ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

歴史ものにおけるフィルター~NHKスペシャルを見る~16/02/17

NHK「司馬遼太郎思索紀行」…
気をつけなければいけないのは
ここで語られることすべてが
"事実"だと考えないことだと思う。
それは、司馬のとらえ方であり、
番組制作者や、彼らに助言した
学者らの歴史観をフィルターと
しているからだ。
翻訳物の文学と 同じだ。

d0164636_15121346.jpg







昔から歴史が苦手だった。年表を覚えることはその気になればいまだってできるだろうが、
印刷されたものを見れば分かるのにわざわざ脳に刻み込むことに意味はないと思ってる。
出来事も人物像も、目撃者のいない遠い昔のことを語る以上、どうしたって主観が入る。
だから、時代劇は映画もドラマも小説も撮る人、書く人によって描かれ方が違って来る。

残されたごくわずかな資料をもとに、想像を加えていく。自身の解釈を加えて…。
「あの将軍はこういう人物だった。あの出来事はこういう原因で起きた」などについて
すべての書物や映画・ドラマが同じ描き方にはならない所以だ。
歴史ものを見たり読んだりするとき怖いのは、うっかりすると、書く人、演出する人の
歴史観と絶対的な史実を混同してしまうことだ。えっ、私だけ? なら、いいけど。
ハハハ。

数年前、NHKが3年間かけて放送した長編ドラマ「坂の上の雲」を見た。
“司馬遼太郎原作”と本木雅弘、阿部寛、香川照之、菅野美穂らの出演に惹かれて…
近代国家の先輩として日本が目標とした欧米の列強…その“イメージ”として、司馬が
なぞらえたのが“坂の上の雲”だったのだと思いながら見た。
d0164636_15125235.jpg








映画・演劇界からビッグネームを根こそぎかき集めたかと思うような豪華な俳優たちや
度肝を抜かれる大仕掛けのオープンセットだけで、大金が投じられていることが分かった。
後半はスケールの大きさに演出がついていけなくなった印象があって、ことあるごとに、
渡辺謙の重々しいナレーションで話の筋を説明しないと物語が前に進まなくなっていた。

そのナレーションの中にも“ひっかかる”部分があった。たとえば…

明治維新によって、日本人は初めて近代的な“国家”を見、
たれもが“国民”になった。不慣れながら、彼らは日本史上
最初の体験者として その新鮮さに高揚した。
このいたいたしいばかりの高揚が分からなければ、この段階の
歴史は分からない。


読んでいないので分からないが、司馬遼太郎が原作の中にそう書いているのだと思う。
しかし、何かを理解しなければ、その時代の歴史は理解できない…という“決め付けた”
ものの言い方にはかなりの違和感があった。
“いたいたしいばかりの高揚”、“それが分からなければこの段階の歴史は分からない”は
あくまで、司馬遼太郎の解釈であって“絶対の事実”ではない。

もし、これらの言葉がこの時代の日本を語る際の“真理”ならば、私はますます歴史から
遠ざかることになる。ハハハ。

ちなみに、今年の大河ドラマ「真田丸」には、不満を感じつつ、草刈正雄・堺雅人演じる
真田昌幸・幸村親子の“親しみやすさ”に惹かれて見ている。武将たちの会話にしては
セリフや話し方があまりにも現代人に近過ぎるところがあるが、それも脚本・三谷幸喜の
とらえ方が投影されているからだと納得している。

人気ブログランキングへ

⇑ 面白かったらクリックしてください。

by toruiwa2010 | 2016-02-17 09:00 | 岩佐徹的考察 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。