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岩佐徹のOFF-MIKE

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否定になってないぜ成宮君~荒川博&小川宏さんが逝った…~16/12/06

コメント 弱すぎないか?

「薬物を使用したことはいっさい
ありません」というコメントを
信じたい。しかし、じゃあ
この写真はなんなのさ?」と
当然突っ込まれる。それについて
まったく説明しないのでは疑惑は
疑惑として残るなあ。


フライデーが自信満々で載せた写真はまさに“衝撃的”だった。紅茶とケーキを前にして
楽し気に談笑しているものとは受ける印象がまったく違う。添えられた記事が事実だと
思わせる写真だ。ハッキリ言って“いかがわしい”匂いが漂っている。
成宮寛貴は好きな俳優だから記事を信じたくはない。だからこそ、本人や事務所が出した
コメントは歯がゆい。単に否定するだけじゃダメだと思う。
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写真が持っているインパクトの強さに対して「クスリはやってない」は弱すぎる。
映っているのが本人なら1か月前のこのシチュエーションは思い出せるはずだ。
「これは いつ、どこで撮られたものだろう。テーブルの上の白い粉のようなものは○○だ。
手前に写っているのは友人のXXだから、彼に聞いてもらえば分かる」。
そこまで言って初めて疑惑は晴れる。とりあえず。

この手の記事は書かれた者のダメージが大きい。
逆に「ワイドナショー」で松本人志が言っていた通り「下手すれば廃刊もの」だ。
書いた側もそれほどのリスクを背負っている。雑誌にはその覚悟があるということだろう。
“ゲス不倫”で明けた2016年はASKAの“再犯”と成宮の“疑惑”で年の瀬を迎えた。

アラさんが逝った

元巨人のコーチ、荒川博さんが亡くなった。
王貞治の一本足打法を生み出した師匠だった。
野球中継やプロ野球ニュースでコンビを組んだが、
飾り気のない人だった。ご冥福を。

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ヤクルトの監督をしているとき、鹿児島県湯の元のキャンプ地を訪れるとネット裏にある
一段高い監督席に招き入れて1年間で使い切れないほどのおいしいネタを提供してくれた。
サービス精神が旺盛な人だった。

巨人のコーチをやめてフジテレビ専属になったとき、解説という仕事を軽く考えていた
節がある。特に、「プロ野球ニュース」はアナが聞くことに適当に答えればいい、と甘く
見ていたようだ。短い時間に大事なことを話し切らなければいけない難しさに戸惑って
「岩佐クン、こんなに難しいとは思わなかったよ」と言われた。素直な性格の人だった。

キャンプの取材で宮崎に同行すると王さんとの食事の席を作ってくれた。王さんにとって
師匠は“絶対”だった。プロ野球担当のアナにとってこんなにありがたいことはなかった。
二つの意味で“ごっつあん”…。ハハハ。
“礼儀”として正面からの取材はしなかったが、荒川さんと王さんが交わす話の中で多くを
知ることができた。ホテルに戻ると一生懸命にメモをまとめたものだ。
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荒川博と王貞治…その絆の強さには疑いの余地がない。
二人のどちらから聞いたのか忘れてしまったが、師弟関係が揺るぎのないものになり、
王が偉大な打者に成長した最大のカギは出会いのタイミングだったという。
当時21歳の王は野球に打ち込む時期だったし、30歳を過ぎたばかりの荒川にはハードな
練習に付き合う心身のスタミナがあった…。

私がWOWOWに移ってからは会えなくなってしまったのが残念だ。

小川宏さん…

小川宏さんが亡くなっていた!
典型的なNHKのアナウンサーだった。
晩年は不遇だったようだが…


高橋圭三がNHKを離れたのが1961年、野村泰治は1975年だと言う。
木島則夫、小川宏が相次いでフリーになり民放に移ったのは60年代の半ばで、二人とも
新設されたモーニングショーの司会者として引き抜かれた。
今でこそ、ワイドショーの司会を俳優やタレントがやっているが、当時 番組を仕切るのは
アナウンサーの仕事だった。NHKでクイズ番組などの司会をしていた彼らは“任せて安心”な
人材だったのだ。
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「小川宏ショー」は日本教育テレビ(現テレビ朝日)の「木島則夫モーニングショー」の
圧倒的な成功を見てフジテレビが後追いしたものだった。
フリーだった木元教子と私の同期・露木茂がアシスタントをつとめた。数年後になって、
大先輩アナから、「露木か君か…だったけど、君にはスポーツをやってもらおうと思ってね」と
言われたことがある。本当かどうか分からないが、アナウンス部は正しい判断をした。
仮に私だったら、露木ほどはまらなかったと思うし、彼ほどうまくはやれなかったと思う。
謙遜でなく、キャラクター的に無理だったはずだ。

