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岩佐徹のOFF-MIKE

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MLB 生涯打率10割!!~1打席だけの選手もいた~15/08/04

1963年9月29日はメジャーリーグの最終日でした。
創設2年目のヒューストン・コルト 45sは本拠のコルト・スタジアムに“同期生”の
ニューヨーク・メッツを迎えていました。戦力不足の両チームは当時 10チームだった
ナショナル・リーグの9位(コルト45s)と10位(メッツ)に沈んでいました。

そんな環境でしたが、現在70歳のジョン・パチョレックにとっては忘れられない日に
なりました。試合前、ハリー・クラフト監督から「プレーしたいかね?」と聞かれたとき、
18歳だったジョンは迷わず、「Yes!!!」と答えたそうです。

デビュー戦ですから普通に記憶に深く刻まれる日ですが、記録にも残る日になりました。
彼の生涯記録がこれ ⇓ です。
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5打席、3打数3安打、2四球、4得点・3打点。“パーフェクト”な成績です。
デビュー戦としてもかなりすばらしい数字ですが、最終戦でしたから、これがそのまま
彼の1963年の記録になりました。
・・・どころか、ジョン・パチョレックの“生涯成績”になったのです!

チーム内ではだれにも話していませんでしたが、背中に故障があって、運が悪いことに
その年のオフ、悪化したのです。翌年のキャンプを迎えたとき、打つことも守ることも
できなかった彼はマイナー送りになり、クラスAで49試合に出ましたが、メジャーでは
1試合もプレーすることなくシーズンを終えました。
1965年は全休、66年から69年までマイナーで230試合ほどプレーし、打率2割2分、
31ホーマーという記録が残っていますが、本人以外そのことを覚えている人はいません。

しかし。

“MLB通算 打率10割・出塁率10割”はクイズの問題に出ることもあるそうです。

野球を離れたあと体育教師になり、今は悠々自適のようですが、CBSのインタビューで
こんな風に語っています。
「何ごとも偶然じゃないんだ。僕はこのこと以外、悪いことには出会わなかった。
他人は『最悪だったね』と思うだろうが、そうじゃない。あれ以来、いいことばかりさ」。
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ジョンの1歳下の弟、トム・パチョレックは1970年のドジャースを皮切りに18年に及ぶ
MLB生活を送りました。
15歳離れた弟、ジム・パチョレックは1982年にミルウォーキー・ブルワーズに入団し、
87年にMLBデビューしますが、1年限りでした。
ただし、48試合プレーしましたから、打率が2割2分8厘、出塁率が3割0分2厘でも、
試合の数ではジョンに自慢できますね。ハハハ。

1988年から1993年にかけて大洋ホエールズと阪神タイガースでプレーし、1990年には
首位打者のタイトルを獲得しています。

1打席だけの選手も・・・

ジョン・パチョレックはメジャーで1試合だけプレーした珍しい選手です。
しかし、こういう選手はきっとほかにも大勢いると思います。
そして、調べるまでもなく、もっと珍しい記録を持っている選手がいることをメジャーに
関心がある人なら知っているかもしれません。

1951年8月19日 エディ・ゲーデルは1試合だけプレーしました。もっと正確に言うと
1度だけ、打席に立ちました。

セントルイス・ブラウンズとデトロイト・タイガースのダブルヘッダーの第2試合でした。
1回裏、ブラウンズは先頭打者に代打を送りました。それがゲーデルです。
“1/8”という背番号をつけた彼がグラウンドに姿を現すとスタンドはどよめきました。
小人症だった彼の身長は109㎝しかなかったのです。
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思いもかけない事態に主審はセントルイスのベンチに「どういうことだ?」と叫びます。
チームは書類を見せて正規の手続きが済んでいることを主張し、ゲーデルはそのまま
打席に入りました。キャッチャーはできるだけ低く構えて、ピッチャーをリードしますが、
ストライクが入らず、ストレートのフォアボール。すぐに代走が送られて、ゲーデルは
ベンチに下がりました。

この奇抜なアイディアはチームのオーナーのものでしたが、ゲーデルは「バットを振るな。
振ったら、屋根の上のスナイパーに射殺させる」と脅されていたそうです。

翌日、アメリカン・リーグ会長は オーナーの行為は“野球をバカにする”ものだとして
球団とゲーデルの契約を認めない裁定を下しました。
この結果、エディ・ゲーデルのMLB人生は“1打席”で終わったのです。
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この出来ごとはブラックソックス・スキャンダル(ワールド・シリーズでの八百長)などと
ともにメジャーの長い歴史の中で“汚点”と呼んでもいいのだと思います。
ゲーデルは10年後、暴漢に襲われて命を落としました。
彼がこの試合で着用したユニフォームは野球の殿堂に展示されているそうです。
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by toruiwa2010 | 2015-08-04 09:54 | メジャー&野球全般 | Comments(2)
Commented by 赤ぽん at 2015-08-04 21:58 x
岩佐さん、こんばんは。

ジョン・パチョレックの話、「何ごとも偶然じゃないんだ。僕はこのこと以外、悪いことには出会わなかった。他人は『最悪だったね』と思うだろうが、そうじゃない。あれ以来、いいことばかりさ」。
よく英語では、こういうモノの言い方に訳されることがありますが、でも本当に
いい言葉だと素直に思います(根がネジれてなく素直ですのでw)

それより1/8の背番号、なんとなく話は知っていましたがこういうことだったのですね。
なにか色々な意味で胸に迫るものがあります。哀しい話に思えました。
貴重な話をありがとうございました。
Commented by toruiwa2010 at 2015-08-05 06:52
赤ぽんサン、おはようございます。
日本にも大話はあるはずですが、
高校野球がらみのものしか
伝わってきませんね。
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