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岩佐徹のOFF-MIKE

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プロデューサー失格の記 自薦・厳選300? 15/11/01 

今は懐かしいF1黎明期 ( 2010.03.14 初出 )

「もう一度、実況をやりたい」という思いは、なかなか叶わなかったもののそれなりに
充実した日々だった'87年夏、暗雲が垂れ込めてきました。こんな奴とは仕事をしたくない…
と思う男が上司として異動してきたのです! 晴天の霹靂でした。
気は強いと思うのですが、自分の歴史を振り返ると、性格が弱いのか、困難と正面から
向き合う事を避けてしまう傾向が明らかです。いま、気づいても遅いんですが。
「しかし、こんなことは長くは続かないぞ」と考えていると、1987年12月のある日、
部屋の隅のソファでくつろいでいるとき、部長が「だれかF1の面倒を見てくれるやつは
いないかなあ」と言っているのが耳に入りました。

その年から放送が始まったF1中継の初代プロデューサーは、ほかの仕事も抱えていて
きわめて多忙で手が回らないことから、部長は誰かを専任にしたいと考えたのです。
「しめた」と思い、じっくり考えないまま飛びついてしまいました。
現状からの逃避…悪いクセで、アナウンス部を出たときと同じです。学習しないのです。
ハハハ。
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2年目に入るF1の制作準備は煩雑かつ難解でした。
まず、ヨーロッパ・シリーズ用に作ることになっていた小型中継車について、現地に行き、
メーカーと細かい点を詰めなければなりませんでした。プロデューサーの仕事ですが、
右も左も分かりません。シロートが顔を突っ込んではいけない領域でした。
“動機”が不純な上に、人を束ねるのは最も不得手な分野です。しかも、億単位の予算を
預かるのですから、はじめから無理な話だったのです。

動きの鈍い私に、はじめは信頼してくれていたチーフ・ディレクターも不信の目を向けて
くるようになりました。

'88年3月末、ブラジルでの開幕戦前に決定的なダメージを受けました。
技術のことも予算のこともしっかり把握できないまま、「グダグダ言ってたってしょうが
ないんだから、ここから性根を入れてがんばろう」と決めて日本を出発しました。
リオデジャネイロの空港に着いたとき、異変が起きたのです。

ロスからの乗り継ぎ便では席がばらばらだったので、入国審査のところで落ち合って、
一緒に出ようということにしていたのですが、ディレクターのS君が遅れていました。
降りてくる人がまばらになっても、まだ来ません。
おかしいなと思っていると、うしろから来た別のグループの日本人が、「出口のところで
誰か倒れていましたよ」と伝えてくれました。
飛んでいくと、S君が倒れ、空港の職員に囲まれていました。
腹をおさえてしきりに「なんなんだこれは!」と叫んでいました。

意識はあるのですが、こちらの呼びかけは耳に届かない様子です。
何が起きたのか、まったく分からず呆然とするばかりでした。
しかも、職員たちはほとんど英語を話せないためにコミュニケーションが取れません。
緊急事態だからと説き伏せ、外で待っていたコーディネーターを呼んでもらいました。
「すぐに連絡した」という救急車がなかなか来ません。来てからも、乗せて、空港内の
医務室に運ぶまで、気が気ではない私たちにしてみれば、途方もない時間がかかりました。

気を利かせたコーディネーターが、手当てがすんだら、すぐにホテルに向かえるようにと、
私とS君のパスポートを持って入国審査の窓口に行ってしまったために、付き添ったのは
私ひとり、しかも手当ての間は処置室から出されてしまって、中で何が行われているのか
まったく分からないまま時間だけが過ぎていきました。
長い時間が流れたあと出てきた若い医師が、合流していたコーディネーターを通して、
「亡くなった」と告げたときに自分が何を思ったのか、今は思い出せません。
まるで、悪い夢を見ているような気分だったと思います。そして言葉に表せない虚脱感で、
しばらくは何をすべきなのか頭が働きませんでした。

街に出て十字架が彫られた棺を買ったあと、ようやくホテルに入りました。
駆けつけてくれた大使館員が、本当は面倒なはずの検視を手早く済ませてくれました。
立場上、付き添って帰国し、ご両親にお話しするのは自分だと決めました。
乗ってきた飛行機がそのまま帰国便になります。コパカバーナが目の前に広がるホテルで
2時間ほど眠り、到着から7,8時間後には棺と一緒に帰国の途につきました。
いきさつを知っているヴァリグ(ブラジル航空)の好意でファースト・クラスにアップ・
グレードしてもらいましたが、眠れぬまま、経過を振り返っているうちに「俺がもっと
がんばれば何とかなったんじゃないのか?」と、激しい悔いが襲ってきました。

そして、成田から準社葬が行われる式場に直行し、ご家族の前に深く頭を下げたとき、
その悔しさは頂点に達して涙がほとばしりました。
「力が及ばずに申し訳ありませんでした」とお詫びする私に、ご家族は、逆に慰めの声を
かけて下さったのですが、その後、時間がたっても気持ちの整理はつきませんでした。
すべての責任が自分にあるとは思わないまでも、「スポーツ部にいるのはシンドイなあ」と
思うようになっていたのです。

一方、第2戦との間があいたこともあり、この間にまたいろいろなことが起きて、部下の
ディレクターたちの苛立ちがいっそう目に付くようになりました。
「これではうまく行かない。このままでは、看板番組なのに空中分解してしまう」という
思いから部長に交代を申し出ることにしました。
部長も横から見ていて“危なっかしい”と思っていたのでしょう。案外あっさりと認めて
くれたのはラッキーでした。
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結局、その年の9月からWOWOWに出向となるのですが、プロデューサー“在任中”に、
私がやったことは二つだけです。
放送開始から評判がよかったテーマ曲、T-SQUAREの“TRUTH”を守ったことと
古舘伊知郎の実況をわずか一年ですが“遅らせた”ことです。ハハハ。

