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岩佐徹のOFF-MIKE

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艱難 汝を玉にす~若い人には読めないかも~16/10/27

19633月、フジテレビに入社した。

小学生のとき 人前で国語の教科書などを“読む快感”に目覚め、アナウンサーへの道は

少しずつ形になっていき、入社のときは定年まで続けるつもりだった。

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受験番号は"1番"だった!


その年の7月に5秒のコールサイン、「フジテレビです。JOCX-TV」で地味にデビューし、

入社翌年の東京オリンピックでも女子バレー“東洋の魔女”を初めとするメダリストへの

インタビューなどをやらせてもらった。

バレーや野球の実況、「プロ野球ニュース」、MLB実況のための超・長期アメリカ出張etc

スポーツ・アナとしての実績を順調に積み上げていた。…つもりだった。


仕事の現場ではうまくやっていたのだが、アナウンス部内での人間関係は違った。

穏やかな人柄の人物ばかりだったから本格的に衝突することはなかったが、人付き合いが

下手で、“幼い”ところもあって「まあまあ」で済ませることができない私は細かいことが

重なって次第に居心地が悪くなっていった。

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途中で組合が結成されたときも、兄の前では言えないほど結構な給料をもらっているのに

こぶしを突き上げて会社や経営陣を糾弾するシュプレヒコールをやることが苦痛だった。

ストレスがたまって一人だけ脱退し、職場集会で厳しく批判された。団結を守るためには

当然なのだが、“可愛がって”いるつもりだった逸見政孝あたりまでが先頭に立って激しい

言葉を浴びせてくるなど、空気は険悪だった。


表立っては誰も話をしてくれなり、居場所がなくなる一方で、スポーツ担当アナの中では

部長につぐキャリアだったのに、少しずつ知らされないことが増えていった。海外出張が

多かったからという事情もあったのだが、私は“勝手に”追い詰められていたのだ。

“決定打”は、ワールドシリーズ実況を終えて帰国後まもなく、テレビ新広島に出向中の

先輩が会いに来て“移籍”を勧められたことだった。「新設のニュース番組でキャスターを

やってほしい。そのあとのことも悪いようにはしない」という話だった。


顔見知りだった先輩は「まだ誰にも話していないんだ」と言ったが、そんなはずはない。

ネット局がキー局に断ることなくその社員に手を出すことはあり得ない。これはつまり、

会社がアナウンサーとしてのオレを必要としていないわけだ…と思ったとき、愕然とした。

そのときに決断したわけではなく、もやもやした気持ちを抱えたまま仕事を続けていたが、

1981年夏ごろ、「こういう精神状態で実況を続けるのはよくない」と思うようになった。


かなり慰留されると思ったが、異動の希望は案外あっさり聞き入れられた。ハハハ。

しかし、部長と私から事情聴取した総務局長は第一希望のスポーツ局ではなく、二番目の

報道局への異動を決めた。198221日付で辞令が出た。


情けないのは、総務局長から辞令を受け取ったその瞬間から“後悔”が始まったことだ。

1週間の休みをもらったもののリフレッシュできないまま新しい職場に出社したその日

(198229)、日航機が羽田沖に墜落し、いきなり特番の司会をやらされたことも

“未練”に拍車をかけた。


上司に強く訴え続け、2年半かかってようやくスポーツ部に移った。かすかな希望が開けた。

スポーツ部員としてマイクの前に戻る…という。

アナウンス部在籍のころの私の実況を認め、。後押しをしてくれるディレクターもいた。

私が作るデータに目をつけ、「岩佐を“データマン”として放送席に入れてしゃべらせる」

というアイディアを思いついたディレクターもいた。

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アナウンス部の猛反発を招いた。

新宿・柳町の小料理屋に当時のスポーツ・アナのベテランとアナウンス部でスポーツの

デスクをしているアナを呼んで、話をすることになった。野球中継のプロデューサーと

ディレクターから「君も来い」と言われて同席したが、アイディアを聞いた瞬間、2人とも

顔色が変わった。少々、酒癖が悪かったデスクは盃を叩きつけたりした。

どちらも後輩だから、とても正面から言い合う気にはなれず、席を立ってしまった。


プロデューサーたちはがっかりしただろう。アイディアそのものには“無理”もあったが、

私がもっと積極的だったら、その後、違ったアイディアが出た可能性があったと思う。

