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岩佐徹のOFF-MIKE

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あれから20年…~阪神淡路大震災~15/01/17

20年前の今日、1995年1月17日午前5時46分、淡路島沖の明石海峡を震源とする
M7.3の地震が起きました。6000人を越える死者を出した阪神・淡路大震災です。
その日、私は全豪オープン・テニスの2日目を迎えたメルボルンにいました。
地震の発生時間は現地の午前7時46分でした。
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大会中、私の“日程”はこんな具合でした。
6時起床、洗面と着替えをすませたら、ドアの前におかれている新聞3紙からスポーツ・
セクションだけを抜き取って1階の食堂へ降りていく。新聞を拾い読みしながら食事をし、
部屋に戻ってさらに読み続ける。自分のコーナー、「アラカルト」のネタを探していたので
集中するためにテレビはつけません。
11時に各コートで試合が始まるのに合わせ、9時か9時半にはホテルを出ていました。

WOWOWの控え室に到着したのは10時前後だったはずです。
モニター・テレビの前にスタッフが集まっていました。日本で大地震が発生したことを
知ったのはそのときでした。はっきりとは覚えていませんが、画面には上空からの映像で、
立ち上る真っ黒な煙とオレンジ色の炎、無残に折れ曲がった高速道路、傾いたビルなどが
映し出されていたと思います。
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すぐに妻に電話をしました。芦屋に母と兄がいたので心配だったからです。
妻の話では、電話をすると鳴っているのだけど誰も出ない、避難しているのかもしれない、
ということでした。

大会序盤では日本人選手の試合を担当することが多かったころなので、この日も松岡修造
(vs カールセン)か伊達公子(vs リホベツェワ)の1回戦を実況したのだと思います。しかし、
試合が終わると控え室に駆け戻ってテレビを見たこと以外はほとんど記憶がありません。

芦屋と連絡がついたのは2日あとのことです。
同じ芦屋市内に住んでいた次兄も含め全員が無事だと分かってホッとしました。
ちなみに、母は1923年の関東大震災も経験しています。父の死後、関西に移ったのも
「東京は地震が多いから」でした。長兄がお腹にいた母は、その身体で列車に乗りこみ…
正しくは、乗車口が混雑していたので、見送りの人たちの手で窓から押し込まれ(ハハハ)、
親戚を頼って九州に行っています。明治の人は強いのです。

合流していた次兄の奥さんは「何か必要なものは?」と尋ねた妻に「食器」と答えました。
大きく揺れた棚から大部分が飛び出して割れてしまったからです。
冷蔵庫は、倒れなかったものの、180度 向きが変わっていたと言います。
それほど揺れたのに、導眠剤を飲んでいた母はまったく気づかずに寝ていたそうです。
目覚めてパニックになることを思えば“結果オーライ”だったかもしれませんが。
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メルボルンにいたスタッフの家族に異変はありませんでした。
しかし、翌日になって沢松奈生子選手の実家が倒壊したことを新聞記者から聞きました。
プライベートなことでしたが、放送の中でもそのことを伝えました。今なら、メールが
殺到したでしょうが、当時は情報の伝達にまだ“時差”がある時代です。
それでも、いろいろなチャンネルを通して「沢松がんばれ」の声は現地に届きました。
沢松も声援にこたえてベスト8進出という最高の結果を出しました。

帰国後、しばらくは時間が取れませんでしたが、2月12日、神戸に行きました。
母の“見舞い”もありましたが、スポーツ・アナウンサーとはいえ、マスコミの仕事を
している以上、見ておいたほうがいいと思ったからです。
発生から4週間が経過していましたが、“爪あと”ははっきりと残っていました。
特に、新大阪から乗った電車が尼崎にさしかかるあたりから、無残に崩れ落ちた家々が
目につくようになり、神戸方向に進むに従って、屋根を覆ったブルーシートがどんどん
増える様子に言葉を失いました。

母たちのマンションはヒビ一つ入ることなく、きれいなものでしたが、周辺の一戸建ては
2軒に1軒の割で全壊・半壊していました。
ただし、“さすがは芦屋”ということでしょうか、数年後には前にも増して立派な邸宅が
建っていました。ハハハ。

あれから20年が過ぎました。
耐震・免震など、地震対策は目覚しく進歩しているようです。
かといって、“直下型”の地震が来たらどうなるのかと思います。そんなことを言いながら、
我が家は、飲み水と、数日分の非常食が入ったリュックぐらいしか備えをしていません。
もっとも、マンションを出なければいけないような大災害に見舞われたら、年寄り二人に
瓦礫の中で生き抜く力があるとも思っていません。案外 諦めはいいのです。ハハハ。

都会ということもあって神戸の復興は早かったようです。
地震に加え、予想を超える津波に襲われた東北の復興は遅々として進んでいませんね。

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by toruiwa2010 | 2015-01-17 08:54 | 岩佐徹的考察 | Comments(2)
Commented by KenKen at 2015-01-18 22:33 x
岩佐さん、こんばんは。

当時は小学2年生、実家の京都で震度5でした。
僕は何も気付かず爆睡、両親は起きたそうですが…

朝テレビを見たら高速がなぎ倒しになってるあの光景が目に飛び込んで来たのを覚えてます。

学校は休校になりませんでしたが、ずっと教室のテレビがつけっぱなしで授業もあまりしなかったです。

あれからもう20年なんですね。
Commented by toruiwa2010 at 2015-01-19 07:09
KenKenサン、おはようございます。

神戸は都会だったせいか、かなりの
スピードで復興した印象があります。
比べて、東北の復興は明らかに
超スローですね。
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