2件とも、2年目を迎えるに当たって出てきた問題でした。
“TRUTH”についてはレコードが系列会社(ポニー・キャニオン)のものでないことから
「変えろ」というかなり強いプレッシャーが上層部からかかっていました。
「ポニキャンにもいい曲はあるんだから」ということでした。猛烈に抵抗しました。
「すでに視聴者の間ではF1といえば“TRUTH”というぐらい定着している。とても
変えられるもんじゃない」と。
おかげで、出だしの音だけで見る者をF1の世界に引き込む名曲は残ったのです。
これだけは自分をほめたいぐらいです。ハハハ。

1年目の実況を担当したフジのアナウンサーに不満があったチーフ・ディレクターから
「古舘さんを使いたい」と言われたとき、“即決”で却下しました。ハハハ。
ヨーロッパでは“文化”として扱われ、ホスト・ステーションもリスペクトされるF1と
古舘の実況スタイルはなじまないと感じたからです。
その代わりとして関西テレビの馬場アナを起用することにしました。

“正解”だったと思っていますが、6月いっぱいで私がプロデューサーを降りたとたん、
例のディレクターは、翌年からの古舘起用にむけて動き出していました。ハハハ。
いざ、古舘実況が始まると、賛否両論でしたが、間違いなく視聴率は上がりました。
“空疎な”言葉を並べていく彼のスタイルが大嫌いだった私ですが、F1に興味のない
人たちに「見てみようか」と思わせた功績は認めざるを得ません。
一方で“亜流”を生み出した罪も大きいと思いますが。

あれから22年以上の年月が過ぎました。
よほどのことがない限り、見ることはなくなりました。
今日、14日はバーレーンGPの決勝ですね。

サラッと書く予定だったのに、またしても“ダダ長く”なってしまいました。
えっ、最後まで読んだんですか?ハハハ。

…最後のチェックをしていて思い出したことがあります。
ブラジルのあとはサンマリノGPでした。イタリア北部に位置する小国です。
ローマからミニバス2台で向かいました。喫煙者用と禁煙車用です。
先行する喫煙者用のバスの窓から煙が盛大に上がっていました。笑いました。

ええ、ただ、それだけです。すいません。ハハハ。

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by toruiwa2010 | 2015-11-01 08:34 | 自薦・厳選300? | Comments(7)
Commented by バタフライ at 2015-11-01 09:19 x
岩佐さん、こんにちは。
岩佐さんがフジのF1中継のコアな部分に
それほど深く関わっていたとは知りませんでした。
私も古館の実況が苦痛でやがてF1も見なくなりました(笑)
実況や解説は大事ですね、川井一仁氏が解説するだけで
中継が百倍面白くなります。
Commented by toruiwa2010 at 2015-11-01 09:27
バタフライサン、おはようございます。

川井さんには、あの年以来会っていませんが
とても几帳面で資料の整理が見事、そして
なにより、ナイスガイでした。
Commented by ちえこ at 2015-11-01 11:17 x
岩佐さんおはようございます。
F1は亡くなった父親が好きで、フジの中継をよく見ていました。私が見はじめたのは古館さんが実況を始めてからですが、父は岩佐さんが関わられたときもその前もずっと見ていたと思います。父はただ何も言わず、黙々と見ていました。それに習ってか、私も放送のあり方に不平不満など何も感じずただただレースを楽しんでいました。今とは大きな違いです(苦笑)。
そんな思い出のF1中継に岩佐さんが関わっていたとは驚きでした。私達が見えないところでテレビというものは本当に様々なことがあるものなのだなあ、と岩佐さんのお話を読ませてもらうと感じます。
F1の始まりといえばT-SQUAREの「TRUTH」でした。岩佐さんが守られたのですね。
Commented by toruiwa2010 at 2015-11-01 12:07
ちえこサン、こんにちは。

放送にはいろいろな要素があります。
知らぬ間に、会ったこともない人たちと
接点ができていることがありますね。
昔、全米オープン・テニスのとき
「お前を見たことがある。台湾で…」と
言われたことがあります。
スピルオーナーという現象でWOWOWが
台湾でも見えていたのです。
父上が腹の中で何を想っていたか
聞いてみたい気がします。ハハハ。
Commented by デルボンバー at 2015-11-01 12:22 x
わたしも馬場さんの実況は好きでした。いまはCSでブンデスやられてますね。古舘氏はふつうのスポーツ実況には確かに合わないと思います、ま、亜流に関しては本人にはどうしようも出来ない部分もあるでしょうし......
Commented by toruiwa2010 at 2015-11-01 13:27
デルボンバーさん、こんにちは。

馬場はオーソドックスな実況アナでした。
古舘のは講談みたいなもので。ハハハ。
Commented by ヱビスの黒生 at 2015-11-01 18:43 x
岩佐さん、こんばんは。

5年前に読んだときにはコメントできずすみません。

F1の実況は大川さん、馬場さん、三宅さんが私的御三家です。
古舘さんはいいアナウンサーだとは思いますが、1994年のサンマリノGPをやってたらと思うと・・・

スカパー!のフジテレビNEXTを契約してるので引き続き観てますし、今夜のメキシコGPも観る予定ですが、いつかまた地上波で放送してほしいなと。できれば私が生きているうちに。



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