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岩佐徹のOFF-MIKE

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嗚呼、トヨさんが・・・~豊田泰光氏が亡くなった~16/08/25

フジテレビ時代 世話になった元西鉄ライオンズの強打者、豊田泰光氏が亡くなった。

見た目豪快、中身は繊細な人だった。食べたこと、飲んだこと、あんな話、こんな話、

深夜の河田町の飲み屋で聞かせてもらった話、過ごした時間を忘れない。

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思い出すことは山ほどある。


昭和28年春の巨人とのオープン戦で出塁した。

1塁手の川上哲治が話しかけた。「君がトヨダクンか?」

「はい、豊田であります」 …直立不動で答えている間に牽制球でタッチアウト!

茨城・水戸商業高校を出た19歳の少年が初めて浴びたプロの洗礼だ。


福岡に本拠を持つ西鉄ライオンズに入団した豊田泰光の野球人生は華やかなものだった。

思い切ってバットを振る若者だった。守備は鍛えられていなくてエラーの多いショート

ストップだったが、三原修監督は我慢して使い続けた。素質に惚れていたのだ。

大下弘、関口清治、中西太らと中軸打線を組み、入団翌年には早くもリーグ優勝を飾った。

私は熱狂的ファンだった大下の移籍にともない、西鉄を応援するようになっていいた。

その前後、不動だったライオンズのオーダーは今でも言える。

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1 センター・高倉

2 ショート・豊田

3 サード・中西

4 ライト・大下

5 レフト・関口

6 ファースト・河野

7 セカンド・仰木

8 キャッチャー・和田

(9番 ピッチャー・稲尾)


荒削りながら勝負強いバッターだった豊田は“2番”というタイプではなかったが、監督は

あえてこのオーダーを組んだ。“流線形打線”と命名していた。

この強力な打撃陣と稲尾、西村、河村と言った好投手の大活躍で昭和31年から33年、

巨人に3連勝したとき日本中が熱狂した。オールド・ファンには忘れられない思い出だ。

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彼の現役時代はほとんど話をしたことがなかった。近寄りがたい空気を放っていたからだ。

フジテレビで「プロ野球ニュース」が始まり、解説陣に加わってから急速に親しくなった。

番組ではよくコンビを組んだ。ディレクターも2人の呼吸がぴったりだと知っているから

出来るだけ、組ませるようにしていた。

話のうまい人で、言い負かされることは滅多にない私もとてもかなわなかった。

特別表彰で殿堂入りしたときにも「これに“くじけず”がんばります」と言ったほどの

“減らず口”だった。


「プロ野球ニュース」では試合を見せたあと、スタジオでポイントを解説した。2~3分と

短かかったから、野球中継で時間がタップリある中で話すのに馴れていた解説者の多くは

戸惑っていたが、トヨさんだけは 私が作るわずかな「間」に、タイミングよく、適切で

短いコメントを放り込んでくれた。カンのいい人だから、こちらが何を求めているかを

察することもうまく、読書好きでボキャブラリーが豊富だから、ヒネリが効いた言葉が

しばしば飛び出した。キャッチボールの感覚で会話ができる数少ない解説者の一人だった。


解説者が話す時間をできるだけ長くとるために私は自分の言葉の量を減らすようにつとめた。

この番組で覚えた“言葉の省略”はその後の実況にも大いに役立った。


番組が終ったあとも楽しかった。午前0時過ぎから、フジテレビの周りの飲み屋に集まり、

トヨさんを中心に番組の反省や野球談義に時が過ぎるのを忘れたものだ。

食べ物にうるさい人だった。地方に行くと、朝、ロビーで落ち合ったときから「おい岩佐、

今晩、何食う?」と聞いてくるほどだったから、ディレクターには大きなプレッシャーが

かかっていた。

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…一昨日、通夜に出かけたが、棺の中は見なかった。やせ衰えた顔を見たくないからだ。

西鉄で“野武士軍団”と呼ばれ、豪快さを誇っていたころの豊田泰光を記憶にとどめたい。

男くささをプンプンさせていた。水戸っぽだが、みごとな“九州男児”だった。

小学生のころから70年近くプロ野球を見ているが、これほどの“男前”をほかに知らない。


“甘い”二枚目はいるかもしれない。しかし、あの精悍さは類を見ない。

男の中の男だった。話が面白く、歌を歌えば男でさえウットリするような甘いバラードで

聴く者をトリコにした。レコードも出している。録音技術でカバー出来ない時代だったが、

吉田正という大御所にも評価されたほどの実力の持ち主だった。きっと、中州で、銀座で、

夜ごと、ブイブイ言わせたことだろう。

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コンビで作った「カモ・ニガ」は楽しかった。

酒の席で いつもぶりの照り焼き、バタじゃが、

銀杏ぐらいしか頼まない私を「つまらんやつだ」と

笑ったときのバカにしたような顔が今は懐かしい。

いずれそちらで再会する。そんなに先のことではない。

そのときを楽しみに。

ただ冥福を祈る。


トヨさんが逝った。たまらなくさみしい。


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by toruiwa2010 | 2016-08-25 08:30 | 友ありて | Comments(4)
Commented by shin555 at 2016-08-25 14:29 x
豊田さんはスワローズ時代しか知りません。
したがって私にとってはプロ野球ニュースのイメージが強く、岩佐さんを知ったのもその時でした。
岩佐さんの思いがこもった記事、しみじみと読みました。
ご冥福をお祈りします。
Commented by toruiwa2010 at 2016-08-25 14:42
shin555さん、こんにちは。

サンケイに移ったころのトヨさんからは
ギラギラしたものを感じませんでした。
西鉄時代のトヨさんを多くの人に見せたかったなあ。
Commented by ひろ☆はっぴ at 2016-08-25 17:29 x
赤瀬川隼さんの「獅子たちの曳光」を読むと、西鉄ライオンズが、南海とのつばぜり合いを繰り広げたパ・リーグが、そして当時の福岡の街がいかに熱かったかがよく分かりますね。豊田さんのご冥福をお祈りいたします。
あぁ、張本勲の迷言を諌めてくれるだろう人が、また一人居なくなられました。
Commented by toruiwa2010 at 2016-08-25 17:50
ひろ☆はっぴサン、こんばんは。

当時のパリーグを制するのは
巨人を倒すことより難しかったかも。
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