ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

若き日の声が流れた…~フジテレビ・TBSの特番を見て~15/04/10

まだです まだです。
727型機には間違いありません。
日航機“よど号”が今 牽引車に惹かれまして
場所を移すようです。
関係者、報道陣がもう待ちきれないと言った表情で
そのあとをぞろぞろとついて行きます。


連合赤軍によってハイジャックされ、韓国経由で北朝鮮に行っていた日航機よど号が
事件発生から6日後、羽田空港に戻って来た様子を伝えるリポートです。
1970年4月5日…しゃべっているのは入社8年目に入ったばかり、32歳の私です。

先週の金曜日の夜、フジテレビで特別番組が放送されました。
タイトルは「新発見!TV大事件50年史 運命を変えた衝撃の瞬間」です。
「グッディ」と「みんなのニュース」という新番組が始まったばかりのタイミングだし、
朝のワイドショー番組、「小川宏ショー」の放送開始から50年になるのを記念して…。
そんな理由かい!ハハハ。

いろいろな思い出と重なって興味深く見ていました。
飛行機墜落事故・ハイジャック、小野田寛郎さん帰国、あさま山荘事件、田中角栄訪中…
数多くの事件・事故の報道に立ち合いましたから、もしかして?という思いもありました。
d0164636_8523111.jpg
そろそろ番組が終わるかなという時間帯になって若き日の私の声が流れてきました。
編集されているし、文字に起こすと“しょうもない”リポートですが、これでも社内では
当時、割合に評判が良かったのです。番組の中では、リポートが始まる直前、スタジオの
須田アナが「あ、名リポートだ」と言ってくれました。先輩を立てる嬉しい一言ですが、
甘いっちゃ、甘いなあ。“ぞろぞろと”なんて。おお、恥ずかしい。ハハハ。

ああ、しかし、画面を見ると隅のワイプに同期・露木茂の顔が映っています。これじゃあ、
まるで彼がリポートしているみたいじゃないですか。この事件では大活躍した露木だし、
大した内容じゃないからいいんですけど、誰も気づかないとは!

冒頭の中継ですが、飛行機が羽田に戻ってくるのを描写するのだからと、ディレクターが
「それならスポーツ・アナがいいんじゃない」と考えてアナウンス室に発注しました。
ベテランは逃げるし、新人には無理だからと、“若手の中堅”・岩佐が指名されたのです。
安易だし、いい迷惑。ハハハ。
ラジオ局からも親しいスポーツ・アナが来ていましたから発想は同じなのかもしれません。

「まだです。まだです。727型機には間違いありません」はおかしな表現ですよね。
デッキにいる私たちのところにはまったく情報が入ってこなかったため、予定の時刻が
近づいてからは着陸態勢に入った飛行機を一機ずつ双眼鏡などで確認しながら手探りで
実況していたのです。飛行機にこれといった特徴があるわけではなく唯一の手がかりは
“ボーイング727”だけでした。流れた実況は何機か“空振り”したあとだったはずです。

同期に露木という花形アナがいたおかげで、私が事件・事故のリポートで活躍すする場は
限られたものです。


1963.11.23 ケネディ暗殺 

入社1年目の私は泊まり勤務でした。すべての放送が終了したあと宿泊室にいました。
寝入りばなを警備員が起こしに来ました。「起きてください。ケネディが撃たれました」と。
呼び出された先輩が出社するまで、記者が書く原稿をブースで繰り返し読みました。

d0164636_8513724.jpg


1966.03.05 羽田でカナダ太平洋航空機が着陸に失敗し墜落。
1966.03.06  BOAC機が富士山上空で乱気流に巻き込まれて2合目に墜落


2日連続の飛行機事故でした。
このときも、最初の事故を取材したあと会社に戻って仮眠中を起こされました。
御殿場から乗用車で行きましたが、火山礫でうまく進めなくなり、途中から歩きました。
夜のニュース番組に電話リポートするため、自衛隊のトラックでふもとまで降りました。
でこぼこ道でガタガタする棺のふたを片手で抑えながら。

1970.04.05 よど号帰国

1972.02.02 元日本兵・横井庄一さん帰国


羽田にはエース・露木が行き、私は横井さんが入院する国立第一病院からの中継でした。
待っている時間が長くて、角を曲がった車が目に入った瞬間「来ました、来ました!」と
大声で叫んでいました。スポーツ・アナの私には自然でしたが、当時のリポートとしては
珍しかったのか、「3時のあなた」の司会者・芳村真理さんが妙に気に入ってくれました。
その後、番組リポーターに起用され、アシスタントが骨折したとき、すんなり代役となり、
そのまま“居座る”きっかけになりました。
今のスタイルではありませんが、ワイドショーを経験したことが、再び、スポーツ実況に
戻ったときの視野を広げてくれたと思っています。

1972.02.19~28 浅間山荘事件

連合赤軍のメンバーが人質を取って立てこもった直後から現地に行っていました。
警察からあまり情報が出てこない上に、建物の内部の様子は分からず、カーテンが少し
動いただけでもオーバーに伝えたものです。
「明日は警察が突入する」という情報が入ってきました。
本来なら現地リポーターの腕の見せ所でしたが、なんと、私はデスクからの電話で東京に
戻らされてしまいました。担当していたボウリング番組の収録があったからです!

d0164636_8504454.jpg

1972.6.12 コンコルドがデモ飛行で羽田に

機影を確認するのに苦労しました。姿は優美でしたが、爆音のすごさにビックリしました。
リポートの中で、怪鳥を“カイチョウ”と言ってしまい、アナウンス部の事故簿(放送中の
失敗を報告するノート)に書き込んだときの恥ずかしさ!

