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岩佐徹のOFF-MIKE

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報道局に深夜の怒声 自薦・厳選300? 16/03/19

オレたちひょうきん族
~Series:ゆくりなく思い出す~ ( 2010.01.22 初出 )

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「君が責任者か?話があるからすぐに報道センターに来い!!」
河田町のフジテレビ地下一階にあった報道フロアに特徴のある、少し甲高い声が響いた。
私が報道にいたころだから、1982年の終わりか83年の初めだっただろう。

「おい、おい、オッサンどうしたんだ?」11時からのニュースに備えて原稿を書いたり
テロップを準備したりで忙しいスタッフがあちらこちらで額を寄せて囁き合っていた。
“いつものことだけど”という空気だった。

5分ほど過ぎたころ、緊張した表情の一人の男が部屋に入ってきた。

電話口で怒鳴っていたのはフジテレビの看板キャスターだったジャーナリスト・俵孝太郎、
何事なのか分からないまま、その俵氏の元へ腰を低くして歩み寄るのは、マスコミにも
しばしば登場する“名物”プロデューサー、横沢彪だった。

そこからあとのやりとりは“現場”とは対角線上の位置にいたスポーツデスクの私には
聞こえなかったが、あとで聞くと事の次第はこうだ。
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毎週水曜日はフジテレビの大人気番組「オレたちひょうきん族」の収録日で、売れっ子の
お笑い芸人を集めるため夜を徹しての収録になるのが常だった。
メーク室が地下にあり、前の廊下には、順番を待つ者、すでにメークを終えた者たちが
多勢たむろしていたものだ。報道センターはその廊下の奥にあった。

この日、間が悪いことに、俵氏がそこを通りかかったのだ。
道を開けた若手芸人の間を俵氏が悠然と歩いていく…そのとき、一人の芸人が小さな声で
「コンバンハ。タワラコウタロウデス」と呟いた。…らしい!!
当時、ニュース冒頭で俵氏が発するこの挨拶がものまね番組では“定番”で、受けていた。
芸人に悪気はなく、本人の前(後ろ?)で笑いを取ろうとしただけだろう。振り返った俵氏が
満面の笑みだったら“勲章もの”だし。

…しかし、この夜の彼は虫の居所が悪かった。
振り向いた彼の顔面は紅潮し、ドスの効いた声で「番組はなんだ?責任者は誰だ?」と
詰め寄ったという。

“俵孝太郎 激こう事件”は横沢プロデューサーが平謝りすることで決着した。

1981年にスタートした「オレたちひょうきん族」をフジテレビ中興の祖だと考えている。
70年代後半から視聴率も営業成績も低迷し続けたフジテレビの“立ち直り”のきっかけに
なったのがこの番組だったのだ。1年後に始まった「笑っていいとも」とともに、暗かった
局内の空気をガラリと変え、“楽しくなければテレビじゃない”というフジテレビの伝統の
基礎を築いたのだから。
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昨日の「なんでも鑑定団」に後輩・山村美智が出ていた。初代の“ひょうきんアナ”だ。
「笑わせてナンボ」の若手芸人が多い番組に女性アナひとり…ハイエナの群れにうさぎを
放ったようなものだ。
私がアナウンス部にいるころ、休憩時間に深夜のアナルームに戻り、机に突っ伏して泣く
山村美智を見かけたことがある。芸人たちの“いたずら”が過ぎたのだろう。

俵氏 80歳、横沢氏73歳か…消息を聞くこともなくなったが、どうしておられるのか。

*俵氏はご健在のようだが、横澤先輩は
 この直後に亡くなった。

敬称略


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by toruiwa2010 | 2016-03-19 09:01 | 自薦・厳選300? | Comments(2)
Commented by ラジオ少年1978 at 2016-03-19 12:30 x
こんにちは、

フジテレビ・バラエティの十八番は
「予定不調和」だと思います。
それがいいともにも、ひょうきん族にも
色濃くあったのでしょう。
Commented by toruiwa2010 at 2016-03-19 13:11
ラジオ少年1978さん、こんにちは。

ひつの考え方ですね。
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