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岩佐徹のOFF-MIKE

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懐かしのハルコーバレー! ~アーカイブから~ 17/01/08

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春高バレー 準決勝

~新しい歴史が始まった~( 2011.01.08 初出 )


春の高校バレーが始まっています。

去年までは3月下旬に開かれていましたが、今年から1月に

繰り上げられました。この結果、これまでは出られなかった

3年生が出られるようになったのが大きな変化です。

進学する選手は大変ですが、出場する大会数が増えることで

3年生のモチベーションは確実に上がるはずです。大会名称も、

選抜優勝大会から選手権に変わりました。響きがいいですね。


1964年東京オリンピックで一気に火がついたバレーボール・

ブームに注目したテレビは日本リーグの中継に熱を入れました。

フジテレビも例外ではありません。

視聴率が割合よかったこともあって、やがて実業団で活躍する

ことになる高校生の大会を作ろうという機運が盛り上がりました。


詳しいことは分かりませんが、当時の日本協会の前田豊会長・

松平康隆専務理事コンビがフジテレビを巻き込んだのだろうと

想像しています。二人とも、土日に声を聞かない日はないと

いうぐらいテレビで解説をしていて“お話上手”ですから。ハハハ。


決して悪い意味で言っているのではありません。ご両所ほど、

バレーボールをメジャーにするために力を注いだ人はいない

だろうと思います。そして、スポーツ・コンテンツが少ない

フジテレビにとっては“渡りに船”でもあったはずです。

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1970年に始まった大会は、視聴率こそ低調でしたが、会場の