彼らが「あいつの覚悟はあの程度なんだ」と見限ったとしても文句は言えない。


残された道は“正攻法”でアナウンス部に戻る以外になくなった。

担当常務や局長も掛け合ってくれたが、返ってくるのは絶望的な反応ばかりだった。

自分が蒔いた種だったが、落ち込んだ。

その後もいろいろあって、いよいよ逃げ場がなくなり、会社の外に出る方向を模索した。

行きついたのが日本衛星放送(WOWOW)だった。


同期のSが長く出向していることを知っていたので、行かせてくれないかと申し出た。

本社に戻したいと考えていたものの、代りが見当たらずに困っていた(に違いないw)会社は

“渡りに船”とばかり、電光石火で私の出向を決めた。

うかつなことに、“外に出る”ことだけに気を取られていた私は、Sから出向に当っての

レクチャーを受けるまで日本衛星放送は衛星を“打ち上げる”ための会社だと思っていた。

「だったら、打ち上げが終われば本社に帰れるだろう」とタカをくくっていたのだ。


出向当初はやることもなくて退屈だったが、90年代に入ったころから放送開始に向けた

動きが活発になり、私は温めていた“秘策”を人事にぶつけた。「いずれ放送を始めるなら

アナウンサーをどうするんですか?私、やりましょうか?」と。

当時のWOWOWはキー局から出向している数人以外は、放送に関しては素人の集まりだ。

人事の責任者は鉄鋼大手の出身だから“だます”のは簡単だった。ハハハ。

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まんまと“アナウンサー責任者”の肩書を手に入れた私は 199010月、小さなブースに

収まってアイスホッケー世界選手権の映像を見ながら実況をつけていた。

821月のバレーボール実況から実に89ヶ月の時間が過ぎていた。

予想したほどの感慨はなかった。久しぶりにヘッドセット・マイクをつけて実況できる

喜びがはるかに大きかったからだ。

経験のない競技、それも 動きがハンパなく速いアイスホッケーだったが、スムーズだった。


おそらく、これほど長いブランクのあと実況に戻ったスポーツ・アナは日本中を探しても

ほかにはいないだろう。しかも、あえて言うが、ブランクのあとの方がいい実況だと思う。

誰も言ってくれないから自分で書いておく。ハハハ。


理由は二つ考えられる。

まず、マイクから離れたあとも、テレビでスポーツ中継を見るときはプレーに合わせて

常に頭の中で“模擬”実況していたこと。シミュレーションだ。

空しい作業だったが、現役も似たようなことをやっているはずだ。いわばアナの習性だし、

「いつか必ず戻るのだから」という強い思いを胸に続けていた。


次に、スポーツ実況を第三者の立場で聞く時間が持てたこと。同業者の実況を聞きながら、

「いや、そこはこう描写しなくちゃ」、「今は、そんなことを聞く場面じゃないだろう」と

突っ込み続けていた。勉強になった。


そのおかげで、戻ったときの戸惑いがほとんどなかったし、以前にくらべて“突き放して”

プレーを見ることができるようになり、私個人として“懐が深い”実況になったと思う。


臥薪嘗胆のあと、災い転じて福となり、禍福はあざなえる縄の如し…という結果になった。

“引退”後にかかわった野球中継が惨憺たる出来だったのは残念だが、アナウンサー人生を

ほぼ満足できる形で終えられたのはありがたいことだと思う。


昔の人は「かんなん なんじを たまにす(艱難 汝を玉にす)」と言った。

まことにその通りだ。あきらめなければいいことがある、ということだね。

断るまでもなく、私がだと言っているわけではない。


♪アッポーパイペン

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いや、ただ、なんとなく。ハハハ。


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by toruiwa2010 | 2016-10-27 09:09 | アナウンサー・実況 | Comments(9)
Commented by ケイ at 2016-10-28 21:32 x
岩佐さん今晩は。
人間の一生って本当にいろんな山あり谷ありです。
どんな人にもドラマありです。
悠々とにこやかにお喋りをしていらした
岩佐さんからは想像もつきませんでした。
初めて知ることにびっくり仰天しています。

素敵な人生の航路を航海しておいでですね~。
Commented by toruiwa2010 at 2016-10-28 21:45
ケイさん、こんばんは。

考えてみたら、恵まれた人生かもしれません。
普通の人が味わえない興奮・感動・感激を
目の当たりにできましたから。
贅沢言ったら罰が当たります。
Commented by toruiwa2010 at 2016-10-28 21:45
ケイさん、こんばんは。

