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岩佐徹のOFF-MIKE

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断固 しゃべらん!~MLBの”困ったちゃん”~15/03/09

朝日新聞夕刊に病理医・向井万起男氏の「大リーグが大好き!」というコラムがあります。
先日“永久に破られない8年連続記録”という見出しでフィラデルフィア・フィリーズの
エースだったスティーブ・カールトンについて書いていました。1978年から8年もの間、
報道陣と話しをしなかったと。 なぜそうなったかには触れずに…。
えへん!1978年からメジャーをみっちりフォローしていた私はこの件をよく知っています。

こういうことだったのです。

彼はその前年、1977年は絶好調で23勝を挙げ、2度目のサイ・ヤング賞に輝きました。
地元メディアは、地区優勝の立役者として称賛する記事を書きたてました。
しかし、1978年、オールスター・ゲームまで8勝7敗と“もたつく”とどうしたんだ?と
手のひらを返したように叩いたのです。
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味方だと思っていたメディアの“背信”にいや気がさしたカールトンはシーズン途中から
登板した日の“囲み取材”を拒むようになりました。彼のピッチングで勝つ試合もあって
どうしても談話が欲しいときでも、ガンとして受け付けません。
メディアはカールトンが投げるときには必ずマスクをかぶるティム・マカーバーの話で
“しのぎ”ました。しかし、そのマカーバーが元気だったのは1979年までで、1980年は
出場機会がほとんどなく、その年限りで引退して解説者になってしまいました。

おいおい、これで、試合の終盤までカールトンがノーヒッターを
続けているときに、キングマンが初安打を打ったら誰に取材すれば
いいんだ?

そのころフィラデルフィアの新聞に出ていたジョークです。
カブスの4番デーブ・キングマンも“球場入りするときのウエアがダサい”と地元紙に
からかわれてからメディアに口を開かなくなっていたからです。ハハハ。

「ま、その場合はマカーバーに代表インタビューしてもらうしかないな」がオチでした。
マカーバーはフィリーズの試合をカバーする局のアナウンサーになっていたからです。
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カールトンを知らない人が多いと思います。
194センチ・95キロの堂々たる体格の左腕でした。
壺に入れた麦にコブシをねじ込む独特のトレーニングで鍛えたと聞きましたが、右打者の
膝元に鋭く切れ込むハードスライダーが武器でした。
初めてメジャーに触れたシーズン、驚いたことはたくさんありますが、スライダーとは
ほんの数センチすべるものだと思っていたのに、大きく鋭く落ちていくカールトンの球を
現地では“スライダー”と呼んでいたこともそのひとつでした。

通算成績
24年間で329勝244敗 防御率3.22 4136奪三振 サイ・ヤング賞4回
1994年に野球の殿堂に入りました。

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現在、メディアを拒否するメジャーリーガーがいるかどうかは知りません。少なくとも、
8年間“貝になった”男はいないでしょう。
ただし、試合のあとの囲み取材では記者たちに背中を向けて対応する日本人選手の話は
聞いたことがあります。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2015-03-09 07:52 | メジャー&野球全般 | Comments(2)
Commented by デルボンバー at 2015-03-09 12:42 x
70年代の大リーグブーム知ってる人はみんな知ってる名前でしょうけどね。カージナルス時代に来日してるんですよね?
最後の日本人、とは今年51番に戻ったあの人.........?
Commented by toruiwa2010 at 2015-03-09 15:26
デルボンバーさん、こんにちは。

幸か不幸か、70年代のMLBを知る人は
あまりいません。大リーガーが大リーガー
らしかった時代です。
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