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岩佐徹のOFF-MIKE

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ニクラウス、そしてクレンショー~マスターズ終わる~15/04/13

マスターズは21歳のジョーダン・スピースが圧勝しました。
キャリアが浅いだけにどこかで崩れる可能性があると思っていましたが、プレッシャーを
寄せ付けずに乗り切りました。彼だけ“アナザー・プラネット”で プレーしていました。
あっぱれとしか言いようがありません。前途洋々ですね。心配はオツムだけ?ハハハ。
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わずかですが、ゴルフ中継にかかわったことがあります。
“デビュー”は遠く1973年に突然フジテレビがゴルフの放映権を手に入れたときでした。
横浜カントリー・クラブで行われたペプシ・ウイルソン・トーナメントです。
先輩が“逃げた”こともあって、レッスンものを担当した経験を買われて指名されました。
誰の行いが悪かったのか、青木功と島田幸作のプレーオフが6ホールに及び、放送の中で
結着が伝えられませんでした。

プライベートでもゴルフをやる1年後輩Mが入社してきたので、メインの実況は彼に譲り
ホール担当をやっていましたが、1981年にメジャーの一つ、PGA選手権を放送することに
なったとき、プロデューサーとディレクターから「実況をやってくれ」と頼まれました。
後輩の顔をつぶすことになるのでためらったのですが、彼らの説明は「メジャーだから、
ちゃんとやりたいんだ」でした。見たままを感性に任せてしゃべる“感覚派”Mの実況が
気に入らなかったようです。

アトランタ・アスレチック・クラブで行われたこの年のPGA選手権はラリー・ネルソンが
優勝を飾り、日本から参加した青木功が4位に入りました。早めにホールアウトしたあと
ゲストとして放送席で話しているうちにどんどん順位が上がって行きました。ハハハ。
翌年2月にアナウンス部を離れたために、ゴルフを実況することなどもうないだろう…と
思っていました。
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しかし、WOWOWでもう一度アナウンサーに戻っていた1995年、ジャマイカで開かれた
ジョニー・ウォ―カーが主催するエキシビションの実況を頼まれました。
大会前日に会場入りし練習ラウンドもしなかったジョン・デイリーが4日間のトータル
40オーバーを叩いて、それでも5万ドルぐらいの賞金を持って帰りました。
プレーオフを制したフレッド・カプルスが優勝し、100万ドルを獲得しました。

1997-2000年、PGA選手権を実況しました。
97年のウイングドフットでは最終日に猛烈なストームに襲われ怖い思いをしました。
長い中断のあと、コースを覆った木の枝を片付けてから再開された試合は18番グリーンに
虹がかかる中でデービッド・ラブ三世が初メジャーを手にしました。

99年のタイガー・ウッズ優勝は記憶が鮮明です。
スペインの若手、セルヒオ・ガルシアと激しいバトルを繰り広げました。23歳でしたが、
記者会見での堂々とした受け答えが強く印象に残っています。

2000年もウッズがプレーオフの末、連覇しましたが、忘れられないシーンがありました。
予選ラウンドを帝王ジャック・二クラウスと一緒に回ったのです。
60歳だった二クラウスは“最後のPGA”と宣言していました。二人を組ませることに
大会側は“新しい時代にたいまつが引き継がれる”意味を込めたのです。
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2日間とも、大勢のギャラリーがこの組についたのは言うまでもありません。
2日目の18番ホールに最後の大きなドラマが用意されていました。予選を通過するには
イーグルを必要とした二クラウスが2オンに成功し、可能性を残したのです!

スタンディング・オベーションの中を二クラウスが片手を上げ、軽くうなずきながら
ゆったりとした歩みでグリーンに向かいました。ウッズは少し遅れて歩いていました。
“ここは大先輩のための時間だ”とあえてそうしていたのだと思います。
このホールで二クラウスはイーグルをとれませんでしたが、観客を堪能させました。
“演出”は大成功だったのです。
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マスターズの2日目、18番グリーンに上がってくるベン・クレンショーの姿を見ていて、
このときのことを思い出しました。グリーンサイドには39年間 彼のキャディをつとめた
カール・ジャクソンがいて、感慨深げにクレンショーを見守っていました。
オーガスタでの最後のパットを打ってホールアウトしたあと、二人が交わす優しいハグは
涙でにじんでしまいました。
スポーツに限らず、アメリカは歴史や先輩を大事にする伝統があって羨ましいですね。
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松山英樹の4日間ともアンダーパーで回っての5位は見事なものでした。
惜しまれるパットが数多くありました。2009年の片山晋呉の4位が日本人最高位ですが、
内容のある“堂々たる5位”と言っていいでしょう。

すっかりツアーの一員になっています。体つきがしっかりしてきました。意図的に体を
大きくしているのでしょう。これからのますますの活躍が期待されます。
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by toruiwa2010 | 2015-04-13 08:35 | スポーツ全般 | Comments(6)
Commented by ひろ☆はっぴ at 2015-04-13 14:45 x
たしかベン・クレンショーは若い頃、ベビーフェイスゆえに、なめられないように口ひげを生やしていたのではないでしょうか。今や口ひげが無くとも味のある顔付きになってますね。

かつてCXには岩佐さんに向かって「メジャーだから、ちゃんとやりたい」なんて言うプロデューサーがいらっしゃったんですね。近年のフジサンケイクラシックのメインをはるSアナに聞かせてやりたいですか(^◇^;)
Commented by toruiwa2010 at 2015-04-13 15:05
ひろ☆はっぴサン、こんにちは。

ひげ…記憶がありません。
Gentle Ben と呼ばれていたことは
覚えてますが。
Commented by Haru at 2015-04-13 17:58 x
岩佐さん、こんばんは。

ベン・クレンショー、私もちょっと泣きそうになりました。アメリカでのああいう場面で流れる温かい空気が大好きです。派手な事をしなくても、充分伝わりますよね。
アメリカのスポーツやショウビズ界を観てていつも思うのは、先輩後輩の関係が、日本のいわゆる体育会系のそれとは違って、同じ道を歩む者として対等でありながら、ちゃんと敬意が感じられるという事です。いいですよね。
あと、若い人の口からしばしば往年のプレイヤーの名前が出てきたりするのは、そういう環境なんでしょうか。例えば、テレビで古い試合などを放送したりとか。

Commented by へいすけ at 2015-04-13 18:34 x
たまたま2日目のベン・クレンショーのホールアウト時を観ていたのですが、やはり特別なことだからか、しばらくあとの組のプレーが止まったのでは?と思うくらい画面に映ってましたね。長年コンビを組んだカール・ジャクソン氏と抱きあう姿を観て、私もちょっと涙目になりました。
最終日の松山選手、本当に頑張りましたね。残念ながら5位になりましたが、ただ一人の日本人選手として他国の名プレイヤー達に混じって大健闘でした。来年も出られるとしたら、今年の悔しさをバネに日本人選手最高位を目指してもらいたいものです。
パトロンになるのは無理そうなので、来年もテレビ観戦ですね。
Commented by toruiwa2010 at 2015-04-13 18:54
haruサン、こんばんは。

スポーツでも音楽や映画などでも
先人をリスペクトする”土壌”が
あの国にはあるような気がします。
それが世代を超えて受け継がれているのが
うらやましい限りです。
Commented by toruiwa2010 at 2015-04-13 18:57
後続の組のプレーを遅らせる…
そこまではしていないでしょう。
あくまでルールの中で、敬うべき人には
リスペクトを示す、ということでしょう。
松山は、5位になったことで来年の出場を
決めましたね。次はメジャーで優勝争いを
見たいものです。
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