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岩佐徹のOFF-MIKE

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サッカー中継小史 2~アーカイブから~17/02/19

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サッカー:テレビ中継史

~“羊頭狗肉”かも…~後編 ( 2010.06.17 初出 )


・・・昨日のつづき


WOWOWがイタリアのセリエAに目をつけたのは1991年です。

資料用のテープを見ながら「サッカーならイングランドだろう」と

思っていた私はあっという間にイタリア・サッカーのとりこに

なりました。「これは楽しみだなあ」…。


いい加減と言わないでください。柔軟なんです。ハハハ。

しかし、ある日、担当のディレクターが来てこう言ったとき、

呆然としました。

「川平に実況させようと思うんですが、どうですかね?」…


売り出し中だった川平慈英です。

「いやあ、それは無理だと思うよ」とかろうじて答えましたが、

フジテレビのネット局でスポーツ・アナをしていたこの男の

発想が信じられませんでした。結果はもちろん惨憺たるもので、

たしか1回だけで終わり、文化放送出身のアナに実況を頼んで

いました。依然として私に目が向くことはありませんでした。

彼がふたたび私のところに来たのはその年の11月、ミラン・

ダービーの直前でした。

「この試合だけはWOWOWのアナウンサーでやりたいんです。

やれますか?」

「おいおい」と思いましたが、その言葉を飲み込んで「ぜひ

やらせてくれ」と言いました。


海外のサッカーを現地から実況したのはこのときが初めてです。

解説の奥寺さんの出発便が遅れ、フランクフルトでの接続便に

乗れないトラブルがあってドタバタしましたが、“保険”として

確保していた新聞記者を代役にしてピンチをしのぎました。

ファン・バステンのスライディングシュートでミランが先制し、

クリンスマンのボレーでインテルが追いつ区というテレビ的には

最高の展開の末1-1で引き分けました。

17年ぶりの私の実況は、今 聞くとお恥ずかしいかぎりですが、

それでもこのテープは私にとってかけがえのないおタカラです。

奥寺さんは、試合が終わって打ち上げをしているレストランに

悠然と現れました。ハハハ。


その後も、年2回のダービーを現地からナマ中継しましたが、

それ以外の試合はテープを見て実況をつける、“MA”方式でした。

私はダービーのあとも、セリエAの実況陣には呼ばれません。

いろいろあって、このディレクターとはきわめて“折り合い”が

悪かったからです。相手は二回り以上 年下でしたが、主導権は

向こうにあるわけで…。ハハハ。


しかし、1993年にナビスコ・カップの放映権を手に入れたとき、

アナの数が足りなくなり、“背に腹は代えられない”と、彼が

実況を頼んできました。“飢えて”いましたから、即OKです。

ハハハ。


ちなみに、加茂周さんの推薦でWOWOWの解説陣に加わった

早野宏史さんがテレビで本格的な解説デビューを飾ったのも

このナビスコ・カップでした。一発目のお相手は私でした。

トオル&ヒロシの“ビーバップ・コンビ”の誕生です。


ヴェルディの試合でした。

MAを担当した外部のディレクターは例の彼から「絶対に

“読売”とは言わせるな」と厳重に言われていました。

しかし、“現場”の人間だった早野さんの頭には“ヨミウリ”の

4文字は刷り込まれていて、つい、口にしてしまいます。

“厳命”を受けているディレクターはそのたびにテープを停めて

やり直しを求めました。

4,5分に1回テープが停まるのでペースがつかめず、しきりに

恐縮する早野さんともども大変困ったことを思い出します。


セリエの実況に全面的にかかわるようになったのは1993-94

シーズンからです。

たしか、テープが自宅に届くのが水曜日で、MAは木曜日に

行われていました。選手の特徴を見つけるのに苦労しました。

いずれ、書きましょう。

PC上のメモをかのぼっていくと199518日のところに

SERIE A/LIVE PAR1-3 JUV」と書かれています。

この年から、MAと並んで生中継が始まったのです。

OFF TUBE”と言いますが、モニター画面だけを見て実況する

スタイルです。MAでも苦労しているのに画面の外から選手や

ボールが飛び出してくるのを生で描写するなんて無理無理…と、

思いましたが、やれなければ“脱落”するしかありません。

懸命について行きました。

…結果、何でもやってみるものですね。慣れれば、どうって

ことはありませんでした。ハハハ。


予想に反して長くなりました。今日はここまで。

続きは…あれば、ですが、いずれまた。


”続き”を探しましたが、それらしきものが

見当たりません。別の形になっています。

そのへんはいずれまた。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-02-19 08:22 | アーカイブから | Comments(2)
Commented by 菅原久 at 2017-02-20 17:44 x
私は海外サッカーというと、桝田アナウンサーがやっていたころの日テレトヨタカップが印象残るかなあ。
フジテレビはわたしの小さいころは輪島功一さんの試合を逸見さんがわめいていた印象ですね。
Commented by toruiwa2010 at 2017-02-20 18:03
菅原久サン、こんばんは。

そう、逸見は若くして輪島の
タイトルマッチを実況してましたね。
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