熱気はものすごくバレー熱を広げるのに大きく貢献したのは

間違いないでしょう。

入社7年目、経験が必要な野球の実況にはまだ手が届かない

私のような若手にも大きなチャンスを与えてくれました。

日本リーグ、春高バレーの実況によって、少しは認められる

ようになったのですから、ありがたい存在でした。


選手とのコミュニケーションがうまくとれず、野球の取材に

手こずっていた私にとって高校バレーほど取材しやすかった

種目はありませんでした。

監督に連絡さえしておけば、望む情報はほとんどすべて手に

入りました。

体育館に入って監督に挨拶をすると すぐに「おーい、集合!」と

練習中の選手を集めて「フジテレビの岩佐アナウンサーさんだ。

春高の取材に見えた」と紹介してくれます。


キャプテンが「気をつけ、よろしくお願いします!」と大声で

言うと全員が声をそろえて同じことを“合唱”します。

そういうときや監督が注意を与えるとき、選手はずっと直立

の上つま先立ちになっていることがあります。1年生部員は

辛そうですが、すべてが強化につながっているのです。

練習が終わるころになると、監督が「誰かに話を聞きますか?」と

わざわざ聞いてくれます。始まる前と同様、集合した選手が

「気をつけ、ありがとうございました!」を“合唱”したあと、

「○○と△△と□□は岩佐さんからお話があるから残れ」と

言ってくれます。至れり尽くせり。プロ・スポーツでは絶対に

あり得ません。ハハハ。


いいことづくめのようですが、ときどき困ることもあります。

私たちがいると“やたら”張り切ってしまう監督がいることです。

レシーブの練習では極端に遠い所に強いボールを打ち込んだり、

ミスを続けた選手を泣き出すまで怒鳴りつけたりします。

思わずアドレナリンが出るのでしょう。おそらく、厳しさが

普段の数割増しになっていたはずです。ハハハ。

私たちが取材に行くことは、監督は歓迎しても、選手たちに

とっては迷惑だったかもしれません。


全国大会ですから、ディレクターやアナウンサーの数が足りず、

ネット局の応援を求めることになります。アナウンサーなら、

誰だって決勝をしゃべりたいものです。しかし、私はとうとう

決勝の実況はやれませんでした。

当時 大阪の大工大付属が強く、関西テレビのアナが男子決勝を、

女子決勝はフジの大先輩・山田アナが担当しました。

私の春高バレーは準決勝までで終わり、次の土・日は後楽園で

巨人の最後のオープン戦を見るのが定番のスケジュールでした。


バレーボールの解説者は“達者な人”が多かった記憶があります。

松平さんは“名物男”でした。男子監督としてりっぱな実績を

残しただけでなく、いつも、バレー人気を盛り上げるための

努力を惜しまない人でした。外国選手に“バルカンの大砲”など、

親しみやすいニックネームをつけ、“Aクイック・Bクイック

時間差攻撃など、技に名前を考えたり、バレーの面白さを

伝えることに一生懸命でした。明るいキャラクターとともに

バレーボール中継には欠かせない存在だったのです。

ただし、話好きな人だけにしゃべり出すと止まらない“欠点”と、

頭の回転が速い人なので、こちらの未熟さを見抜かれるのでは

ないかという“怖さ”がつきまといました。ハハハ。

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女子の試合では生沼スミエさんと数えきれないほど組みました。

日立製作所や日本代表として大活躍し、のちに初めての女性の

代表監督にもなった生沼さんは、いわゆる“美人アスリート”の

ハシリだと言っていいでしょう。本人はそんなことをまったく

鼻にかけることなく、記憶する限りでは化粧もほとんどして

いませんでした。

サッパリとして、どちらかと言えば男っぽい性格でしたから、

仕事で付き合うのに気を使うことはいっさいありませんでした。


キャリアを振り返ると呼吸が合った解説者5人の中に入ります。

うまい下手ではなく、彼女と組んだ仕事を終えたあと「今日は

失敗した」と思った記憶がないのです。

女性解説者にはありがちですが、選手に関してネガティブな

ことが言えないというマイナス点をのぞくとコンビを組んで

最高に仕事が楽しめる人でした。


古いビデオを見ると、70年代の実況では、「東京都体育館で

あります」「の対戦でございます」調のしゃべり方になって

いるのに驚きます。今 聞くと、大きな違和感がありますが、

当時はそれが普通だったのです。


今日は4時から準決勝が放送されます。

この時期に繰り上げた結果、レベルも上がっているようです。

40年前に戻って、黄色い歓声がこだまする会場で高校生たちが

必死にボールを追う姿を久しぶりに見ることにしましょう。


*昨日は…

ややこしくてすみません、201717日は女子準決勝、

下北沢成徳vs鹿児島女子の試合を見ました。両チームとも

よく拾って好ゲームでした。

成徳の監督、"胆力"がすごいと思いました。

劣勢でも簡単にタイムを撮らず、選手を信じ切る強い気持ちと

選手たちが自分たちのやってきたことを信じてプレーに徹する

姿にうたれました。


*生沼さんには何十年も会っていません。消息も聞きません。

どなたか、ご存知の方、教えてください。


いくつか報告


新年に当たり、テンプレート…といえばいいのでしょうか、

当ブログの体裁を少し変えました。


従来のカウンターはあまりにも数字が少ないので、画面には

出せませんが、エキサイト・ブログのアクセス・リポートを

信用することにしました。


秋になってアクセス数が前より多く表示されるようになり、

調べると、PCとモバイルを合算するようにしたためでした。

同時に、スマホで読む人が多いらしいことも分かりました。

そこで、体裁もスマホのほうに合わせることにしました。

1行・28文字です。この形で書くことにまだ慣れません。


***ページ最下段にある表示を“PC”にした場合です。

“スマートフォン最適化版”に合わせるにはもっと短くする

必要がありますが、私の好みに合いません。ハハハ。


古い記事の更新も“自薦・厳選300?”は実情に合わないので

“アーカイブから”に改めました。


従来の形のまま掲載した46日の分も新しい形に直しました。

また、連休明けから、記事そのものが短くなっていくはずです。


性格だし、“持ち味”なので一部、毒を含む書き方に変わりは

ないと思います。本年もよろしくお願いいたします。


by toruiwa2010 | 2017-01-08 08:21 | アーカイブから | Comments(2)
Commented by デルボンバー at 2017-01-08 12:16 x
岩佐さん、こんにちわ。わたしらの子供のころは、男子-松平、女子-生沼、が定番でした。プロフィールをみると、まだ!70歳。まぁ当事は20代で引退するのが普通でしたからね。怪しき?Wikipediaでも普及活動を続けているとしか書いてませんものね。
Commented by toruiwa2010 at 2017-01-08 12:46
デルボンバーサン、こんにちは。

幸せに暮らしておられればいいなあと
それだけを願っています。
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