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岩佐徹のOFF-MIKE

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お元気でなにより~懐かしの早野宏史さん~14/12/08

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先週末、井の頭線・神泉駅近くのスペイン料理店で楽しい時間を過ごしました。
11月初めに生島淳さんから「3人でメシでもどうですか?」と電話をもらったときから
超楽しみにしていました。“3人目”がサッカー解説の早野宏史さんだったからです。
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早野さんがWOWOWのサッカー解説陣に加わったのは1993年でした。
加茂周さんが推薦したぐらいですから理論がしっかりしている上にスキあらばギャグや
ダジャレが入るのですから、ファンの間で人気があるのもよく分かります。
ささやかな自慢は1993年のナビスコ・カップで彼が初めて“本格的な解説”をしたとき
コンビを組んだのが私だったことです。

当時、チーム名がJリーグ仕様に変わりつつあるときだったので“悲劇”が起きました。
“ベルディ”の試合でしたが、どうしても“読売”が出てしまいます。早野さんの脳は
切り替えの真っ最中でしたから、しみこんだライバル・チームの古い呼び方がうっかり
飛び出しても責めることはできません。ところが…。

生ではなく、ビデオを見ながらスタジオで収録したのですが、彼が“読売”と言うたびに
ディレクターはテープを止め、少し戻ったところからやり直すのです!
委託された外部のディレクターはWOWOWのプロデューサーから「絶対に“読売”と
言わせるな」ときつく命じられていたようです。
どんなに気をつけても、5分間隔ぐらいで“読売”が出るたびに収録が止まりました。
早野さんは恐縮するし、私は実況のリズムが作れず、往生しました。

しかし、すばらしい話術を持っていた早野さんは経験を積むにつれて真価を発揮し始め、
WOWOWの貴重な戦力になっていきました。
セリエやチャンピオンズ・リーグで海外へもたびたび一緒に出掛けました。
しゃべる量が少ない、逆に話し出すとやたら長い、こちらの質問の意味を理解できない、
サッカー以外のことに興味がない…アナウンサーにとって苦手な解説者にはいろいろな
タイプがありますが、早野さんにはその心配が一切ありませんでした。

むしろ、コンビを組むのが楽しみでした。
ヒロシ&トオルでしたから2CHに“ビーバップ・コンビ”と書き込まれたりしました。
「ビー・バップ・ハイスクール」を知らない私が意味を理解するのに時間を要しましたが。
ハハハ。

ただ、お相手をするときは“緊張”したものです。
ピッチの選手やボールの動きに集中する一方、予告なしに“放りこまれる”ダジャレにも
注意を払わなければなりません。気づかないでスルーしてしまうと視聴者やスタッフに
あとで容赦なく突っ込まれるので気が気ではありませんでした。
苦しい思いをしただけに、放送中にリベンジを果たしたのはいい思い出です。

2002年11月27日、チャンピオンズ・リーグのローマvsアーセナルのときです。
解説が早野さんだと分かって、少し前から「チャンスがあったらいつか」と用意していた
“カード”を今日こそ使おうと秘かに決意しました。
銀座・伊東屋で黄色いカードを買い、裏が白なので2枚を張り合わせて上着のポケットに
忍ばせてスタジオに入りました。うまくてもヘタでも、駄洒落が出たら、ハーフタイムか
試合後のスタジオで提示しようと考えたのです。ハハハ。

…前半は何も出ませんでした。“シュート”・ゼロです。ハハハ。
しかし、後半18分、ついにその瞬間がやってきました。
アーセナルのミスからトッティがこぼれ球を拾いました。ローマのチャンスです。
私「正面にギグーが入っている。そのギグーが行く。ギグーが行く」
(トッティからセンタリング:GKが飛び出してギグーの足元にスライディング)
「あーっと、(ギグーが)はねられた」、「PKはない。PKはありません」
早「いやあ。っていうか、いま、アーセナルはギグッとしたでしょう」
「おっ。おお、おお!出ましたね。出ましたね」