1972.09.25 田中角栄首相の訪中

なぜか、スポーツ・アナの私に指名がかかりました。
山ほどのネタを用意して羽田に行きましたが、政治部の記者から話を引き出すのが主で
リポートは搭乗機が滑走をはじめてからの数十秒間だけでした。

1973.07.20 日航機ハイジャック 

羽田に帰って来て家族と再会する乗客たちにインタビューしました。
“左から家族、右から乗客”の真ん中にいたため、両側からどっと押し寄せて来た人波に
持っていたマイクのコードがからみ、カメラマンとも引き離されてしまいました。
仕方なく、自分のマイクを“捨て”、後輩の女性アナからマイクを奪って仕事をしました。

混乱の中で、偶然、乗客の中にいた洋菓子“ヒロタ”の会長がお孫さんと再会した直後に
話が聞けました。
井の頭線・明大前駅のホームにある売店を見るたびにこのことを思い出します。

1974.10.01 超法規的措置で連合赤軍のメンバーを釈放

「人命は地球より重い」として、赤軍メンバーが釈放され、羽田から出国しました。
デッキからだと後姿が多くて、メンバーの顔と名前がまったく一致しなくて焦りました。

d0164636_8525867.jpg

1982.02.08 ホテル・ニュージャパン火災
1982.02.09 羽田沖事故、日航逆噴射事故と呼ばれる。


2月1日にアナウンス部から報道ゼンターへの異動の辞令をもらい、8日まで有給休暇を
取っていましたから、ホテルの火事は自宅のテレビで見ていました。
飛行機事故のことは9日に出社してから知りました。報道部へはこの日が初出社でしたが、
編集長が私の顔を見ると、「岩佐、特番の司会をやるか?」と聞いてきました。“文体”は
質問ですが、顔は「やれ」と言っていました。

番組が始まるまで20分ほどしかなかったのですが、度胸を決めてやりました。
ネームプレートが“岩佐記者”となっていました。

…一つ一つ振り返ると大した仕事はしていません。
人命が失われたケースもあるので申し訳ないですが、多くの場合、妙にアドレナリンが
流れたことを思い出します。
by toruiwa2010 | 2015-04-10 08:58 | 放送全般 | Comments(4)
Commented by at 2015-04-15 23:14 x
岩佐様、こんばんは。問題のフジテレビ特番を拝見した時、直ぐにおかしい!と思いました。 よど号到着場面は露木さんの声ではなく、明らかに岩佐さんの声だと感じたので・・ しかしながら、あの時期、他局はフィルム映像が殆どなのに、カラーのVTR映像を残しておられるフジテレビさんには感心しましたし、お世辞ではなく名実況でした。 本記事での事件の数々も、忘れられない物ばかりですが、岩佐様は、三菱重工爆破事件の現場には取材に行かれたのでしょうか? 先日、戦後のテロ事件を振り返る特番を拝見して気になりました。では、おやすみなさい。
Commented by toruiwa2010 at 2015-04-16 07:13
巽さん、おはようございます。

あの場面は露木もびっくりしたことでしょう。
番組担当に当時の関係者はいませんから、
私の声かどうかなど分からなかったのも
無理はありません。

三菱重工業ビル爆破事件…丸の内で
ガラスの破片の中を歩き回って取材しました。
ただし、現場からの中継は1,2回であとは
収録だったと思います。時代が動いている
時期でしたね。
Commented by at 2015-04-16 22:29 x
岩佐様、こんばんは。貴重なお話ありがとうございます。 本当にあの現場は地獄絵だったと思います・・。 あの時代の一連の事件では、連合赤軍の坂東被告始め、未だに逃亡中の被告達がいる事に憤りを感じるばかりです・・。 私などは、あれ以上のテロは、もう日本では発生しないだろうと考えていても、後に地下鉄サリン事件が発生する訳ですから、想像を越える現実や危機管理の難しさを感じます。 当時の犯人達への怒りが込み上げ、暗い気持ちになりましたが、カルガモのお写真や様子に癒されました(^_^) では、おやすみなさい。
Commented by toruiwa2010 at 2015-04-17 07:15
巽サン、おはようございます。

いくらなんでも、もう二度と
こんなことは起きないだろう…

何度もそう思ったものですが、
忘れそうになったころ、思いがけない
形で新しい出来事が起きますね。
残念ですが、1億3000万人の人間が
いる以上、避けられないのでしょうね。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。