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岩佐徹のOFF-MIKE

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自己責任・シャルリー~報道のバランス&自由な発言~15/02/26

私は1938年9月28日に生まれました。
知る由もありませんでしたが、当時の日本は3年後の開戦に向かって足音高くつき進んで
いたのでしょう。軍部の力があまりにも強く、何でも言える空気ではなかったと思います。

アカデミー賞授賞式の前、WOWOWでノンフィクションW「赤狩りとアカデミー賞」を
見ました。戦後の冷戦期にアメリカ全体で吹き荒れたマッカーシズム…“非米活動”の
名のもとに、共産主義者やそのシンパを排除しようとしたわけですが、当然、映画界も
その波をかぶりました。映画の仕事を続けるために仲間を売った監督がいました。
誰もが知っている「ローマの休日」の脚本家は本名ではなく友人の名を借りて書いたため、
エンドロールに彼の名前はありません。私たちは“自由な国 アメリカ”と思いがちですが、
そんな時代があったのです。
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新聞は社会の木鐸…そう言われた時代が遠い昔の日本にありました。
今は、誰もそんな風には考えないでしょうが、メディアが世論をリードしていく側面は
依然としてあるでしょう。ただし、ときに世論に“寄り添う”ことも否定できません。
寄り添っているうちはいいですが、流されたり、おもねったりしないでほしいものです。
風刺漫画や日本人人質の報道を見ていてそんな風に思っていました。


「ミヤネ屋」が時間を割いて“戦場ジャーナリストに聞く「なぜ戦場へ向かうのか?」”を
語り合っていた日、コメンテーターの橋本五郎(読売新聞特別編集委員)がこう言いました。
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「順々に考えればいいと思う」と前置きして…

まず、こういう戦場を伝えることは非常に崇高な仕事だということ。
二つ目は自己責任。後藤さんはあそこに入るときに「何が起きても
責任は自分にある。自分が全責任を負う」と言った。
ただし、その場合、自分の責任ではすまないことがある。
今までは「自分でやったんだから自分の責任だろう」という批判の
自己責任だった。

しかし、いまや「自分の責任で行くのだから許される」という
自己責任になった。
でも、それですまなくなっている。
国家は救出するためにいかなることをやらなければならない。
国家の威信にかかわるから。
そうすると、“その人の責任ですまない”ということを
考えなければいけない。(2/18)


ISILからの身代金要求動画が投稿されたのは先月20日でした。ネットには自己責任論が
氾濫していましたが、わがメディアにはこの橋本氏のような意見はあまり見られなかった
気がします。後藤健二さん殺害が明らかになるまでの10日間ほど、戦場ジャーナリストや
後藤さんの功績を賛美する紙面・画面作りが多かったのではないでしょうか?

私は1月24日にこう書きました。

「すべての責任は私にある」
後藤健二さんはそう言い残してシリアに向かいました。
100%、その通りですね。 しかし、こういう結果になると、
個人では解決できないレベルの話になっていますし、
そうなることも予想できたはずです。
“湯川さんを救出したい”との強い思いに駆られての
行動だったそうですが、多くの戦場レポーターたちが
紛争地域の取材では“生命線”だと語る現地ガイドの
反対を押し切っていることを考えると、無謀だったと
言わざるを得ません。
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10数年前にイラクで日本人ボランティアらが拘束されたとき、
さかんに言われた“自己責任論”が今度も出ています。
言われても仕方がない部分もあると思います。
しかし、軽装で冬山に登る、コースを外れたところを滑る、
なんらかの準備不足で太平洋の真ん中でヨットが航行不能になる、
台風接近中にサーフィンをする…などで遭難したのと同列に
語ることはできないでしょう。(以下略)


…コメントは1件もありませんでした。
“同意しない”、あるいは“同意だが今はコメントしない”ということでしょうか。
なんとなく、自由にものが言えない空気がありましたね。


フランスで起きた風刺画をめぐるテロ事件のあと、シャルリー・エブドが特別号を発行し、
1面にまたしてもムハンマドを風刺する漫画を載せたときにはこう書いています。

不屈な精神は大切だと思います。
今、少しでも“ひるむ”姿勢を見せれば、テロリストを
勢いづかせることも分かります。
しかし、とても難しい判断ですが、この時期にイスラム社会、
特に過激派を刺激するのは“賢いやり方”でしょうか?