待望の“一発”に思わず興奮してしまい、うまい対応ができませんでした。ハハハ。
しかし、試合が終わってハイライトを見ながらこんなやり取りで念を押しました。
早「(正面に詰めていたのが)ギグーでしたけどね」
私「なんておっしゃったんでしたっけ」
早「ギグッとした…」
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証拠をつかんでおいてスタジオに戻った瞬間に「あの駄洒落はこれですよ」とポケットの
イエロー・カードを突きつけました。
一瞬、虚をつかれた感じの早野さんでしたが、素早く立ち直ると「エーっ、イエローですか。
もう一枚もらうと、私、退場ですか?」と切り替えしてきました。さすが、ですよね。
転んでもただは起きません。この人を“完封”するのは至難のワザです。ハハハ。

2003年12月22日、早野さんと組むことが決まったときも、ひそかに企みました。
顔出しがある番組については、一応、着るもののローテーションを考えるものです。
ジャケットとネクタイの組み合わせだけですが。
22日に着るのはグリーンの上着と即決し、逆算して着るものを決めていきました。
早野さんが赤いジャケットを持っていることを知っていましたから、「どうか、赤を着て
くださいよ」と願いながら。
12月22日に赤とグリーン…、クリスマス・カラーじゃないですか。ハハハ。

当日、深夜の控え室に姿を見せた早野さんが赤いジャケットを着ているのを見たとき、
「やったー」と思いました。期待にこたえる男なんです。ハハハ。
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ハーフタイムで顔出しになり、私が一言、挨拶したあと画面が切り替わりました。
私「…2ショットになりますと、早野さんが赤で私の緑と合わせてスタジオに…」
早「メリー・クリスマスという感じでやらせていただきます」
私「2人合わせると、ポインセチア…」
早「ああ、そうですね。私が花のほうで…」

放送の前にディレクターには「ちょっとアイディアがあるので、スタジオの映像は二人の
ジャケットのアップから入ってくれる?」と頼んでおきましたが、早野さんとは事前の
打ち合わせを一切していなかったのに…です。

…打てば響く、相手が何を考えているかをすぐ見抜く頭の回転のよさは、野球の豊田泰光、
ゴルフの戸張捷、テニスの遠藤愛、アイスホッケーの遅塚研一と並びます。
この人たちと組んで実況をするのは最高の喜びでした。中身が濃いかどうかは関係なく、
自分が楽しめるし、視聴者にも喜んでいただける放送ができるからです。“スポーツ放送は
エンターテインメント”こそ私のコンセプトでしたから、この点は重要でした。

ちなみに、“イエロー・カード”はそれなりに反応がありましたが、“ジャケット”の方は
ほとんど無視されました。頭の中で考えるほどうまくはいかないのです。ハハハ。

“友”と呼べることがうれしい二人との会食は話が弾んで時間の経過を忘れました。
そして、来年は還暦を迎えるというのに、“やんちゃな少年”がそのまま年を取ったような
雰囲気は健在で嬉しかったです。
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by toruiwa2010 | 2014-12-08 08:37 | 放送全般 | Comments(4)
Commented by デルボンバー at 2014-12-08 12:32 x
生島氏と早野氏のコンビは、″岩佐さんの大嫌いな°NHKの夜のスポーツ番組でちょくちょく見かけますよね。生島さんもライターの中では喋りが達者なかたですので、なかなかいい感じだと思います。
Commented by toruiwa2010 at 2014-12-08 15:27
デルボンバーさん、こんにちは。

NHKが嫌い…その通りですが、それは
体質の話です。番組の中には好きなものも
たくさんありますから誤解しないように。
視聴料もちゃんと払ってるし。ハハハ。
Commented by 名前忘れた at 2014-12-08 19:11 x
こんにちわ。この2件とも記憶にありますよ(^-^) 岩佐早野コンビの中継の時は白熱した試合も多かったですよね。
Commented by toruiwa2010 at 2014-12-08 20:09
名前忘れたサン、こんばんは。

たしかに、いい試合に当たることが多かった気がします。
最高は、97-98シーズンのセリエA第31節、
ユベントスvsインテルでしょうかね。
ロナウドが倒されて笛がなく、デルピエロが
倒れたときにPK…忘れません。
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