考えてみたら、恵まれた人生かもしれません。
普通の人が味わえない興奮・感動・感激を
目の当たりにできましたから。
贅沢言ったら罰が当たります。
Commented by at 2016-10-30 00:06 x
岩佐さん、お久し振りです。

ケイさんの御意見に同感ですが、
小生自身も含めて長い人生、色々ありますよね・・。

受験票の8のシンボルマークを拝見すると、個人的に
やはりフジテレビさんは現在の太陽マークよりこのデザインが一番!という気がします。

あの頃、岩佐さんを画面からお見掛けする事が少なくなり、寂しく思いましたが、後に野間さんや陣内誠さんら、親しみを感じる皆様方も然り・・。

露木さん、松倉さん、増田さん、大林さんらは比較的、最後まで現場にいらっしゃったような印象ですが・・。

お世辞抜きで、フジテレビは岩佐さん始め、皆様方がいらっしゃった時代が一番!
現在、好きなフジテレビアナウンサーは?
と問われても、殆ど存じないので分からない・・
という感じですね(苦笑)

季節の変わり目、御自愛下さいませ。
Commented by toruiwa2010 at 2016-10-30 07:45
巽サン、おはようございます。

あげられた名前を見ると懐かしい連中ばかり…。
みんな、元気でやっているようです。
そう、あの頃のフジテレビはどん底から
這い上がってつかんだトップの座に誇りが
あった気がします。今の中心社員はトップの
時に入ったからそのありがたみが分からない
のかもしれえません。
Commented by at 2016-10-31 11:36 x
岩佐さん、おはようございます。
改めて、OB の皆様方の御健勝をお祈りしております。

以前のエントリーでも、岩佐さんが一時期の韓流反対デモの方々への対応や報道のモラル等、について、OBとして愛情を込めつつ、冷静な御指摘をされていた事を思い出します。

関係者の皆様方には「母と子のフジテレビ」時代も大変だったようですが、私達一般視聴者や国民の大半にとって、あの頃のフジテレビさんに悪い印象は皆無だった事が、現在との決定的な違いでしょうか・・。

振り返れば「三匹の侍」「銭形平次」「木枯らし紋次郎」「座頭市」シリーズ、「江戸の旋風」シリーズ等、
時代劇はフジテレビさんが圧倒的に面白かったですし、

鶴田浩二さんの「大空港」、田宮二郎さんの「白い巨塔」等、夢中で拝見していた格調高い名作ドラマの数々。

「小川宏ショー」「3時のあなた」等、信頼性のある看板番組。
音楽番組や子供さん達に夢を与えるアニメも質は高かった印象です。

賛否両論あれ、軽チャー路線も、あれだけ若い世代に支持されていたのに、何故このようになったのか残念ですね・・。

只、公正に見て、業績の良い日本テレビさんと番組のラインナップや方向性の違いも余り分かりませんし(若者向けのバラエティ番組やドラマ等)

ネット上でもよく指摘される政治的な問題に関しては、TBSさんの方が偏向しているような気がするのですが、

どうしても、現在もバブル的な印象のする番組類や、一度根付いた負のイメージを払拭するのは難しい感じでしょうか・・。

岩佐さん始め、心あるOBの方々や、現在も奮闘されている能村庸一さんのような良識派の皆様方の御意見に耳を傾け、良き方向性を目指される事を願うばかりです。
Commented by toruiwa2010 at 2016-10-31 16:28
巽さん・・・

送信ボタンは1回で大丈夫です。
承認には多少時間がかかりますので
我慢強くお待ちください。
10回も押されると削除が大変です。
Commented by at 2016-11-01 20:24 x
御迷惑をお掛けして、心よりお詫びいたします。

いつものように送信させて頂いたのですが、何故か今回
認証数字が誤っていますとの表示ばかりが表れた為、入力を繰り返してしまいました。

送信出来ていないと思い込み、大変申し訳ございませんでした。
今後は気をつけさせて頂きますので、何卒お許し頂ければ幸いです。
Commented by toruiwa2010 at 2016-11-01 20:41
巽サン、こんばんは。

認証数字…さて、何のことでしょう。
数時間おきにチェックしています。
レスできる環境のときに承認するようにしています。
外出中はレスが難しいので帰宅してからの承認になります。
旅に出ていない限り長くても5,6時間以内に承認しますから
お待ちください。、
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