今のワイドショーと違い、当日の朝には台本が出来上がっていて、それに沿って進行した。
貶めるつもりはないが、台本に従って忠実に進めていくことに関してNHKのアナたちは
豊富な経験に支えられて見事な仕事を見せた。
小川さんがゲストから話を引き出すのを見て、「…ということは実際ありましたか?」と
ある程度 話を絞って問いかけることが多いのに気づいた。放送に慣れていないゲストが
多かったため話がまとまらなくなることを防ぎ、視聴者が理解しやすくする効果があった。

「小川宏ショー」が終わり、フジテレビが長年の功績に報いるために用意したのは週末の
30分番組だったと記憶する。小川さんはかなりがっかりしたのではないかと推測する。
うわさに聞いたその後の“不遇”と重なる。気の毒だった。

ともに長い年月 河田町の局舎で働いていたのに、接点がまったくなかったのは残念だ。

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by toruiwa2010 | 2016-12-06 08:46 | 岩佐徹的考察 | Comments(5)
Commented by デルボンバー at 2016-12-06 12:45 x
岩佐さんこんにちは。荒川さんの解説大好きでしたねぇ。豊田さんといい、フジの野球中継が面白かった時代(個人的にはそう思ってます)活躍された方々が相次いで逝かれますね......。
Commented by toruiwa2010 at 2016-12-06 12:49
デルボンバーさん、こんにちは。

私も、お二人には可愛がってもらったので
残念です。
Commented by at 2016-12-06 18:29 x
岩佐さん、こんばんは。

先日は大変ご迷惑をお掛け致しました。

荒川さん、豊田さん、小川さん、皆さま方の御冥福を心よりお祈りいたします。

私事でございますが、小川さんの事は大ファン・御尊敬申し上げていたので、その後の様々な御苦労を伺い、居ても立っても居られず、某出版社の暖かい御紹介で、激励のお便りを差し上げた所、小川さん御夫妻より、
直接暖かい御連絡を頂戴して、感動致しました。

そんな御縁から半年前にも御連絡を頂戴したのが最後で、熊本の地震被害にお互いに心を痛めていたのですが・・・。

本当に心の暖かい素晴らしい方でした・・。

岩佐さんが「小川宏ショー」に御出演されていても、きっと素敵だったと思いを馳せます・・。

天上で多くの御友人・お仲間と再会されている事を願うばかりです・・。

フジテレビさんには、小川さん、岩佐さんらの時代の良き伝統を大切に思い出して欲しいですね・・。

合掌。


Commented by toruiwa2010 at 2016-12-06 18:49
巽サン、こんばんは。

最後の文章がうれしいです。
小川さんは暖かい人だったようですね。
言葉も交わしたことがないのがつくづく…
Commented by しぐま at 2016-12-18 07:55 x
岩佐さん、
「小川宏ショー」終了から半年後の昭和57年秋、フジテレビが小川宏さんにあてがった新レギュラー司会番組は、
「なんでもカンでも」という知的エンタテーメント番組で、
時間枠は金曜よる7時30分からの30分枠でした。

この金曜よる7時30分枠は、当時、
日本テレビ系「カックラキン大放送」
TBS系「野生の王国」
テレビ朝日系「ヒーローもの特撮テレビ映画シリーズ」
NHK「音楽の広場」
の各番組が、それぞれに固定視聴者をガッチリ囲い込んでいたため、
ただでさえフジテレビにとって「弱点枠」になっていました。

そんな枠で放映する新番組に小川宏さんが起用されたところで、
「なんでもカンでも」は、上記の各番組から視聴者を引き寄せられず、
立ち上がりから視聴率競争で苦戦を強いられ、番組内容にも冴えが感じられなかったといわれました。

それでも、フジテレビは辛抱強く小川宏さん司会による「なんでもカンでも」を金曜夜7時30分枠で継続し、懸命に番組内容のテコ入れをした形跡があったようですが、結局、スタート2年後の昭和59年10月の改編で、同じ金曜で放送枠が30分繰り上がって夜7時ちょうどからの放映に移行、この金曜夜7時からの30分枠が全国ネットセールス枠でなかったため、放映される地域も大幅に減り、それから半年後の昭和60年3月で「なんでもカンでも」は終了になりました。
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