてくれたのはほかならぬ妻です。
“せっかち”な妻は、4月に入ったころからチョコチョコと動き始めました。
45年の結婚生活で8回 引越しをしていますが、そのすべてを取り仕切ったのは妻でした。
私は忙しかったし、仮に忙しくなくてもたぶん役に立たなかったでしょう。ハハハ。

あらゆることを想定して準備をしてくれました。
最後に、私が使っていた引き出しの中身を入れるダンボールが閉じられたとき、その数は
7個でした。WOWOW時代の海外出張で使っていた大きなスーツケースが加わります。
とりあえず様子を見るだけでも、“生活をする”となれば最低限必要なものはあるものです。
その理由は、おいおい“解説”しますが。ハハハ。
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引っ越しは5月1日でした。
起床のあとベッドを解体し、コンピューター関係の機器をばらして、業者を待ちました。
9時半に到着した業者のやっていることを見ていると、なかなか面白いですね。
ペンキ屋さんの作業でも感じたことがありますが、「あれ、そこまで塗ったんだったら、
そのまま続きを塗っていけばいいのに…」と思うのに、まるで関係ないところに移って
新しい部分を塗り始めたりします。引越し屋さんも同じことをします。「あれを積んだから
今度はこれだろう」と思っていると予想外のものを運び出したりするのです。ハハハ。
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荷物の数を考えて、30-40分ですむと思いましたが、“素人の浅はかさ”…。
形が違ういくつかの荷物を、ため息が出るほどすっきりした形に収め、車が出発したのは
1時間半後の11時でした。
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タイミングよく出来あがった、私の大好きな“スパゲッティー・スペチアーレ 岩佐風”で
“最後の昼餐”です。

感傷にひたる間もなく家を出ました。
荷物か芦屋に着くのは翌日ですからこの日は京都に泊まることにしました。
この日の朝、ネットを見ているとつつじがちょうど見ごろのようだったので、ホテルから
近いところに見に行こうと思ったのと、翌日“あるもの”を買うためです。
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少しかすんでいたものの、きれいな富士山が見送ってくれました。
新幹線の車中では妻が時間をかけてつくってくれた“自立ノート”を開いて、いくつかの
“簡単レシピ”のおさらいです。ハハハ。

3時にチェックインし、すぐにホテルを出て智積院に向かいました。
お寺さんの場合、4時ごろまでに入ったほうがいいと聞いていたからです。
「その先を曲がって…」と親切に説明しめた運転手さんの声を聞き流して、拝観入り口に
向かいます。何度も訪れていますから、我が家同然です。ハハハ。
まっしぐらに本堂の庭園を目指しました。
…圧倒されるほどのつつじを想像していましたが、咲いていたのはほんの数株です。
しかし、この庭を見ていると気持ちが落ち着きます。
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「つつじには少し早かったのか」と思いながら帰りに拝観券を売っているおばちゃんに
「見ごろは何日ぐらいですか?」と聞いてみました。答えを聞いてびっくりでした。
「いえ、あれで満開なんですよ。たくさんの緑の中に咲くつつじの風情がいいのです」…。
ああ、なるほど。ハハハ。

続いて、東福寺の塔頭である光明院に駆け込みました。
ここは、時間制限はないようです。
受付はなく、訪れた人々は玄関に立てかけてある大きな竹の筒にそれぞれの“気持ち”を
入れるようになっています。
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先客は二組しかいません。静けさの中で贅沢な時間を過ごしました。そして、これからの
生活に思いをはせることも出来、朝からばたばたしたあとの気持ちが落ち着きました。
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翌朝は7時半にホテルを出て蹴上(けあげ)の浄水場に行きました。
運のいいことに、前日から“公開”が始まっていました。きっと混むだろうからと早めに
出発したのですが、一番乗りです。もっとも、着いたのが8時15分で開場は9時ですから
そんなに早く行くほうがおかしいのでしょう。ハハハ。
本でも読んでいればいいやと思ったのですが、早めに受け持ちポジションについた警備の
おじさんが話し相手になってくれたので、待っている時間をそれほど長くは感じなくて
すみました。
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「2日ほど早い」という話でしたが、それでも見事なつつじです。
“時間制限”があるために、大急ぎでてっぺんまで行き、ゆっくり降りていきました。
黄色いつつじがきれいでした。“れんげつつじ”というそうです。
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30分で会場をあとにしました! 警備のおじさんも目を丸くしていました。ハハハ。
ホテルに戻り、チェックアウトして伊勢丹の入り口に並んだのが9時55分…予定通りです。
京都に宿泊した目的のひとつは“はつだの和牛弁当”を買うことでした。
兄に食べさせたいと思ったのです。
わたしは“大食い”ではありませんし、普段の食事の感じから、兄も食べる量は少ないと
判断して、お昼だし、半分に分けて食べればちょうどいいだろうと考えました。

食べるのは“超ゆっくり”ですが、量は私などより多いことが分かりました。
「ちょっと足りない」とテーブルから立ち上がった兄はおもむろにキッチンに行くと
“サトウのごはん”を取り出して“チン”していました。面目なし。ハハハ。

2時過ぎに荷物が届き、運び込みもスムーズに終了。すぐ、“荷ほどき”にかかりました。
当座、1週間分ぐらいの食品や調味料なども入っていて仕分けが大変です。
包丁はボール紙にくるまれていました。
それはいいけど、“バンドエイド付き”とはどういうこっちゃ。ハハハ。

こうして、“芦屋生活”はスタートしました。“手探り”状態です。
まだ何も見えてきませんが、“なんくるないさー”精神でやっていきます。
皆さんからいただく温かい激励のコメント、身に沁みてありがたいです。
by toruiwa2010 | 2014-11-22 07:03 | 自薦・厳選300? | Comments(2)
Commented by リエコ at 2014-11-23 01:21 x
バンドエイド付きの包丁は良かったですね。無言のプレッシャーかもしれませんね、ハハハ。
以前は香櫨園に住んでいたので芦屋はたまに自転車でプラプラしていました。
これから寒くなりますので、ご兄弟共々お身体ご自愛くださいませ。
Commented by toruiwa2010 at 2014-11-23 06:59
リエコサン、おはようございます。

香櫨園…いいところですね。
長兄にはつい先日も会いましたが、
この寒さも問題ないと、元気でした。
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