「恐れず、言うべきことは言う」という強い意志を示したい
のだろうし、新たなテロのきっかけを作ることも覚悟して
いるのだろうが…と思いつつ、ネットを眺めていると、
このツイートを見つけました

…文章全体を支持するつもりはありませんでしたが、
“言論・表現の自由”にも限界があるのではないかと
疑問の声を挙げているツイートとして納得する部分があったので
画像として引用してツイートしました。
(“エジプト国籍の女性タレント・フィフィのツイートを紹介)
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(中略)

私も含めて、イスラム教についての十分な知識を持つ日本人は
少ないでしょう。予言者・ムハンマドの姿を描かないこと自体が
信仰の表れであり、絵に描き、あまつさえ、その絵で侮辱する
ことなどありえない…とする考え方があると言います。

だとすれば、それを尊重するのは当然ことだと思います。
(以下略 1/14)



今日、このエントリーを書く気になったのは、橋本氏の発言を聞いた同じ日の朝日新聞に
載っていたとても興味深い記事を読んだことがきっかけでした。
フランスの人類学者、エマニュエル・ トッドがインタビューされています。
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表現の自由は絶対でなければいけない。風刺の自由も絶対だ。
つまり、シャルリーにはムハンマドの風刺画を載せる権利がある。
フランス政府にはそれを守る義務がある。

一方で、私にも誰にでも、むろんイスラム教徒にも、シャルリーを
批判する権利がある。イスラム嫌いのくだらん新聞だと、事件の後も
軽蔑し続ける権利が完全にあるのだ。

事件後の私たちは、酔っ払いが馬鹿を言っただけで捕まり、8歳か
9歳の子が(学校での「テロ称賛」発言の疑いで)警察に呼ばれる国に
暮らしている。

国内メディアから20件ほど取材依頼があるが、すべて断わった。
何の得にもならない、心置きなく話せる環境ではないと感じるからだ。
本来は大統領さえののしれる国だし、私もそうしてきたので、
この現実は耐えがたい。人々の感情が 高ぶっていては安心して
自由に話せない。
…例えば、仲間内のおしゃべりで私がシャルリーを批判する権利に
触れたとする。社会的弱者が 頼る宗教を風刺するのは品がないぜと。
すると相手は「君は表現の自由に賛成じゃないのか。
本当のフランス人じゃないな」と決めつけるわけだ。
上流の知識階級でリベラルな人々が、あの大行進に参加した人々が。


“私はシャルリー”というコピーは世界の人々の心をつかみました。それはいいでしょう。
しかし、無条件で賛同しないと承知しないという空気には疑問があります。
私も言論・報道の自由は守られなければいけないと思いますが、シャルリーの風刺画に
全面的に賛成するわけにはいきません。
フランス人であるトッド氏でさえ自由な発言をためらう環境が正常とは思いません。
インタビューの中で“ハゲ同”だったのはこの発言でした。
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今日の社会で表現の自由を妨げているのは昔ながらの検閲ではない。
今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで
語られていることを押しつぶし、世論の主導権を握ることだ。


誰が正しいか、どんな意見が間違っているかは人によって判断が違うでしょう。
しかし、メディアの仕事は偏らない情報をバランスよく伝えることだと思います。
その意味で、このところ、少し風通しがよくなってきたなあと。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2015-02-26 10:27 | 岩佐徹的考察 | Comments(2)
Commented by ひろ☆はっぴ at 2015-02-26 13:17 x
なぜ戦場ジャーナリストが戦場へ行くのか?との問いかけは、登山家に何故山に登るのかを問うのに似ているように思います。ただ、命をおとすにしても山なら相手が自然ですから、ある意味諦めがつきますが、戦場では相手は人間ですから、何ともやりきれない気持ちになります。

ミヤネ屋もたまにはいい特集をしているんですね。ちちんぷいぷいばかり見ていないで、たまには見てみます。
Commented by toruiwa2010 at 2015-02-26 15:44
ひろ☆はっぴサン、こんにちは。

この日の内容は決していいとは思いませんでした。
戦場ジャーナリストを持ち上げすぎていて・・・。
橋本の発言がなかったら、単なるヨイショで
終わっていたのではないでしょうかね。
「戦場に行くから崇高」、という考え方には
納得しません。
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